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2006年1月30日 (月)

簡単に行かないから

 東京都の基礎スキー大会終了しました。ワタシは、今年、東京都で62番目に上手いスキーヤーということになりました。いやはや、簡単には上位進出できません。年間に120日以上滑ってるんですけどねえ。

 簡単に行かないと言えば、「簡単に行かないから生きていける」って、最近、YUIという歌姫が歌っています。デビューシングルがドラマ「不機嫌なジーン」の主題歌になり、セカンドシングルが映画「ヒノキオ」の主題歌になり、サードシングル「LIFE」がアニメの主題歌になって、今年は映画にも主演が決定している十八歳かそこらのムスメに、「簡単に行かない」と言われても、どーだかなーという気がしますが、これが結構リアリティーのある歌いっぷりになっているのは見事です。やはり、リアリティーは現実によるのではなく、表現に宿るということでしょう。逆に言えば、YUIの表現者としての能力の高さが、この曲に顕れていると思います。最近のお気に入りです。

 「簡単に行かないから生きていける」って、「簡単に」わかり易さを求めちゃう、最近の高校生にじっくり聞いてほしいもんですナ。

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2006年1月28日 (土)

基礎スキー

 今日は、東京都の競技会初日でした。今、出ているのは、基礎スキーというものの大会です。早い話がスキーインストラクター達が上手さを競う大会。いかに上手く見せるかを考えて滑るのですが、なんか、我々予備校屋の仕事とちょっと似ているかもしれません。我々も、いかに実力があるところを見せるかが勝負ですから。ま、時にはハッタリも交えて。~o~

 そのあたりがちょっと基礎スキー的。ただし、ハッタリだけではどうにもならないのも一緒。

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2006年1月27日 (金)

スキーは楽し

 東京都の競技会でスキー場に来ています。スキーは何が楽しいかというと、まー、いろいろあるんだけど、予備校屋的に考えると、価値観の単純さが魅力かな。これは、スポーツ全般に言えることだろうけど価値観が単純というか純粋。スキーでは特に、ゲレンデを支配するのは、上手いヤツはエライ、という単純な価値観。上手いヤツは無条件でリスペクトされます。例え、身長が不自由で、体重が不自由で、頭髪が不自由なやや年齢の高い男性でも(適当に差別用語に置き換えて読むこと)、滑って上手けりゃ尊敬の的なのですよ。

 こういうのって、我々の世界に共通するものがあります。つまり、受験生の世界は、出来るヤツが無条件でエライ。講師の世界も、人気のあるヤツがエライ。そういう単純な世界に普段身を置いているので、スキーの世界の単純さが心地よいのかも。

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2006年1月26日 (木)

追記

 生徒さんから、○○先生の話に大変感動したって話を時々聞くけど、なんかちょっと違和感を感じることがあります。というのは、生徒さんは、初めて聞くのかもしれないけど、その先生の方にしてみりゃ、担当する各クラスで話すので、年間で20~30回くらい同じ話をするわけで、長いこと勤めている人だと20年以上同じ話をしてたりするわけで、つまり、その生徒さんが感動した話ってのは、その先生にとって、597回目の話だったり、686回目の話だったりするんですね。~o~

 つまり、いくら感動的内容でも、我々にとっては、繰り返し行っている演目の一つだったりするわけで。そう考えると、予備校屋の話にむやみに感動しなくても良いかもね。

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最終講義の日

 本日は、浪人生向けの年度最終講義の日でした。毎年のことですが、ワタシはこの日がニガ手です。最後に何か気の利いた話が出来ると良いのですが、長年、この仕事をしていて、いまだに上手く行った例がありません。昔は、それでも、何か気の利いた話で浪人君達を送り出してあげようと努力したりしたのですが、あんまり上手くいかないのと教材の説明で忙しいのとで、最近は、「じゃ体に気をつけて頑張ってね」で終わっちゃうこともしばしば。今年は、それでも、試験に向けての心構えなど話しましたが、お世辞にも感動的とは言えない実用的な話でした。

