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2006年3月31日 (金)

「夢」は信じていても叶わない

 さて、日常の些細な言葉から現代日本人の精神の深奥を抉るシリーズも第三弾となりましたが(何時始まったんだヨ、そんなシリーズ?! ~o~;;)、今回は、「夢」。「夢は信じていれば叶う」なんて、最近よく言いますが、なんか変じゃありませんか。

 例えば、吉永さゆりが「何時でも夢を、何時でも夢を」と歌った時、上記の言葉を口にしたら、きっと聞いた方は変な顔をしたんじゃないでしょうか。何故なら、ある時代まで「夢」とは信じていても絶対に叶わない物だったから。言い方を変えれば、そういう実現性の無い物以外「夢」と呼ばなかったから。だから、「夢」の実現を信じたりしなかったはず。「夢」は信ずる物ではなく、静かに慎ましやかに抱いている物だったのではないでしょうか。「何時でも夢を」は、つらい日常ばかり見ていないで、実現しようのない願いであっても静かに慎ましやかに抱き続けていましょう、歌を口ずさみながら、って歌でしょ。だから、果かない美しさがある。

 ところが、何時の頃か、「夢」はえらく現実的で明るいポジティブなイメージの言葉に変化してしまいました。実現不可能な果かない幻想だったものが、実現可能な明るい未来みたいになっちゃった。だから、現代では「信じていれば叶う」なんて言えるんです。でも、コレって、つい最近の変化だと思うんですよ。

 古典に例を取ってみましょう。古典の世界でも、「夢」は実現性の無い物、現実とは思えない物について言う言葉です。例えば、『建礼門院右京大夫集』。右京大夫は、恋人平資盛が壇ノ浦で戦死したという報を受けて次のように歌います。

 なべて世のはかなきことを悲しとはかかる夢見ぬ人やいひけむ  (おしなべて世の中の死というものを悲しいとは、このような「夢」を見たことのない人が言ったのだろうか)

 ここでは、「夢」とは、とても現実として受け入れることの出来ない恋人の戦死を言っています。右京大夫は恋人の戦死を現実と考えることが出来ない、それで、「死」を「悲しい」という日常的な言葉で置き換えてすまそうとする世の一般に反発を感じているのです。だから、この歌に続いて次のように記すことになります。

 同じゆかりの夢見る人は、知るも知らぬもさすがに多くこそなれど、さしあたりて例なくのみおぼゆ。  (同じ平家の縁で「夢(=現実として受け入れることの出来ない恋人の戦死)」を見ている人は、知っている人も知らない人も、さすがに多くなるけれど、自分のこととして直面すると、類えようのないこととばかり思われる)

 彼女にとって、恋人の戦死は、日常的な言葉で置換して落ち着かせるようなことが出来ないものであり、現実の中には類えようがなく、「夢=非現実的なもの」として処理するしかないものなのです。ところが、この絶望的な文章を今の子供に読ませると、「夢」=”実現可能な明るい未来”としか考えられないらしく、「同じゆかりの夢見る人」を、”同じ平家の公達との明るい結婚生活を夢見ていた人”なんて取っちゃうんだヨ!~o~~O~

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2006年3月30日 (木)

星飛雄馬は感謝しない

 「感動をありがとう!」

 最近、よくこういう言葉を目にしますが、コレって何か違和感を感じませんか。「感動」って何時から感謝してさせてもらう物になったんでしょう。感動なんて、自分の中から自発的に湧き上がってくる物のはず。食欲や眠気や性欲と同じように自然な物のはずでしょ。他人に感謝しなきゃいけないものなのでしょうか。

 「食欲が沸いてありがとう」「眠気を催して感謝しています」「性欲を感じてサンキュー」なんて普通の人間は言いませんよ。そんなことを言うとしたら、それは、「食欲」や「眠気」や「性欲」が自然な状態では沸いてこない人。食欲不振や不眠症の人、EDの人でしょう。「先生の退屈な授業のおかげで不眠症の私も眠気を催しました、ありがとう」「君の挑発的なミニスカートで、おじさん久々に性欲が沸いてきちゃった、感謝するよ」なんてね。~o~

