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2006年2月28日 (火)

解答速報のちょっとした不測の事態

 今年の解答速報で、ちょっとした「不測の事態」が起こってしまいました。と言っても、実は、予測していたことなので、厳密には「不測」ではないのですが・・・。某W稲田大の某S経学部が、またやってくれたということです。今年度の古文問題の問六は、三大予備校の解答速報の解答例が全部違っています。某文系私立に強いとされているゼミがイ、ウチがハ、もう一つの大手が二。

 これは一体どういうことなのかというと、まず、間違えなく言えることは、このようにプロの予備校屋が自分の信頼の掛かった場で発表した解答が食い違っていたら、それは、出題者側に問題があるということです。つまり、我々は、それぞれに人を納得させるだけの根拠を見出して解答例を選んでいるわけで(そこは勘で解いている受験生と違います)、三通りに解答例が割れたとしたら、三通りの根拠が存在しているということです。三通りの解答の根拠の存在する問題って、やっぱマズイっしょ。

 さて、それを前提に今年のS経学部の問六にだけ絞って言うと、やはり、某私立文系に強いとされているゼミの選んだイは変でしょう。明らかにイを否定できる根拠を我々は持っています。一方、もう一つの大手の選んだ二は、微妙です。我々も、ハか二かで大分迷いました。んで、どちらを選んでもそれなりの理屈はつくんだけど、取りあえず、ってことでハを解答としました。

 このような場合、イを選んだゼミはちょっと気の毒です。というのは、解答速報の発表が一番早いから。多分、そうとう急いで解かされているのでしょう。だから、ミスが多くなります。我々ともう一つの大手は、比較的時間が与えられるので、ゆっくり検討出来、間違えも少ないのです。だから、その二つの解答が食い違うってことは、相当マズイのです。

 我々は、もう一つの大手の先生が二を選ぶ根拠を理解しています。一方、もう一つの大手の先生も、我々がハを選択した根拠を理解しているはずです。お互いに判ってるんだけど、どっちかと言えばこっちかなー、という感じで解答例を選んでいるのです。そういう判断をプロにさせるということは、出題者側の責任でしょう。今度の場合、選択肢が紛らわしすぎたのです。難問を作る能力のない出題者が、無理して難易度を上げようとすると、こういう問題が起こってきます。困ったことです。

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2006年2月27日 (月)

波乱万丈

 いやはや、昨日は波乱万丈でした。

 まず、一昨日の夜のアキラ、残念でした。曇り空で斜面が見えなかったとのことでしたが、実は、アキラはインスペクション(コースの下見)をほとんどしないレーサーとして有名なのです。レーサーは普通、これから滑るコースを全部、目をつぶっても思い浮かべられるくらい入念にインスペクションをするのですが、アキラはほとんどインスペクションせずに、その場での目で見た反応で滑る珍しいタイプなのです。もしかして、そのことが影響したかも。

 んで、昨日の自分のレース三日目。あーーー、根性のない滑りをしちまったい。三日間のレースの中で、最もワタシの好きなタイプの素直な高速セットで、スタート順も悪くなかったってのに。ワタシとしては珍しく、スピードに負けて板を横にしてしまいました。それが情けない。

 でも、スーパー大回転大会の最終日ってのは、なかなか良いものです。スーパー大回転というのは、一般人が行うレースとしては、かなりハイスピードになります。そのため、閉会式の大会関係者の挨拶に、「今年も死人を出さずに済みました」という冗談が出るくらい、ちょっと危険も伴う競技なのです。んで最終日のレースが終わると、三日間の緊張から全員が解き放たれて、ホントに和気藹々、盛り上がるんですよ。そこがスーパー大回転大会の一番良いところです。

 さて、自分のレースが終わって、ワタシがホームゲレンデとしている新潟県八海山のペンションにもどってみると、ナント、友達のモーグラー、タクヤが全日本モーグル選手権で八位に入賞したという報せ。コイツ、実はまだ15才なんですよ。まだ中学生のくせしやがってトリノ帰りの三人が参加した大会で八位!トリノ代表の尾崎快に勝っちまった!

 トリノが終わったばっかりなのに、もう話題はバンクーバーなんですな。~o~

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2006年2月25日 (土)

レーサー講師はツライよ

 今日は、国立大二次試験でした。ワタシも某東北大の解答速報の仕事がありました。昨日、野沢温泉のレースの「初日」と書いたのに、今日、仕事ってのはどういうことかというと、つまり、昼の12時くらいまで野沢温泉二日目のレース、昼頃にゲレンデから上がってきて長野まで車を飛ばし、新幹線で東京へもどって解答速報の仕事をこなして、夜の新幹線でまた長野へとんぼ返り、明日はレース三日目、ってことですね。今、長野行き新幹線の中です。~o~

 さて、その東北大の二次ですが、難しかったです。今年あたり、もっと簡単になるものと予想していたので、ちよっと驚きました。今年の東北大二次の古文は簡単になるかも、というワタシの言葉を信じていた諸君、スマン。「スマン」では済まんが、「スマン」というしかないので、スマン。~o~;;

 でも、設問のポイントになっている単語や文法事項等は、授業で教えたものばかりなので、きっと、ワタシの教え子達は出来たものと思う、つかそう信じたいんだけど、どうでしょ。