 そもそも、ワタシは、人生訓や人生哲学みたいな話がニガ手です。自分自身が、若い時には、みっともない失敗の連続だったという思いがあり、他人様に偉そうなことが言えないんです。一応、紆余曲折があったにしろ受験的には成功者と言って良い学歴だし、自分としては、現在の人生に満足しているおり、上手くやってるとさえ言えると思うのですが、他人様に「オレのように生きろ!」と押し付けられるほど、自信家じゃないんですよね。

 他人を説教するのが好きな人には、多分、楽しくってしょうがないのでしょうね、最終講義の日って。ワタシにとっては、なんだか、みょーに自分の人生を考えてしみじみしちゃう日なのでした。

 と今日は言っていますが、しみじみするのも今日一日だけ。明日からスキーです。最終講義の日は、同時に、スキーヤーとしての出発前日でもあります。それを考えると、ワクワクする日でもあったりして・・・。~o~

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2006年1月25日 (水)

「わかりやすさ」その実例

 先週、センター試験前にセンターの過去問を持って質問に来た浪人君がいました。「この問題解けません」と言って、みせてくれたのは、97年度本試(『松浦宮物語』)の文法問題。

問2 「えゆるされたまはねど」の「れ」と「ね」の文法的説明として正しいものを次のうちから選べ。

①「れ」は尊敬の助動詞、「ね」は打消の助動詞  

②「れ」は受身の助動詞、「ね」は打消の助動詞

③「れ」は完了の助動詞、「ね」は打消の助動詞

④「れ」は可能の助動詞、「ね」は完了の助動詞

⑤「れ」は自発の助動詞、「ね」は完了の助動詞

⑥「れ」は下二段活用の動詞語尾、「ね」は「完了」の助動詞 

 これ、正解は②なんだけど、彼は納得できないという顔で、「だって助動詞『る』に<打消>がついたら<可能>のはずでしょ。でも、そういう組み合わせがないんです」って言うんですよ。どうやら、「わかりやすい公式」をどこかで教わってしまったらしい。

 つまり、こういうことです。「助動詞「る・らる」は、<可能>の意味になる場合、<打消>や<反語>表現を伴う」という原則が鎌倉時代までありました。つまり、古代の人達は、「る・らる」を<可能>の意味で使う場合、”~できない”という文脈の中でしか使わなかったんですね。んで、この原則は、古語辞典にも載ってるし、我々もよく授業中に教えています。

 ところが、これを「わかりやすい公式」に仕立てて、「『る・らる』の意味を判別する公式」を作ってしまう人達がいるんですナ。曰く、「『る・らる』に<打消>が付いていたら<可能>の意味」。これは、上記の原則とちょっと合わないでしょ。つまり簡単に言うと、原則は、「<可能>なら<打消>を伴う」。一方、「わかりやすい公式」の方は、「<打消>を伴っていたら<可能>」。ホラ、ちょっと違う。この二つの命題、等値にならないでしょ。

 これがもし、等値なら、「女子高生なら高校生」を「高校生なら女子高生」と言い換えられることになる。男子高校生、どこ行ったんだ~。~o~

 しかも、この原則は、鎌倉中期までです。鎌倉末期になると、例外が『徒然草』などに見られるようになります。だから、無限定にこの原則を「公式化」したりしてはいけないのです。ところが、やたらに「わかりやすい公式」を作りたがる有名講師の方達がいて・・・。

 今、一番売れてる参考書を書いている某有名講師A(モチロン他予備校)の本だと、

「<可能>の場合、95%の確率で『る・らる』の直後に<打消>があります。だから、<打消>があったら、<可能>と決めましょう」

 なんて書いてある。そもそも、「95%」ってのが何処から出てきた数字なのやら、全く不明(予備校屋ごときが、そんなものの用例を数えているわけがない)だし、「原則」を全く無自覚に「公式」にすり替えてます。この人、数学出来なかったでしょうね~。「必要十分条件」とか「等値」とかって概念が、全く念頭に浮かばないらしひ・・・。

 この手の「わかりやすい公式」は、この某有名講師Aだけではなく、実は、世の中の売れセンの参考書にはかなり出てきます。この某有名講師Aは中でも、その手の「公式」を一番「わかりやすく」説明しちゃう人なので、これからも、「わかりやすい公式」の紹介の時に、名前を挙げることがあると思います。 