 「感動」も同じなんじゃないでしょうか。現代日本人は、自然な感動を感じなくなっているのでは?言わば感動欠乏症。だから、むやみに泣きたがって「泣ける本」「泣ける映画」なんてのをありがたがるし、たまさか感動が与えられると感謝しちゃったりする。荒川選手の金メダルの演技を見て、「あなたの演技を見て感動しました」は普通だと思うけど、「感動をありがとう」は、「我々感動欠乏症の日本人に、久々の感動を恵んでくれて感謝します」って言ってるみたいで、ワタシゃどうもいただけないなぁ・・・。

 「ああっ!俺は今、猛烈に感動している!!」と自分で宣言しちゃう(コレはコレで相当ヘンだが)感動多発症の星飛雄馬は、他人に感謝したりしないヨッ。

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2006年3月29日 (水)

泣きたがる人々

 某有名講師XやAの本などが売れているのを見ると、「今の世の中には騙されたがっている人達がいるんじゃなかろうか」と疑ってしまうのですが、今の世の中に泣きたがっている人がいるのは、どうやら間違いないようです。

 「泣ける」という言葉の意味の変化に、それは表れているように思います。例えば、春日八郎だったと思いますが、「泣けた、泣けた。こらえ切れずに泣けたっけ」って歌った時の「泣ける」は、明らかに泣きたいのではなく、”泣きたくないけど、自然に泣いてしまった”という意味ですよね。実は、「泣ける」は、もともと自発表現なのです。どの国語辞典を見ても、そうなっているはず。ところが、最近の「この本は泣ける」「泣ける映画です」なんて言い方。どう考えても、コレは、”泣くことができる”という可能表現になっています。

 どうしてこのようなことが起こるのかというと、「泣ける」という動詞、語源的には可能動詞で、もともと”泣くことができる”という意味だったのですが、それが自発表現に転用されたものなのです。それで、ずーっと、”自然と泣いてしまう”という意味の自発表現だったのに、どういうワケか、最近、「泣きたがる人々」が増えてきて、「泣く」ことが価値のあることと感じられるようになり、語源の可能動詞の意味に戻されて使われるようになったと、そういうことらしい。

 確かに、「泣く」という行為はカタルシスになるから、「泣きたがる人々」がいても不思議ではないけれど、なんか釈然としませんねえ。日本人って、自然な感動がなくなってきているんじゃないでしょうか、と今日は、マジメに問題提起で〆てみるかっ。~o~

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2006年3月27日 (月)

間違いのない参考書選び

 買ってはいけない参考書を授業では実名挙げて指摘できるのですが、こういう所で果たしてやって良いものか・・・、まー、危うきに近寄らず、実名挙げずに話を進めます。

 

 まず、買ってはいけないのは、美味し過ぎる文句が表紙や帯に書かれている物。「魔法の公式」「驚異の方法」なんて言葉があったら、そりゃ間違いなくオカシイでしょ。常識的に考えて、受験勉強にそんなものあるワケねーよ。

 

 表紙や帯で「わかりやすさ」が強調され過ぎてる物も危ない。「面白いほど判る」「面白いほど出来る」「一目見ただけで判る」なんて、変でしょ。普通に常識的に判断すれば、それは、「面白いほど判る」「一目見ただけで判る」程度のことしか書いてないということ。実は、コレって参考書を書く時の一つのテクニックです。出来るだけ、見やすい行間の空いたレイアウトで、簡単なことしか書かない。そうすりゃ、判りやすいこと間違いなし。でも、そんなスカスカの内容で、受験問題解けるようになると本気で思ってるんだろうか・・・。

 

 「美人」をうかがわせるキャッチフレーズが付いている物も危ない。そもそも、「美人講師」というのは、予備校の世界では、簡単に成功を収めてしまうので(06'2/19「簡単な予備校屋の作り方」参照)、苦労して勉強していない人が多いのではないかと思います。予備校屋なんて、最初の頃しっかりした知識がないなんてことは、往々にしてあります(06'3/23「懺悔ばなし」参照)。何年か仕事をする中で、必要に応じてしっかりした知識を身につけていくもんだと思います。「美人講師」だと最初から成功してしまうので勉強の必要がないし、そもそも人気講師になっちまったら、勉強する時間なんて取れないもんね。もちろん、ちゃんとした実力のある人がたまたま美人だったというケースも・・・、ん~~~まーあり得ないわけではないと言っておかないとマズいことになるんだろーな~~。~o~;; 

