« モノガタリの喪失 | トップページ | モノガタリの喪失その三 »

2006年2月14日 (火)

モノガタリの喪失その二

 「由々しき問題」などと大仰なことを書いてしまいましたが、早い話がこういうことです。日本人は判官びいきだなどと言われますが、牛若丸のモノガタリを知らない子供は判官びいきに成り得るだろうか、ということなんです。

 もちろん、判官びいきにならなくたって何の支障もなさそうだし、また、牛若丸の話を知らなくても、何らかの経験から判官びいきになる子供もいるでしょう。だから、「判官びいき」という個々の事象にこだわった話なのではなく、もっと一般的な話として考えてください。

 例えば、ボルネオの密林に住む人々は、長老から密林に住む精霊のモノガタリを聞き、モノガタリを通じて、森=精霊の世界/村=人の世界 という分節された世界観を手に入れることでしょう。そこに、森の精霊のモノガタリを受け継いでいない子供が紛れ込んだら、周囲と違う世界観を持った彼は、村社会の中で上手く生きていけるでしょうか。また、そのような子供達が増えていったとしたら、村社会は今まで通りに運営されていくでしょうか。

 牛若丸の話に代表される民族的に伝承されたモノガタリの喪失は、もしかすると日本人的世界観、日本人的心性の消滅につながっていくのではないかと思うのです。

 まー、そんな大げさな話じゃなくても、モノガタリを持たない子供の増加によって、古文の出来ない子は、確実に増えていくでしょうし、その子供達が大人になった時、「最近の若いヤツらには、話が通じない」とこぼすお父さん達が増えていくことでしょう。さて、その後どうなっていくかは・・・、予備校屋の考えることじゃねーか。~o~;;;

|

« モノガタリの喪失 | トップページ | モノガタリの喪失その三 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: モノガタリの喪失その二:

« モノガタリの喪失 | トップページ | モノガタリの喪失その三 »