 さて、今夜は、ワタシの一押し、アキラの登場です。こちらもどーでしょうかね~。

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2006年2月24日 (金)

レーサー気質

 今、野沢温泉という所に、スーパー大回転のレースに来ています。まー、草レースってヤツですが、でも、「草」にしちゃ大きい大会です。んで、たくさんの素人レーサー達と接しているんだけど、レーサーってホントにマイペースな人達なんですよ。マイペースという点では、典型的B型と言われているワタシは、周囲から見るとマイペースの極みだと思うのですが、レーサー達はみんなワタシと同等のマイペース人間です。

 例えば、今、宿舎が他のレーサーと相部屋なのですが、ワタシもルームメイトも決して相手のペースには合わせません。別に仲が悪いわけではないけれど、それぞれがマイペースで動いてます。レースって、決められた出走時間にスタート地点に行き、滑り終わるまでは、全く孤独です。誰も面倒みてくれないし、誰も助けてくれません。ただ、時間だけが相手なのです。そのために、それぞれのレーサーは自分のペースでレースの一日を送らざるをえないのです。ちょうど、受験生みたいなもんですかね。

 マイペースを守りきれないレーサーは失敗します。ワタシの教え子達も最後の何日かを上手くマイペースで過ごせると良いんですが・・・。

 ちなみに、今朝のフィギュアスケート、見てしまいました(荒川さんも良かったけど、村主さんもメダルに価する演技と思ったのは、ワタシだけではないはずだ)。今日がレース初日だってのに、ちと、寝不足。こんなんじゃ競技者としてはマズイんだよね。~o~

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2006年2月23日 (木)

筆者の品格~『国家の品格』藤原正彦

 昨日、某W田大の解答速報がありました。ところが早く終わり過ぎて、夜の授業まで五時間も間があいてしまったため、本屋さんに行ったところ、いま売れセンの本、『国家の品格』が目に付いたので、午後は喫茶店でずーっと読書。んで、感想。「国家の品格はともかく、筆者や出版社の品格はどーなんだ?!」

 実は、購入の段階から、イヤな予感はしていたのですよ。例の超ベストセラー『バ○の壁』の二作目のとなりに平積みされていたので。この『○カの壁』というベストセラーに関しては、ほーーーーーんとに騙されて買って読んじゃった。この本に関しては、もー触れるのも面倒なんだけど、かなりの数の日本人が騙されたと感じていると思うので、今さら書かなくても良いですよね。本当に読者をバカにした本です。こんな本の執筆者になっている人間もどうかと思いますが、出版した会社も・・・。んで、『国家の品格』って同じ新○新書なんだよね。

 まず、この講演記録を本にしちゃうスタイル。売れたんだから成功したことになるんだけど、なんか、読者をバカにしてませんか。口語体の文章で判りやすく、は結構なのですが、口述筆記スタイルの『バカの○』の「失敗」からも判るように、繰り返しが多くなり、内容が薄くなるんですよね。『バカ○壁』なんて、帯に書いてある一言で内容おしまいだもんね。『国家の品格』は、まーそれほどヒドくないけど、でも、やっぱり内容薄いな~。思いっきり内容薄くしてわかり易くすれば今時のおバカな読者には売れるだろってことですか。内容より儲かりゃ勝ちってことですね。

 そういうコンセプトの新書なんでしょうが、「品格」のない商売ですねえ。つか、そういうのって、この本で正面きって否定しているアメリカ的な発想なのでわ?!

 さて、その肝心の内容なのですが、結構良いことも言っています。つか、大半の内容に関しては大いに頷かされたと言っても良いと思います。アメリカ的な論理と合理性を否定して、日本的な「情緒と形」の思想を取り戻そうという趣旨は良く判るし、著者の豊富な欧米体験や教養に裏打ちされたアメリカ的論理の否定は説得力あります。しかし、肝心の日本文化を持ち上げる所が、どーも貧弱なんだよな~。なんか、日本かぶれした欧米教養人みたいな人なんだよね、この筆者。

 なにしろ、「世界に冠たる日本文学」「日本のあらゆる学芸の内でもっとも優れているのは文学です」なんて、日本文学を持ち上げてくれるのは大いに結構なんだけど、「谷崎潤一郎訳の『源氏物語』全十巻は今も本棚に飾っており」って、オイオイ、つまり、読んでないってことかい!「世界に冠たる」とまで言っておきながら、「潤一郎源氏」さえ読んでないのか。もちろん『源氏物語』原文は読んでないんだろ。なんだかな~~~。

 『源氏』のない日本文学なんて、ホリエモンのいないライブドアみたいなもんですよ。「堀江さんて人は知りませんが、ライブドアは素晴らしい会社です」って言われても困るんだよナ。

 「武士道」に関しても、なんかアヤシゲですねえ。いろいろアヤシイんだけど、例えば、「武士道」の中心的思想として、「日本人は万葉の時代どころか、想像するに縄文の時代ですら、『卑怯なことはいけない』『大きな者は小さな者をやっつけてはいけない』といった、皮膚感覚の道徳観、行動基準を持っていたのではないか」って言ってるけど、コレ、どーやって判ったんだ???

