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2006年2月23日 (木)

筆者の品格~『国家の品格』藤原正彦

 昨日、某W田大の解答速報がありました。ところが早く終わり過ぎて、夜の授業まで五時間も間があいてしまったため、本屋さんに行ったところ、いま売れセンの本、『国家の品格』が目に付いたので、午後は喫茶店でずーっと読書。んで、感想。「国家の品格はともかく、筆者や出版社の品格はどーなんだ?!」

 実は、購入の段階から、イヤな予感はしていたのですよ。例の超ベストセラー『バ○の壁』の二作目のとなりに平積みされていたので。この『○カの壁』というベストセラーに関しては、ほーーーーーんとに騙されて買って読んじゃった。この本に関しては、もー触れるのも面倒なんだけど、かなりの数の日本人が騙されたと感じていると思うので、今さら書かなくても良いですよね。本当に読者をバカにした本です。こんな本の執筆者になっている人間もどうかと思いますが、出版した会社も・・・。んで、『国家の品格』って同じ新○新書なんだよね。

 まず、この講演記録を本にしちゃうスタイル。売れたんだから成功したことになるんだけど、なんか、読者をバカにしてませんか。口語体の文章で判りやすく、は結構なのですが、口述筆記スタイルの『バカの○』の「失敗」からも判るように、繰り返しが多くなり、内容が薄くなるんですよね。『バカ○壁』なんて、帯に書いてある一言で内容おしまいだもんね。『国家の品格』は、まーそれほどヒドくないけど、でも、やっぱり内容薄いな~。思いっきり内容薄くしてわかり易くすれば今時のおバカな読者には売れるだろってことですか。内容より儲かりゃ勝ちってことですね。

 そういうコンセプトの新書なんでしょうが、「品格」のない商売ですねえ。つか、そういうのって、この本で正面きって否定しているアメリカ的な発想なのでわ?!

 さて、その肝心の内容なのですが、結構良いことも言っています。つか、大半の内容に関しては大いに頷かされたと言っても良いと思います。アメリカ的な論理と合理性を否定して、日本的な「情緒と形」の思想を取り戻そうという趣旨は良く判るし、著者の豊富な欧米体験や教養に裏打ちされたアメリカ的論理の否定は説得力あります。しかし、肝心の日本文化を持ち上げる所が、どーも貧弱なんだよな~。なんか、日本かぶれした欧米教養人みたいな人なんだよね、この筆者。

 なにしろ、「世界に冠たる日本文学」「日本のあらゆる学芸の内でもっとも優れているのは文学です」なんて、日本文学を持ち上げてくれるのは大いに結構なんだけど、「谷崎潤一郎訳の『源氏物語』全十巻は今も本棚に飾っており」って、オイオイ、つまり、読んでないってことかい!「世界に冠たる」とまで言っておきながら、「潤一郎源氏」さえ読んでないのか。もちろん『源氏物語』原文は読んでないんだろ。なんだかな~~~。

 『源氏』のない日本文学なんて、ホリエモンのいないライブドアみたいなもんですよ。「堀江さんて人は知りませんが、ライブドアは素晴らしい会社です」って言われても困るんだよナ。

 「武士道」に関しても、なんかアヤシゲですねえ。いろいろアヤシイんだけど、例えば、「武士道」の中心的思想として、「日本人は万葉の時代どころか、想像するに縄文の時代ですら、『卑怯なことはいけない』『大きな者は小さな者をやっつけてはいけない』といった、皮膚感覚の道徳観、行動基準を持っていたのではないか」って言ってるけど、コレ、どーやって判ったんだ???

 また、日本史の知識もアヤシイ。この人によると、盧溝橋事件も日独軍事同盟も、武士道の衰退による弱い者いじめだってことなんだけど、じゃあ、征韓論唱えた西郷隆盛はどーなるの?アレって、武士による「弱い者いじめ」じゃなかったのかあ?「他のアジアの国は全部植民地になりました。日本は品格ある国家であったが故に、植民地にならずに済んだのです」なんてのに至っては、もー言わずもがな。

 「よく知らないことはむやみに口にしない」ってのも、多分、日本的美徳だと思うんだけどね。日本的美徳を説くのであれば、もっと日本文化について勉強してください。そうしないと、こんな予備校屋風情にさえ、「筆者の品格」を疑われることになりますヨ。

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