モノガタリの喪失その三
モノガタリは何故失われていったのでしょう。これ、実はワタシにもよくわかりません。
例えば、牛若丸の話、ワタシ自身は、どのようにして知ったか、まるで記憶がないのです。多分、絵本か何かで見たのだと思うけど、TVで見たのかもしれない、もしかすると、母親が話してくれたのかもしれないし、幼い時に父親に連れられて行った京都で、観光バスのガイドから聞いたのかもしれません。
これは、牛若丸の話に限らず、そういうお話ってたくさんありますよね。例えば、かぐや姫の話、いったい初めて知ったのは、何時どこでのことだったでしょう。記憶にありますか?
多分、我々がそれらの話を初めて享受した「ソコ」が、現在の社会から失われつつあるのではないでしょうか。「ソコ」が何処なのか、追究しようとしても多分答えは得られないでしょう。覚えていないんだもん。それなら、我々は、あらゆる機会を捕らえて、子供達に自分が受け継いできたモノガタリを語り継いでいくか、あるいは、子供達がそれらを享受できる機会を提供してやるしかないのではないでしょうか。要するに、天然で育たないなら、人工的に養殖してやるしかないのでは。
とりあえず、絵本。『おでんくん』も『ぐりとぐら』も、『あらしのよるに』も良いけれど、その中に『日本むかしばなし』も一冊入れといてくださいナ、世のお母さん方。~o~
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