 また、日本史の知識もアヤシイ。この人によると、盧溝橋事件も日独軍事同盟も、武士道の衰退による弱い者いじめだってことなんだけど、じゃあ、征韓論唱えた西郷隆盛はどーなるの?アレって、武士による「弱い者いじめ」じゃなかったのかあ?「他のアジアの国は全部植民地になりました。日本は品格ある国家であったが故に、植民地にならずに済んだのです」なんてのに至っては、もー言わずもがな。

 「よく知らないことはむやみに口にしない」ってのも、多分、日本的美徳だと思うんだけどね。日本的美徳を説くのであれば、もっと日本文化について勉強してください。そうしないと、こんな予備校屋風情にさえ、「筆者の品格」を疑われることになりますヨ。

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2006年2月22日 (水)

多分誰かが間違えた

 今朝ほど、半分寝たままトリノ五輪の女子フィギュアスケートショートプログラムを見てしまいました。んで、その感想。”誰かが間違えてるナ”。

 ワタシは、別にフィギュアスケートの芸術性とかは信じてないし、特にスケーターの表現力云々という話も、どーかなーと思っていたのだが、今日の村主章枝選手の演技には、ちょっと驚かされました。もともと村主章枝って人は、バカっぽく口を開けてインタビュー受けるお姉さんだと思っていたのですが、演技始まるやいなやのあの顔の締まり具合に、まずハッとさせられました。続いて、コンビネーションジャンプの後の一瞬の身を捩る切なさの表現や一分半頃のシークエンスの無表情さの表現にオドロキ。そして一番目が覚めたのは、ダブルアクセルの着氷とピタリ同時に劇的に曲想が変化したこと。続いて激しくかき鳴らすギターに合わせて片手を挙げたスピンから変化した背中を丸めたスピンの背中の曲線に篭められた鬱屈した情熱はどーよ。アレは、舞踏家の表現だろー。たかがスケーターのやるこっちゃないよ。

 彼女の身体演技の奥深さに不覚にも涙が出そうになった自分に驚きました。こりゃ絶対トップに立つなと思ったら、意外な得点。アレが四位なのか?!

 サーシャ=コーエンだのスルツカヤだの荒川静香だのの演技は、曲にだいたい合わせてスケートの技術を見せていただけだが、村主はピタリ曲想を表現して舞っていたのではないでしょうか。あの演技が四位なら、そりゃ誰かが間違っている。ジャッジが間違っているか、さもなきゃスケート技術を見せる場で舞踏を見せてしまった村主が間違っているか。

 それは、多分、村主さんの方の勘違いなんだろな~と思いつつ、でも、こういう勘違いがあるからオリンピックは感動の場になるんだよなと思ったりしたのでした。リレハンメル五輪で、『花は何処へ行った』を舞ってしまったカタリナ=ビットの時のように。

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2006年2月20日 (月)

アキラはやるよ!

 トリノ五輪、日本選手団苦戦が続いているようですが、きっと、アルペン回転の佐々木明がやってくれます。今日の大回転は、日本アルペンスキー界の鬼門で、有力選手を出すことすらできないでいるので、アキラと言えども上位進出はありえませんが、アキラの本職、回転ならいっちゃいますよ。

 アキラについて、特に個人的知り合いというわけではなく、NZのスキー場で我々のコーチと話しているのを何回かそばで聞いてるという程度なので、たいして特別な知識があるわけじゃないけど、その少ない知識を総合してみても、ホントにぶっ飛んでる子です。所謂「天然系」で、しかも天才。本人も「オレ、天才系」って言ってるくらい。技術的には本当に天才です。でありながら、普段はホントにノホホンとした兄ぃちゃん。アルペンレーサーにありがちなストイックなところがな~んにもない子です。

 しかし、本当にスキー好き。アルペンレーサーって、ポールトレーニング(雪上での旗門を立てた練習)のない日は、コントレ(雪のないところでのコンディションを維持するための軽いトレーニング)か休養に当てるものなんだけど、アキラだけは、フリースキーに行っちゃう。ホントにスキーが好きな子なんですよ。しかも、いろんな遊びのスキー。なにしろ、トレーニングが休みの日に、飛び系のワンメイクジャンプの素人大会に出て賞品ゲットしてきたりする。レーサーは普通、そういうことは怪我を恐れてやんないもんなのに。今までの日本選手の常識が全く当てはまらない子です。

 目立ちたがり屋なので、今回の日本選手団の不振も、全くプレッシャーにはなっていないはず。「しめた。ここで金メダル取ると、オレ、目立てるじゃん」くらいの能天気なことを考えていることでしょう。アキラのレースは注目です。

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2006年2月19日 (日)

簡単な予備校屋の作り方

 予備校屋という商売、実はとても簡単になれます。なにしろ、資格が全くいらないし、なる時にはあまりうるさいことも言われません。ウチの予備校の場合だと、結構キビしいペーパーの採用試験があるけれど、中小の予備校だと、履歴書出して面接受けるくらいで、アキがあれば採用されます。一旦、なってしまえば、後は生徒さんの人気次第で、採用試験の厳しくない大手へなら移籍することも可能(つまり、ウチへは不可能)。楽なモンです。