 ワタシの所に質問に来た浪人君も、どこかで「わかりやすい公式」を学んでしまったのでしょう。しっかし、たかがセンター試験の文法問題が解けない公式なんて、何の意味があるっていうんだろー。困ったもんだー。こういう有名講師の方が、どんな方法で金儲けしようと、ワタシはあんまり興味ないのですが、ワタシの教え子達を毒さないでもらいたいもんです。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                             

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2006年1月23日 (月)

05年度赤本NG大賞

 センターが済んだら、次はそれぞれの大学の過去問だ。過去問といえば赤本だ。というわけで、今年もやってきました。05赤本NG大賞!この賞は、毎年、当該年度の赤本の解答解説の中で、もっとも感動的な間違いをした筆者に送られる賞です。審査基準は、モチロン、厳正な、ワタシの主観です。~o~

 今年度の輝けるNG大賞は、ジャーン。「中央大法学部政治学科」の筆者さんです!

 なにしろ、問三「『給ふ』は誰が誰に敬意をあらわしたものか」という設問に対して、「会話文なので、話し手から聞き手への敬意となる」って解説してやがんの。すごいですね~。

 何がすごいかというと、通常、こうした敬意の方向を問う問題に関しては、まず、該当する敬語が「尊敬語」か「謙譲語」か「丁寧語」かを区別して、それから、「尊敬語」なら主体への、「謙譲語」なら客体への、「丁寧語」なら対者への敬意を表すと考えていかなきゃいけないのに、このお方は、尊敬語・謙譲語・丁寧語を全く区別せず、すべて、会話文の敬語は「話し手から聞き手への敬意」を表していると思っているらしいんですな。

 これでは、例えば、深津絵里ちゃんの三蔵法師が香取慎吾の悟空に「お釈迦様がおっしゃったのだ」というと、三蔵から悟空に敬意が払われてしまうことになるのだ。ちょっと想像すれば、ありえないだろ、ふつー・・・・。

 さらにアクロバチックなのは、そんなデタラメの解説なのに、何故か解答が当たってる!もー、神業!円周率=3で計算して答えが当たるのと同じくらい奇跡的。これは、もうNG大賞に十分値しますね~~。~o~

 なお、次点は、同じく「中央大学経済学部A産業経済・国際経済」の筆者さん。問五の解答解説のお粗末さは、ちょっと感動的なのですが、やっぱ大賞受賞作品の「奇跡の的中」に比べると感動が弱いかな。~o~

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2006年1月22日 (日)

センター感想

 センター古文の問題を見て。

 まず、ホッとしました。ワタシが出ないであろー、と言った文学史は出てないし、出るだろーと言った引き歌表現は設問になってるし、語句問題も文法問題も十分想定内。解釈問題も教材をキチンとこなしていた子なら対応できたでしょう。問題文の長さは、ワタシが言っていたより少し短かったけど、短い分には、みんな対応してくれたろうし、これで、明日は、みんなの明るい顔が見られるかな・・・、とこちらが期待するほど、受験生は出来ないんだよね。

 今年の反省点としては、問一で出題された慣用表現「ただならず」が、通常の教材には載っているのに、ワタシの作成している単語語句のテキストに載っていないこと。これはマズかったかな。

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2006年1月21日 (土)

センター初日

 今日はセンター試験初日でした。と言っても、我々は何にもすることはないのですが、やはり、気にはなります。特に今年のように雪が降ったりすると、それがまず心配。

 ついで心配になるのは、自分の今年一年教えた内容で、問題が解けるかどうか。例えば、文学史が出るか出ないかで、それは大きく変わってきます。また、文法や単語などでも、自分が確信をもって教えたと言えることばかりなら、ちょっと安心。反対に、これは教えなかったかも、というのがあると、気の小さいワタシとしては、「みんな!すまなかった~」と、ちょっと反省したりします。

 しかし、どんなに反省しても、まー、ワタシが責任を問われるわけではなく、その辺は、予備校屋さんって、ある意味、気楽な商売なんだよね。

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2006年1月20日 (金)

無名講師宣言その二

 ブログ始めたら、何故か風邪ひいちゃいました。

 さて、無名であることのメリットの続き。無名講師だと、無理をしなくて済みます。逆に言うと、有名講師になり、それを維持するためには、ある程度無理しなければなりません。自分自身を無理にトンガラせるか教える内容を無理に個性的にするかです。

