「夢」は信じていても叶わない
さて、日常の些細な言葉から現代日本人の精神の深奥を抉るシリーズも第三弾となりましたが(何時始まったんだヨ、そんなシリーズ?! ~o~;;)、今回は、「夢」。「夢は信じていれば叶う」なんて、最近よく言いますが、なんか変じゃありませんか。
例えば、吉永さゆりが「何時でも夢を、何時でも夢を」と歌った時、上記の言葉を口にしたら、きっと聞いた方は変な顔をしたんじゃないでしょうか。何故なら、ある時代まで「夢」とは信じていても絶対に叶わない物だったから。言い方を変えれば、そういう実現性の無い物以外「夢」と呼ばなかったから。だから、「夢」の実現を信じたりしなかったはず。「夢」は信ずる物ではなく、静かに慎ましやかに抱いている物だったのではないでしょうか。「何時でも夢を」は、つらい日常ばかり見ていないで、実現しようのない願いであっても静かに慎ましやかに抱き続けていましょう、歌を口ずさみながら、って歌でしょ。だから、果かない美しさがある。
ところが、何時の頃か、「夢」はえらく現実的で明るいポジティブなイメージの言葉に変化してしまいました。実現不可能な果かない幻想だったものが、実現可能な明るい未来みたいになっちゃった。だから、現代では「信じていれば叶う」なんて言えるんです。でも、コレって、つい最近の変化だと思うんですよ。
古典に例を取ってみましょう。古典の世界でも、「夢」は実現性の無い物、現実とは思えない物について言う言葉です。例えば、『建礼門院右京大夫集』。右京大夫は、恋人平資盛が壇ノ浦で戦死したという報を受けて次のように歌います。
なべて世のはかなきことを悲しとはかかる夢見ぬ人やいひけむ (おしなべて世の中の死というものを悲しいとは、このような「夢」を見たことのない人が言ったのだろうか)
ここでは、「夢」とは、とても現実として受け入れることの出来ない恋人の戦死を言っています。右京大夫は恋人の戦死を現実と考えることが出来ない、それで、「死」を「悲しい」という日常的な言葉で置き換えてすまそうとする世の一般に反発を感じているのです。だから、この歌に続いて次のように記すことになります。
同じゆかりの夢見る人は、知るも知らぬもさすがに多くこそなれど、さしあたりて例なくのみおぼゆ。 (同じ平家の縁で「夢(=現実として受け入れることの出来ない恋人の戦死)」を見ている人は、知っている人も知らない人も、さすがに多くなるけれど、自分のこととして直面すると、類えようのないこととばかり思われる)
彼女にとって、恋人の戦死は、日常的な言葉で置換して落ち着かせるようなことが出来ないものであり、現実の中には類えようがなく、「夢=非現実的なもの」として処理するしかないものなのです。ところが、この絶望的な文章を今の子供に読ませると、「夢」=”実現可能な明るい未来”としか考えられないらしく、「同じゆかりの夢見る人」を、”同じ平家の公達との明るい結婚生活を夢見ていた人”なんて取っちゃうんだヨ!~o~~O~
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