 でも専門知識が必要でしょ、と二の足を踏むアナタ。大丈夫。他の教科はともかく、古文なら、専門知識もいりません。今や、主な古典作品には、ほぼ全てに判り易い注釈書があり、現代語訳もついています。注釈書読んで予習し、超基本的な文法事項をマスターすれば、とりあえず授業は出来ます。もちろん、超基本文法と注釈書の訳と説明だけでは時間が余りますし、子供から不満も出ます。そこで何か余談をする必要がありますが、子供にウケを取る余談なんて、それほど難しくありません。舌先三寸の勝負です。例えば、アナタが何か特殊な経験の持ち主なら、それを面白くアレンジして話せばOK。自殺未遂体験やホスト体験、自衛隊入隊体験、暴走族体験、暴力団員体験、なんかがあればカンペキですが、世界を放浪した体験くらいでも大丈夫でしょう。また、アナタが容姿に自信のある女性なら、さらに簡単。子供達は、「美人講師」に極端に弱いのです。その際、多少、肌が荒れてようが、年齢が高かろうが大丈夫。子供達は遠目からしか見ないし、化粧と派手な服で十分にカバーできます。あとは話術さえちょっと磨けば、アナタも立派な人気予備校講師になれます。

 注釈書のない問題文が出てきたらどうするかって。それも大丈夫。そんな問題は、やらなければ良いのです。「こんな問題受験には出ない」と言えば、子供は納得します。なにしろ、子供達は、実際の受験問題なんてロクに見ていません。「こんなものは出ない」と自信たっぷりに言い切ってしまえば、簡単に騙されてくれます。また、一旦人気講師になって学校内で力を持てば、難しい問題をテキストから外すという荒業も使えます。

 そーやって、人気予備校講師になってる人、実は世間を見回すと結構いるんですよね(ウチみたいな堅いとこだと無理だけどね)。また、そういう人がよく売れる参考書なんかを書くんだよな~。困ったモンだ。~o~

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2006年2月18日 (土)

日本語が乱れたって良いじゃん

 よく、「日本語の乱れ」ということをやたらに言い出すオヤジがいます。曰く「最近の日本語は乱れている」。でも、その「乱れ」がなかったら、現代語は生まれていないんですがね。「乱れ」がなかったら、我々は、いまだに「係り結び」なんかしてなきゃいけないわけで・・・。

 だから、「ラ抜き言葉」なんかだって、やたらに「乱れ」と言って切り捨てて良いのかどうか、疑問なわけです。上一段動詞、下一段動詞に<可能>の「られる」をつける時に、「ら」を抜くヤツですね。「見られる」を「見れる」というような。あれって、五段活用動詞に付属する可能動詞(「書く」「読む」に対する「書ける」「読める」)に対応するものとして生まれたのだろうから、簡単に「乱れ」と言って排除してしまうわけにいかないんですよね。可能動詞が生まれた江戸の後期あたりからの流れとして、必然的な変化と言っても良いわけです。

 つまり、助動詞「れる・られる」の持つ四つの職能<受身・尊敬・自発・可能>は、いかにも誤解を生みやすいものなので、<可能>が独立の形を持ちたがるのは、言語の機能を考えてもまっとうだと思うんですよね。「見られる」と言った時に、”他人に見ることをされる”のか、”エライ人がご覧になる”のか、”自然と見てしまう”のか、”見ることが出来る”のか”判断がつきにくいのは、不便ですもん。だから、五段動詞に対して可能動詞が生まれたのは必然なわけですし、可能動詞が生まれた以上、上一段、下一段動詞に対しても同様の意味を持つ「ラ抜き」の形が生まれるのは、また必然なんですな。

 その言葉の歴史的変遷や、その言葉の生まれた経緯を何も考えずに「乱れ」を議論するのは、本当はおかしなことなんだけど、何にも知らないしろーとのオヤジほど、「最近の若い者の言葉は乱れている」ってやりたがる。困ったもんです。「日本語の乱れ」なんて大きなことを言いたかったら、せめて『日本国語大辞典』くらい引いてからにしてくださいヨ。~o~;;

 しかし、答案に「ラ抜き」を書くのは、まだマズイんだよな~。まだ一般的には、誤用と考えられているから。だから、「見れる」なんて書いてある答案みつけると、「あと五十年くらい経ってからにしなさい」って指導したりするワタシなのでした。~o~

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2006年2月16日 (木)

モノガタリの喪失その三

 モノガタリは何故失われていったのでしょう。これ、実はワタシにもよくわかりません。

 例えば、牛若丸の話、ワタシ自身は、どのようにして知ったか、まるで記憶がないのです。多分、絵本か何かで見たのだと思うけど、TVで見たのかもしれない、もしかすると、母親が話してくれたのかもしれないし、幼い時に父親に連れられて行った京都で、観光バスのガイドから聞いたのかもしれません。

 これは、牛若丸の話に限らず、そういうお話ってたくさんありますよね。例えば、かぐや姫の話、いったい初めて知ったのは、何時どこでのことだったでしょう。記憶にありますか?