 

 まー、参考書の表紙や帯で「美人」をうかがわせるキャッチフレーズが出てくるってのが、そもそも異常だから、そういう物は避けておいた方が無難でしょう、ってことで・・・。~o~ 

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2006年3月26日 (日)

買ってはいけない

 昨日から、春期講習が始まりました。この新年度の始まる季節は、ワタシにとっては「買ってはいけない」話をする季節でもあります。

 実は、現在、受験の古文の参考書の世界は、ちょっとヒドいことになっています。例の、「わかりやすい公式」の有名講師の方達(06'3/22「そんなことは入試に出ない?」参照)の参考書が平積みになって売れている一方、マジメな参考書は本屋の棚の隅に追いやられています。この状態、もちろん公憤を覚える事態なのですが、我々無名講師にとっては、「公憤」というより、「自衛」の必要を感じちゃうんですよ。つまり、自分の教える生徒さんが「わかりやすい公式」の犠牲者にならないよう守らなくちゃならないから。

 生徒さんは、当然、専門知識のない素人ですから、売れている本が良い本だと思ってしまいます。しかも、某有名講師Xくらい極端な邪道ならともかく、某有名講師Aなどは、邪道をオブラートにくるんでマトモそうな顔をしているから生徒さんにゃ判りませんやね。加えて、あろうことかあるまいことか、高校の先生で、その「マトモそうな顔」に騙されて、自分の生徒に某有名講師Aの本を推薦する大馬○モンまでいるらしいので・・・。

 それで、この季節は、自分の生徒さん達を守る「自衛」の季節になっちゃうんですよ。授業では、申し訳ないが某有名講師XやAの実名を出して、「こういう人の参考書は買わないでください」と指導しています。そうしないと、06'1/25の「『わかりやすさ』その実例」で紹介したようなことになってしまうので。実は、ああいうこと、つまり、生徒さんが「わかりやすい公式」を覚えてしまって、我々の所にワケの判らない質問に来るってのは、今やそんなに珍しいことではないもんで。~_~;;

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2006年3月25日 (土)

コブ斜面大滑走

 昨日は、事実上、今シーズン六日町八海山を思う存分滑ることのできる最終日。大快晴、シーズンの終わりにしては悪くない雪、平日のガラ空きのゲレンデ、と条件が揃って素晴らしい一日でした。しかも、友人のモーグラータクヤ(全日本選手権八位)と八海山のコブ好きのスキー仲間数人が集まってしまったので、もう最高!コブ大滑走の一日となりました。

 六日町八海山というスキー場は、深雪かコブかというスキー場で、コブ斜面が深雪と並んで、また有名なのですが、そのコブ斜面を、モーグラータクヤを先頭に、狂ったようにかっ飛ばすオジさんスキーヤー達の姿はちょっと異様だったかも。~o~;;

 しっかし、タクヤのコブでのターン技術は、凄まじい物があります。一般に、モーグルのターンは、初期のモーグラーの稚拙な技術のイメージもあって、特殊なターン技術と思われがちなのですが、現在の洗練されたモーグルの技術は、我々一般スキーヤーの学ぶべき点が非常にたくさんあります。つか、コブの中でのラインの取り方が違うだけで、他の部分は、ほとんどマネすべき技術だと言い切っても良いかもしれません。ラインの取り方だけは、ちょっとマネが出来ません。なにしろ、彼らは、タイムを競いますので、ラインが直線的。そのため使用する板も、コブの中で直線的なライン取りをしやすいように、サイドカーブをあまりつけず、かつコブの凹凸に対応しやすいよう軽く柔らかい板なのです。我々の板であのライン取りは、ちょっと辛い。

