無名講師宣言その二
ブログ始めたら、何故か風邪ひいちゃいました。
さて、無名であることのメリットの続き。無名講師だと、無理をしなくて済みます。逆に言うと、有名講師になり、それを維持するためには、ある程度無理しなければなりません。自分自身を無理にトンガラせるか教える内容を無理に個性的にするかです。
自分自身を個性的にするというのも、本当に元々個性的なキャラだったり、あるいはせいぜい派手な服を着るという程度なら良いのですが(どっちもワタシにゃ不適合なんですけどね)、どー考えても無理だろー、無理してるよー、という場合があります。
例えば、某私立文系に強いと言われている大手予備校での話。ある先生が授業中に差し入れのビールを飲んでホロ酔いで授業したところ、大ウケしてしまった。味をしめて毎時間ビールを飲むようにしたところ、他の講師がマネしだした。あわてたその先生、次の週には教室にラーメンを持ち込んで食べながら授業した。
って話を、同僚の講師から昔聞いたのですが、コレ本当なのかどうかねえ。ラーメン食いながら話できないだろ、と思うんですが、ただ、この某大手予備校は、目立った者勝ちという雰囲気なんで、さもありなんとその時は思ったんですが・・・。まー、何にしても、この手のことはオレにゃ無理だな~。
教える内容を個性的にする場合、二通りが考えられます。本当にその専門教科についてズバ抜けた力があって、それを披露するだけで生徒さんが恐れ入ってくれる場合と、そうでない場合です。
前者は理数系の先生に多いようです。やはり、理数系は本当に天才的な人っているわけで、大学の先生だって、若くして教授になったりするのは決まって理数系です。ウチの予備校などでも、本当に「天才的」な力を見せ付けて有名講師になっている方はいらっしゃるようです。人文系は、知識の積み重ねが大事なので、「天才的」なんてのは、あんまり考えられませんが、まー、それでも、知識の量が生徒さんを呆れさせるくらい凄かったりすると、このタイプもありえます。このタイプの場合、「無理」はしなくて良いし、そもそも、生徒さんのためになることが多いので問題ないのですが、我々凡人は、教える内容を個性的にしようと思ったら、後者の道を行くしかありません。この後者の道ってのがイバラの道なんですな。
まず、他の人以上にマジメに徹することで個性的であろうとする人達がいます。このタイプ、割と、ウチの予備校には多いです。このタイプは、どこがイバラの道かというと、個性は主張できても、生徒さんに受け入れられ難いんですね。つまり、有名にはなれても人気講師になり難い。昔は、このタイプの人が人気講師になったもんですが、最近の子供達で、マジメ一徹求道的授業なんぞを歓迎する子は、残念ながら少ないですね。
となると、次に考えられるのは、他の人以上に判りやすい授業をしようとすること。この場合、普通のことをやっていてもダメです。何故なら、もともと予備校講師は、全員、判りやすさを目指しているから。そこで、多少の無理をしてでも判りやすくしようということになります。また、これが最近の生徒さんには受け入れられやすいんですな。
今、本屋さんの参考書のコーナーに行くと、「わかりやすい」「よくわかる」という言葉が溢れています。どうも、そういうタイトルをつけないと本が売れないらしい。昔の参考書のベストセラーは、そうじゃなかった。例えば、昔の古文のベストセラーといえば、『古文研究法』(小西甚一著)。昭和三十年初版で、まだ現在も出版されているという怪物的ロングセラー。タイトルも内容もケレン味なしの正統派です。でも、この名著は、今、本屋の棚の隅に追いやられていて、平積みされているのは、『~なほどよくわかる』『よくわかる~』なんて本ばっかり。最近の子供達が「わかり易さ」を何よりも追い求めている現れです。
ところが、「無理」をしてでも、「わかりやすく」するというのはどういうことか。典型的な例が、例の「ゆとり教育」の円周率の話。「円周率=3」と教えりゃ、そりゃわかりやすいですよ。小数の理解もいらないし、「パイ」なんていう抽象概念もいらない。計算も楽で、子供達も喜んで受け入れる。でも、それで、何が得られるの?教室での子供達の「僕にもわかった」という自己満足だけなんですよね。これって一種の教育的詐欺でしょ。
それに類する「わかりやすさ」を教えてしまう有名講師、結構います。ウチは、マジメさが売りの予備校なので、このタイプ、少ないと思いますが(他の教科のことは詳しく知らないので、「いない」ではなく、「少ない」と敢えて言っておきます)、他の学校まで見渡すとかなりいらっしゃるようです。追々、この手の判りやすさについて具体的に触れてみたいと思いますが、何にしても、ワタシにゃこの手の「無理」は出来そうにないです。性格的に、疲れるんですよ、他人を騙すのって。
というわけで、無理をしないで済んでいる、今の「無名講師」状態は、ワタシにとって理想的なのです。このまま一生、無名でいられれば良いな~、と思う今日この頃なのでした。
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