 多分、我々がそれらの話を初めて享受した「ソコ」が、現在の社会から失われつつあるのではないでしょうか。「ソコ」が何処なのか、追究しようとしても多分答えは得られないでしょう。覚えていないんだもん。それなら、我々は、あらゆる機会を捕らえて、子供達に自分が受け継いできたモノガタリを語り継いでいくか、あるいは、子供達がそれらを享受できる機会を提供してやるしかないのではないでしょうか。要するに、天然で育たないなら、人工的に養殖してやるしかないのでは。

 とりあえず、絵本。『おでんくん』も『ぐりとぐら』も、『あらしのよるに』も良いけれど、その中に『日本むかしばなし』も一冊入れといてくださいナ、世のお母さん方。~o~

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2006年2月14日 (火)

モノガタリの喪失その二

 「由々しき問題」などと大仰なことを書いてしまいましたが、早い話がこういうことです。日本人は判官びいきだなどと言われますが、牛若丸のモノガタリを知らない子供は判官びいきに成り得るだろうか、ということなんです。

 もちろん、判官びいきにならなくたって何の支障もなさそうだし、また、牛若丸の話を知らなくても、何らかの経験から判官びいきになる子供もいるでしょう。だから、「判官びいき」という個々の事象にこだわった話なのではなく、もっと一般的な話として考えてください。

 例えば、ボルネオの密林に住む人々は、長老から密林に住む精霊のモノガタリを聞き、モノガタリを通じて、森=精霊の世界/村=人の世界 という分節された世界観を手に入れることでしょう。そこに、森の精霊のモノガタリを受け継いでいない子供が紛れ込んだら、周囲と違う世界観を持った彼は、村社会の中で上手く生きていけるでしょうか。また、そのような子供達が増えていったとしたら、村社会は今まで通りに運営されていくでしょうか。

 牛若丸の話に代表される民族的に伝承されたモノガタリの喪失は、もしかすると日本人的世界観、日本人的心性の消滅につながっていくのではないかと思うのです。

 まー、そんな大げさな話じゃなくても、モノガタリを持たない子供の増加によって、古文の出来ない子は、確実に増えていくでしょうし、その子供達が大人になった時、「最近の若いヤツらには、話が通じない」とこぼすお父さん達が増えていくことでしょう。さて、その後どうなっていくかは・・・、予備校屋の考えることじゃねーか。~o~;;;

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2006年2月13日 (月)

モノガタリの喪失

 昨年の秋のこと。ある国公立志望文系のクラスで生徒さんに質問したことがあります。最初に断っておきますが、このクラスは、四十人ほどの少人数ながら、某国立大学志望者が多数をしめるクラスで、ウチの予備校でも、かなり国語の出来るマジメなクラスです。

 「義経と弁慶が京の五条の橋の上で対決したという話を知っていない人、手を上げてみてください」。

 この質問に、八人ほどの生徒さんが挙手しました。全体の二割ほどです。この事実に、ある年齢以上の人は衝撃を受けるのではないでしょうか。というのは、この話、我々の世代だったら、まず99%の日本人が知っているであろう話ですから。

 現在、若者の間から、日本人が語り継いできたモノガタリが失われていっています。これは、若者が本を読まないとか、不勉強だとかというのとは次元の違う話です。なぜなら、我々の世代の誰もが、このテの話は本で読んだわけでも、勉強したわけでもないからです。何かの機会に、ごく自然に、上の世代から伝えられてしまったモノガタリなのです。日本人の常識なのです。我々の祖先が営々と伝承し続けてきた日本の文化なのです。それが今、若者に伝えられていない、これは由々しき問題なのではないでしょうか。

 予備校講師的に言うと、このテの話が語り伝えられていない子は古文が出来ません。何故なら、話の展開を予見できないから。我々は、物語文学や説話の類を読む時、必ず、展開を予見しながら読んでいます。それは、物語文学や説話が、決まった話型の上に乗って展開していくからです。何の予見もなしに物語の類を読んでいったら・・・。あらゆる展開の可能性を検討しながら読み進めることになるので、非常に時間がかかります。古文の出来ない子というのは、案外、「予見」の能力のない子供だったりします。

 でも、そんな予備校的なこと以上に、このことは由々しき問題のはずです。が、それはまた明日にでも。

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2006年2月12日 (日)

アイコの敗因

 昨夜、トリノ五輪モーグル女子がありました。友達のモーグル選手タクヤ(全日本のランカーです)と一緒にTVを見ていたのですが、タクヤが言うには、トリノのコースは、Wカップレベルのモーグルコースとしては簡単なのだそうです。それで予選の始まる前に、「今日はエア勝負になるよ」とのこと。コースが簡単だと、ターンでのミスが少ないから、エアを完璧に決めた者の勝ちになるのだとか。

 実は、基礎スキーの方でも、簡単なバーンで競技が行われると、勝負所が難しくなることがあります。滑り降りるだけなら誰でも出来るとなると、上手さをジャッジに見せるのはとても難しいのです。ジャッジに対してアピールするポイントを自分で決めて、それを中心に作戦を立てねばなりません。

 上村選手の敗因も、多分、それと関係があるのではないでしょうか。コースが簡単なので、エア勝負ということになれば、普通に考えると、女子選手随一の3Dの完成度を持っている上村選手有利です。本人がそれを自覚した時に、”自分は第二エアの3Dで勝てるのだから、そこまで慎重に行かなければ”という気持ちが芽生えてしまったのでしょう。そのため、第一セクションの滑りがいつもより慎重になり、スピードが乗らないまま第一エアを迎えてしまい、結果、第一エアのヘリコプターが小さくなってしまった・・・。

 簡単なコースというのは、勝負に於いては、実はとても難しいのです。受験問題も全く同じだと思います。問題が例年より簡単になった時というのは、実力以外の要素が勝負を分けやすいものです。問題が簡単な時ほど、実力のある者は注意しなければならないのです。

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2006年2月10日 (金)

ワタシは携帯が嫌いだ!

