多分誰かが間違えた
今朝ほど、半分寝たままトリノ五輪の女子フィギュアスケートショートプログラムを見てしまいました。んで、その感想。”誰かが間違えてるナ”。
ワタシは、別にフィギュアスケートの芸術性とかは信じてないし、特にスケーターの表現力云々という話も、どーかなーと思っていたのだが、今日の村主章枝選手の演技には、ちょっと驚かされました。もともと村主章枝って人は、バカっぽく口を開けてインタビュー受けるお姉さんだと思っていたのですが、演技始まるやいなやのあの顔の締まり具合に、まずハッとさせられました。続いて、コンビネーションジャンプの後の一瞬の身を捩る切なさの表現や一分半頃のシークエンスの無表情さの表現にオドロキ。そして一番目が覚めたのは、ダブルアクセルの着氷とピタリ同時に劇的に曲想が変化したこと。続いて激しくかき鳴らすギターに合わせて片手を挙げたスピンから変化した背中を丸めたスピンの背中の曲線に篭められた鬱屈した情熱はどーよ。アレは、舞踏家の表現だろー。たかがスケーターのやるこっちゃないよ。
彼女の身体演技の奥深さに不覚にも涙が出そうになった自分に驚きました。こりゃ絶対トップに立つなと思ったら、意外な得点。アレが四位なのか?!
サーシャ=コーエンだのスルツカヤだの荒川静香だのの演技は、曲にだいたい合わせてスケートの技術を見せていただけだが、村主はピタリ曲想を表現して舞っていたのではないでしょうか。あの演技が四位なら、そりゃ誰かが間違っている。ジャッジが間違っているか、さもなきゃスケート技術を見せる場で舞踏を見せてしまった村主が間違っているか。
それは、多分、村主さんの方の勘違いなんだろな~と思いつつ、でも、こういう勘違いがあるからオリンピックは感動の場になるんだよなと思ったりしたのでした。リレハンメル五輪で、『花は何処へ行った』を舞ってしまったカタリナ=ビットの時のように。
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