 自分自身を個性的にするというのも、本当に元々個性的なキャラだったり、あるいはせいぜい派手な服を着るという程度なら良いのですが(どっちもワタシにゃ不適合なんですけどね)、どー考えても無理だろー、無理してるよー、という場合があります。

 例えば、某私立文系に強いと言われている大手予備校での話。ある先生が授業中に差し入れのビールを飲んでホロ酔いで授業したところ、大ウケしてしまった。味をしめて毎時間ビールを飲むようにしたところ、他の講師がマネしだした。あわてたその先生、次の週には教室にラーメンを持ち込んで食べながら授業した。

 って話を、同僚の講師から昔聞いたのですが、コレ本当なのかどうかねえ。ラーメン食いながら話できないだろ、と思うんですが、ただ、この某大手予備校は、目立った者勝ちという雰囲気なんで、さもありなんとその時は思ったんですが・・・。まー、何にしても、この手のことはオレにゃ無理だな~。

 教える内容を個性的にする場合、二通りが考えられます。本当にその専門教科についてズバ抜けた力があって、それを披露するだけで生徒さんが恐れ入ってくれる場合と、そうでない場合です。

 前者は理数系の先生に多いようです。やはり、理数系は本当に天才的な人っているわけで、大学の先生だって、若くして教授になったりするのは決まって理数系です。ウチの予備校などでも、本当に「天才的」な力を見せ付けて有名講師になっている方はいらっしゃるようです。人文系は、知識の積み重ねが大事なので、「天才的」なんてのは、あんまり考えられませんが、まー、それでも、知識の量が生徒さんを呆れさせるくらい凄かったりすると、このタイプもありえます。このタイプの場合、「無理」はしなくて良いし、そもそも、生徒さんのためになることが多いので問題ないのですが、我々凡人は、教える内容を個性的にしようと思ったら、後者の道を行くしかありません。この後者の道ってのがイバラの道なんですな。

 まず、他の人以上にマジメに徹することで個性的であろうとする人達がいます。このタイプ、割と、ウチの予備校には多いです。このタイプは、どこがイバラの道かというと、個性は主張できても、生徒さんに受け入れられ難いんですね。つまり、有名にはなれても人気講師になり難い。昔は、このタイプの人が人気講師になったもんですが、最近の子供達で、マジメ一徹求道的授業なんぞを歓迎する子は、残念ながら少ないですね。

 となると、次に考えられるのは、他の人以上に判りやすい授業をしようとすること。この場合、普通のことをやっていてもダメです。何故なら、もともと予備校講師は、全員、判りやすさを目指しているから。そこで、多少の無理をしてでも判りやすくしようということになります。また、これが最近の生徒さんには受け入れられやすいんですな。

 今、本屋さんの参考書のコーナーに行くと、「わかりやすい」「よくわかる」という言葉が溢れています。どうも、そういうタイトルをつけないと本が売れないらしい。昔の参考書のベストセラーは、そうじゃなかった。例えば、昔の古文のベストセラーといえば、『古文研究法』(小西甚一著)。昭和三十年初版で、まだ現在も出版されているという怪物的ロングセラー。タイトルも内容もケレン味なしの正統派です。でも、この名著は、今、本屋の棚の隅に追いやられていて、平積みされているのは、『~なほどよくわかる』『よくわかる~』なんて本ばっかり。最近の子供達が「わかり易さ」を何よりも追い求めている現れです。

 ところが、「無理」をしてでも、「わかりやすく」するというのはどういうことか。典型的な例が、例の「ゆとり教育」の円周率の話。「円周率=3」と教えりゃ、そりゃわかりやすいですよ。小数の理解もいらないし、「パイ」なんていう抽象概念もいらない。計算も楽で、子供達も喜んで受け入れる。でも、それで、何が得られるの?教室での子供達の「僕にもわかった」という自己満足だけなんですよね。これって一種の教育的詐欺でしょ。