 みなさん、ワタシは携帯電話が嫌いです。携帯電話が大嫌いです。携帯なんてなくなってくれれば良いと思っています。

 理由の一つは昨日述べましたが、コミュニケーションの手段のくせに、世代間コミュニケーションを阻害するツールだからです。しかし、携帯の罪悪はそれだけではありません。携帯の電波は、心臓のペースメーカーに悪影響があると言われています。にもかかわらず、公共の場で平気で使われています。携帯の使用を控えるようにと言われている場所でも、人々は携帯の使用を止めません。携帯に魔力があるからです。携帯が本当に心臓のペースメーカーにどの程度影響するのかがハッキリ検証されていないにもかかわらず、携帯の使用を控えろと言われているシルバーシート付近で、堂々と携帯でメールしているOLなどは、BSEの危険性がハッキリ検証されていない段階で牛肉を無理矢理売り込もうとするアメリカ農水省と同じです。うっかりすると未必の故意による殺人になりかねません。ひ・と・ご・ろ・しっ!。

 しかも、携帯は携帯を所持しない人間には、耐え難い迷惑を与えます。よく、電車の中で化粧する女子高生に対して、怒る人がいますが、そんなオヤジに限って電車の中にもかかわらず、携帯使って大声で話しをします。仕事の連絡か何か知りませんが、う・る・せー・ん・だ・よ!携帯取り上げて窓から放り出し、テンプルに、必殺、右のコークスクリューブローをお見舞いしたくなります。ワタシが移動の途中の睡眠をむさぼっている新幹線の座席で、前のサラリーマンの携帯がケタタマシク鳴り出すことがあります。思わず、後ろから脳天に肘打ちかまして、チョークスリーパーで絞め落としてやりたくなります。スキー場の宿で相部屋になったヤツの携帯が夜中の三時に鳴り響いたこともありました。もー、怒りで目の前が真っ暗になり、×××を×××した上、××を×××して、×××したくなります。

 さらに腹立たしいのは、あの簡単携帯とかってヤツのCM。携帯を持っていない人間を、脳みそ劣化した機械に弱いダメ人間の如くに扱っているあのCMを見るたびに、へそ曲がりのワタシは、携帯なんぞぜーったいに持たないぞ、持ってやるものか、と決意するのでした。別に、ワタシは機械に弱いワケではありません。ホラ、その証拠に、こうやってPC使いこなしてブログも書いてるじゃありませんか。ブログが文字ばっかで写真もないのは何故かって。そんなこたぁーねえ、まー、つまりぃー・・・。

 とにかく!ワタシは、携帯が、き・ら・いなのです!携帯が大嫌いなのです!携帯電話よ、滅んでしまえーーーーーーい!!

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2006年2月 9日 (木)

携帯禁止令

 中教審という所で、小中学生の新しい教育指導要領の方針が打ち出されたのだそうですが、テーマが『国語力』なんだそうで「言葉のチカラ」を高めることが目標なのだとか。そこで、文部省のお役人さんに提案があります。小中学生対象で結構なので、携帯電話所持の年齢を法律で規制しませんか。

 きっと何を言っているのか判らないと思いますが、現場で子供に接していて、感じた切実な実感です。最近の子供達は「言葉」を知りません。そりゃ最近に限ったことじゃないと思うかも知れませんが、最近の特に顕著な傾向として、当たり前の会話で使用する言葉を知らない子が増えているのです。

 例えば、こんなことがありました。ある英語の先生が英文の和訳で「お勘定を払う」という訳をつけたんだそうです。そうしたところ、授業後質問があって、「先生、あの『お勘定』って何ですか?」っていうんだそうで。その先生、ちょっとアセって、これこれだと説明したところ、「なーんだ、先生、それは、『お会計』っていうんですよ」。これウチの予備校での実話です。

 この話、つまりこういうことだと思うのです。「お勘定」は我々にとってごく普通の語彙です。ところが子供(それも質問に来る子ですから、マジメな子です)に通じていないというのは、「お勘定」が彼らの仲間内で使用する言葉ではないからでしょう。彼らの出入りするコンビ二やジャンクフード系の店では、全てマニュアルが「お会計」になっているはず。従って、彼ら自身が「お会計」という言葉を好んで使うのは無理ありません。しかし、以前だったら、そんな子供達でも大人の使う「お勘定」という言葉を知っていたはず。なぜこんなこんなことが起こっているのでしょう。

 ここからは、ワタシの推測なのですが、彼らと大人とのコミュニケーションが希薄になっているのではないでしょうか。人間は、正常な精神状態であれば、他者とのコミュニケーションなしでは生きていけません。だから、子供達も、周囲の人間とコミュニケーションを取らざるをえず、その過程で言葉をおぼえていくのです。しかし、少年少女期に特定の仲間とのコミュニケーションが異常な密度になってしまったら・・・。外部とのコミュニケーションを必要以上に取らなくなるんじゃないでしょうか。そして、「異常な密度」のコミュニケーションをもたらしているのは、もしかして携帯電話ではなかろうかと思うのです。

