モノガタリの喪失
昨年の秋のこと。ある国公立志望文系のクラスで生徒さんに質問したことがあります。最初に断っておきますが、このクラスは、四十人ほどの少人数ながら、某国立大学志望者が多数をしめるクラスで、ウチの予備校でも、かなり国語の出来るマジメなクラスです。
「義経と弁慶が京の五条の橋の上で対決したという話を知っていない人、手を上げてみてください」。
この質問に、八人ほどの生徒さんが挙手しました。全体の二割ほどです。この事実に、ある年齢以上の人は衝撃を受けるのではないでしょうか。というのは、この話、我々の世代だったら、まず99%の日本人が知っているであろう話ですから。
現在、若者の間から、日本人が語り継いできたモノガタリが失われていっています。これは、若者が本を読まないとか、不勉強だとかというのとは次元の違う話です。なぜなら、我々の世代の誰もが、このテの話は本で読んだわけでも、勉強したわけでもないからです。何かの機会に、ごく自然に、上の世代から伝えられてしまったモノガタリなのです。日本人の常識なのです。我々の祖先が営々と伝承し続けてきた日本の文化なのです。それが今、若者に伝えられていない、これは由々しき問題なのではないでしょうか。
予備校講師的に言うと、このテの話が語り伝えられていない子は古文が出来ません。何故なら、話の展開を予見できないから。我々は、物語文学や説話の類を読む時、必ず、展開を予見しながら読んでいます。それは、物語文学や説話が、決まった話型の上に乗って展開していくからです。何の予見もなしに物語の類を読んでいったら・・・。あらゆる展開の可能性を検討しながら読み進めることになるので、非常に時間がかかります。古文の出来ない子というのは、案外、「予見」の能力のない子供だったりします。
でも、そんな予備校的なこと以上に、このことは由々しき問題のはずです。が、それはまた明日にでも。
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