 それに類する「わかりやすさ」を教えてしまう有名講師、結構います。ウチは、マジメさが売りの予備校なので、このタイプ、少ないと思いますが(他の教科のことは詳しく知らないので、「いない」ではなく、「少ない」と敢えて言っておきます)、他の学校まで見渡すとかなりいらっしゃるようです。追々、この手の判りやすさについて具体的に触れてみたいと思いますが、何にしても、ワタシにゃこの手の「無理」は出来そうにないです。性格的に、疲れるんですよ、他人を騙すのって。

 というわけで、無理をしないで済んでいる、今の「無名講師」状態は、ワタシにとって理想的なのです。このまま一生、無名でいられれば良いな~、と思う今日この頃なのでした。

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2006年1月19日 (木)

無名講師宣言その一

 どうやらワタシは、無名講師らしいのです。この仕事を十数年やって、つい最近気づきました。例えば、今年こんなことがありました。生徒さんが質問に来て、「先生の名前を検索したら、スキーのHPにしか出てきませんでした」。ゴモットモ。

 また、某巨大掲示板のウチの予備校の板を覗いてみることがあるのですが、ワタシの名前は、まず出てきません。「無名実力派講師」というスレッドにすら出てこない徹底ぶり。そりゃ「実力派」じゃないんだろ、と突っ込まれるかもしれませんが、これで、結構仕事の成績は出しているのです。つまり、ワタシは「無名実力派」という名の有名講師ですらなく、徹底的に「無名」になる資質を持った講師らしいのです。しかし、この「無名講師」というポジション、なってみると、結構魅力的なポジションなのです。

 まず、学校側に無理な仕事を押し付けられることがありません。予備校という所は、生徒さんのアンケートで人気のある講師に仕事がたくさん回ってくるのですが、生徒さんはたいてい、有名講師に甘い評価をするので、有名講師に仕事が集中します。すると、有名講師は、肉体的にも精神的にも無理を強いられることになり、心と体のバランスを崩しがちになります。ウチの予備校でも、有名さと心と体のマトモさを両立させているのは、ごく一握りのスーパーな人達でしょう。大抵は、どこかオカシクなります。

 例えば、これは、ウチの話ではありませんが、某大手の有名講師は、「オレみたいなスーパーな講師は、他の講師と乗るエレベーターを別にしてほしいよな」と他の講師にも聞こえるように公言してるそうです。心のバランスが狂ってます。つか、馬○丸出しんぽ。

 そもそも、有名志向が強すぎると、マトモではなくなるようです。教室へ入るなり、宙を見つめて、「私は神だ。受験の神なのだ!」と叫ぶ男。ミニスカートはいて来て落としたチョークをわさわざ屈んで拾い上げながら、「私は○○(教科名)の女神よ」と言う女。どう考えても、コワレテます。

 閑話休題。体のバランスを崩す人もいます。例えば、ウチの講師で、週五十時間の授業をこなした上、過労死したという伝説的な人がいます。また、週三十数時間の授業を担当しながら、深夜ラジオのDJまでこなした女性人気講師は、四十前に体を壊して引退しました。ちなみに、普通の講師の時間数は、週二十時間程度でしょう。ワタシは、臨時に一月ほど三十時間を越えたことがありましたが、コメカミの血管がヒクヒクしてくるのが判りました。

 では、続きは、なるべく明日。

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2006年1月17日 (火)

無名講師日記の始まり

 ども。Mumyoです。某大手予備校で古文の講師をしております。予備校屋です。

 このたび、ブログというものを作ろうと思いついてしまったのですが、実のところ、本人が全くブログというものを把握してない。ワタシはどうなるのでしょう、って感じですが、まー、いい加減な性格なので、とりあえず始めてしまいます。

 実のところ、同僚講師の方のブログに刺激を受けたり、個人的友人S氏がブログデビューしたりってこともあったのですが、それより何より、最近、自分の仕事や業界に関していろいろと思うところが増え、それに反して、自分の記憶力が低下していることに危機感を感じていたので、何か記録を残したいという思いに駆り立てられたのでした。

 世間様に読んでいただこうというダイソレタ欲望があるわけではなく、自分で読み返すことが主な目的の日記です。自分でイヤになったら、すぐ廃棄する予定でおります(って、オイオイ、廃棄ってどうやりゃいいんだい ~o~;;)。紀貫之『土佐日記』ではありませんが、「とまれかうまれ、疾く破りてむ」というところでしょうか。

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