 まー、難しいことを言わずとも、”携帯で友達とおしゃべりしてるのと大人と会話しているのではどちらが言葉をおぼえるか”を考えりゃ明らかですよね。だから、友達とのおしゃべりが過剰になってしまう携帯というツールを制限すれば、大人とのコミュニケーションが増加して、言葉をおぼえてくれるのではないかと。

 まー、こんなことを考えるワタシは、当然ながら”携帯嫌い”です。それについては、また明日にでも。

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2006年2月 7日 (火)

スキー三昧

 昨日、高三卒相手の、今年度の最後の仕事が終わりました。これからはワタシにとってはスキー三昧の季節です。

 この時期の予備校講師は、世間的には忙しいものと勘違いされたりもするのですが、実は、ムチャクチャ暇なのです。なんせ受験生は予備校になんて来ない季節だもの。仕事といったら、高一二生相手の授業とテキスト作成、解答速報くらいです。このうち、テキスト作成などの仕事が大量に入ったりする人もいるのですが、ワタシは無名講師なので、そんなのはごくわずか。高一二生の授業も週一コマだけ。とすると、残りの時間は、ひたすらスキースキースキー。~o~

 三月の下旬までの一月半ほどは、ほぼ毎日スキーの日です。通常、社会人の場合、年間で五十日も滑ったら、それはかなりのスキーマニアと言えるのですが、ワタシは、年間で滑走日数が百二十日を突破します。自分で言うのもナンですが、もー、天下御免のスキーバカ。なんせ、週に一回の高二生の授業の日さえ、昼間ゲレンデで滑った後、新幹線で新潟から通勤したりしているのですから。

 そんなワタシにとって、この無名予備校講師という仕事は、ホント天職なのです。唯一の問題点は、予備校講師は、基本的に時給制なので、仕事が無い=収入が無い、であることか。つまり、このスキー三昧の季節というのは、一時的失業の季節でもあるのでした。~o~

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2006年2月 6日 (月)

移籍

 同僚で他教科の人気講師が数人、準大手で学校法人ではない会社組織の予備校に移籍しました。以前から、大手予備校の人気講師を引き抜いて(あるいは、なんらかの事情で大手にいられなくなった人気講師を引き取って)、それを看板講師として派手にやっている所です。各教科に時給の高い看板講師数人を揃え、その人達のネームバリューで無知な生徒さんを大量に勧誘しては、効率的な衛星授業やあるいは時給の安い粗悪な講師の授業でモトを取ろうという商売。まー、商売として判らなくはないけど、やってて空しくないんですかね。

 ウチの事務方の人達は、今や決して良い待遇とは言えない仕事だと思うのだけれど、結構、プライドをもってやっているように思います。それは、教育産業に携わっているというプライド。「産業」ではなく「教育産業」。確かに、時々、「教育」を忘れる人達ではあるけれど、でも根本のところに「教育」がプライドとしてあるように思います。「教育」がなくなっちゃって、ただの「産業」になったら、この予備校屋という商売はムナシイぞ。

 同様に、我々、講師も教育産業というプライドを持っています。ただの「産業」ではなく「教育産業」。やっぱりただの「産業」と考えたら、この仕事はムナシイです。要するに、子供騙して金儲けしようと思ったら、この商売簡単です。だけどムナシイだろ、ソレ。赤子の手をひねるとは言うけれど、受験生騙して金出させるのなんて、寝たきり老人の死に金毟り取るのとあんまり変わらないぞ。ム・ナ・シ・イ・だ・ろ、ソレ。

 ましてや、予備校をただの「産業」だと思っている人達のために、ただの「看板」に成り下がるのは、ムナシイどころではありません。時に「人間」であることすら、放棄せざるを得ないのではなかろうか。

 我々は、教育産業ですから、どんなに忙しい人気講師でも、教育者として生徒さんに接する時間を持てます。直に彼らの存在に触れ、悩みを聞き相談に乗り、あるいは自分の人間としての理想や思想を語り、彼らを触発し育てる、要するに人間的な喜びを持てます。無責任でいい加減なワタシですら、結構、教育者としての喜びを感じたりもしているのです。でも、ただの「看板」になっちゃったら、そんなこと出来るのか?「看板」は、忙しくあちこちの校舎を飛び回り、衛星授業のカメラを相手にムナシイ独り言授業をして暮らすんじゃないのか。ム・ナ・シ・イ・だ・ろ、ソレ。

 だいたい、そんな生活になったら、スキーする暇ないぞっ!

って、まー、そんなこと考えるのはワタシだけか。~o~

 何にしても、そんな人生を過ちそうなオファーの来る有名講師という存在になるのは剣呑なことです。オファーの来ない無名講師であることに喜びと誇りを感じておこうと思うワタシなのでした。それに何といっても、無名講師であることでワタシは、思う存分スキーできる・・・、ってわけで次回は、無名講師がスキー三昧できる理由を語ろうかなっと。~o~

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2006年2月 5日 (日)

的中!

 二、三日前のこと。今年度の浪人生の子が嬉しそうにやってきて、「今日受けた試験で、先生の担当教材の最後の問題文がそのまま出題されました!」と報告してくれました。所謂「的中」ってヤツですね。

 この「的中」ってヤツは、よく他予備校および講師の宣伝文句として使われます。曰く「奇跡の的中率!」。しかし、こと古文という教科に関して言うと、「的中」なんて奇跡でもなんでもありません。古典文学の入試頻出作品なんて限りがあるし、良く入試に使われる箇所も限りがあります。そういう文章を教材にむやみに盛り込んどけば、イヤでも全国のどこかの大学で使ってくれます。そんなのウチの教材でも、毎年いくつも出てるよ、ウチじゃ宣伝しないけどサ。

 しかし、そんな的中では、受験生にメリットはありません。受験生にメリットの出る的中は、自分の志望校の今年度の問題文を言い当てることであって、「全国のどこかの大学」で出題される問題文なんか並べられても、意味ないでしょう。「○○大学△△学部の今年度の入試問題は、この文章」という当て方が出来たら、それこそ受験生にメリットをもたらす「奇跡の的中」なのです。

 その手の「的中」は、ワタシの十数年の講師生活の中で、三度しか見聞きしたことがありません。一度は、十年ほど前、ワタシ自身が、「早稲田大学商学部の今年の入試はこの本がアヤシイから読んでおきなさい」と早稲田対策の講座で予言してズバリ的中。もう一度は、ウチの古文科の看板の某大先生が東大対策講座のテキストで東大二次の問題文をズバリ的中。三度目は、二、三年前のウチの某先生が早稲田対策講座の教材で早稲田の問題文をズバリ的中。

 これら三度の「的中」は、いずれもある程度の根拠をもってなされたものと考えられます(自分のヤツ以外は、あくまで推量の話ですが)。つまり、過去の出題や大学の内部事情を研究し、アテに行ってアテた、必然の「的中」です。実は「奇跡」などではないのです。そして、そうした必然の「的中」は、よほど条件が揃わなければ出来るものではありません。

 従って、冒頭の受験生の「的中」の話は、こちらとしてはそんなに手放しでは喜べませんでした。その「的中」は、その子の持っていた運であって、我々の実力ではないからです。

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2006年2月 2日 (木)

解答速報の季節その二

 解答速報で起こる不測の事態とは、出題ミスを含む悪問に出会ってしまうことです。例えば、2002年、某W田大の某S経学部の入試では、問題文中の下二段活用動詞の数を数えるという、オソロしいぐらい単純でつまらない、志の低い問題が出たことがあります。この時の解答速報ではヒドい目に会いました。なにしろ、いくら丁寧に数えても答えが無いんですから。

 問題文には、何度数えても下二段動詞が七つしかないんです。ところが選択肢に「七」がない!我々は、ちょっとパニックになりながら何度も数え直したのですが、何度数えても下二段活用動詞は「七つ」。仕方ないので、他の大手予備校の解答速報をネットで見てみると、某私立文系に強いとされているゼミでは、堂々と「八つ」を解答にしていました。一方、ウチと並ぶもう一つの大手では、まだ解答速報を発表していません。

 さて、どうしたものかと頭を絞った末、「八つ」を解答として、「通常の数え方では七つであるが、出題者が名詞化した連用形を動詞と数えたものと見なして『八つ』を解答とする」という意見を付け加えて切り抜けたのでした。

 後日、大学側はこの問題に関して出題ミスを認め、全員正解という処置をしました。我々はなんとか面目を保つことができましたが、逆に某ゼミは面目丸ツブレ。こういうのは、ホント困りものです。なにしろ、速報の時点では出題ミスだなんて知る由もないのですから。今年は、頼むからこういうのが出てこないでくれと祈るばかりです。

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2006年2月 1日 (水)

解答速報の季節

 もうすぐ、本格的な入試の時期ですが、それは、我々講師にとって解答速報の季節でもあります。解答速報ってのは、つまり、入試日当日または、数日中に、予備校が解答例と簡単な解説を発表するってヤツです。

 通常、古文の解答速報は、それほど大変ではありません。どうやら、古文という科目は、受験生と我々専門家の間にかなりの知識量の差があるらしく、マトモな予備校講師なら、受験生に向けた入試問題の解答例を作るのは難しいことではありません。まー、世間にはマトモでない予備校講師もたくさんいるみたいだから、そういう人にやらせるとちと大変かもしれませんが、ウチの予備校なんかだと、マトモな先生ばかりなので楽勝です。オマケに、受験生が試験場で解くのと違って、我々には辞書も注釈書もあるからね。

 ところが、他の教科だと、そうそう楽でもないらしいのです。総じて、知識量で片がつく教科は楽なのですが、自力で考えなきゃいけない数学や現代文は大変らしいです。もちろん、マトモな講師なら、受験生よりは早く確実に解けるはずなんだけど、それでも、かなり時間が掛かったり、意見が割れたりするらしいです。そういう話を伝え聞くたびに、古文の講師で良かったと思うワタシなのでした。

 ただし、不測の事態が起こることもあるのですが、その話はまた明日にでも。

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