 逆に、タクヤの板で我々基礎スキーヤーのライン取りをするのは苦しいようです。タクヤは非常に高い対応力があるので、我々のラインに合わせてコブの溝に沿った滑りをしてくれましたが、「基礎滑りは疲れるヨ」だそうです。それにしてもヤツの基礎滑りは・・・、本当に凄まじい。ワタシは、ついこの間まで、基礎の全日本技術選手権を見ていたのですが、そのワタシの目で見ても、タクヤの基礎滑りは、全日本トップクラスと互角でしょう。つか、そんなことは、モーグルの全日本でトップクラスなんだから当たり前か。

 なにしろ、コブの中でのポジショニング(板に対する体の位置)が良いため、溝の入り口でしっかりエッジングできる。そのため板がひゅーんと溝を走る。ところがその走る板をうまく抱え込んで先落としをするため、板のトップがぴったりとコブの最大斜度に張り付いて雪面を捉えてたわみ、そのしっかりしたエッジングが次の溝での板の走りを生む。まー、要するに、基礎のトップクラスの選手と全く同じなんです。特に、浅いライン状のコブを基礎滑りで滑らせると、もうそのまま全日本技術選の世界です。そばで見てるオジさんスキーヤー達(我々だって、一般的にはかなり上級スキーヤーの部類なんだけど)は、あまりの見事さに、もう大笑いするしかない。~o~

 何はともあれ、これ以上ないコブ斜面大滑走の一日だったのでした。

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2006年3月24日 (金)

季節の終わり

 とうとうこの日が来てしまいました。三月下旬は、ワタシにとって最も物悲しい「季節の終わり」です。そう、スキーの季節が終わって、本格的に新年度の仕事が始まるのです。今日が、まさにその日。あ~~~ヤダヤダ。昨日は、スキー仲間と宴会があり早寝してしまったため、夜中に目を覚ましてコレを書いているのですが、物悲しいですねえ、明日から仕事が始まる日の夜明け前のブログって。

 別に、コレで今年のスキーが終わりってワケじゃなく、この後も暇を見ては雪のある限り滑るのですが、今までみたいにスキー場に長期滞在しての~~~んびり滑るワケにいかないというだけのことなんですが・・・。あ、そーか、ずいぶんと贅沢な悩みですね。~o~;;

 というワケで、考えてみりゃ普通の生活にもどるだけのことでした。あははは。~o~ ~O~

 今日は、ここ新潟県六日町八海山で一日滑ってから、東京へもどり、最終の新幹線で仕事のある地方都市へ(結構すごい移動距離!)。明日から新年度の仕事です。さてはて、どんな新年度になることやら・・・、って、まだ今日一日滑れるじゃん、天気良さそうだし。もう一寝入りして、今日のスキーに備えなきゃっ!

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2006年3月23日 (木)

懺悔ばなし

 「そんなことは入試には出ない」について考えていたら、ワタシ自身、使ったことがあるのを思い出しました。

 まだ、この仕事を始めて一~二年目の頃のこと。当時、ワタシの古典文法に関する知識と言ったら、そりゃ酷いものでした。超基本文法以外はまあ知らないと言ってよく、仕事のある日は予習が大変でした。なにしろ、ウチはマジメな生徒さんが揃っているので、授業後に結構突っ込んだ質問があるんですよ。特に、当時の生徒さんは怖かったぁ~。そんな生徒さん達に鍛えられて、新米講師のワタシは文法の勉強をかなりさせられました。

 ちなみに、そんなワタシが自分自身の受験では結果的に成功し、また、ウチの厳しいはずの採用試験を通れたのは何故かというと、結局、勘が良ければ、古文を読むのに文法はあまり要らないってことでしょうねえ。昔は結構、そういう受験生多かったように思います。もっとも、ここで言う「勘」というのは、簡単に言えば豊富な読書体験と古典常識の賜物なので、今の子供達にはあまり期待できないのですが。特に、モノガタリを無くしている現代の子供達には勘の良さってのを期待するのは絶望的でしょうねえ。

 閑話休題。んで、その文法音痴だった当時のワタシは、怖い生徒さんに自分の知らない突っ込んだ文法の質問をされると、仕方なく、「そんなことは入試には出ないから、気にしなくても大丈夫だよ」と言った・・・ような気がします。~o~;;;

 まあ、ワタシ自身は、そんな細かい文法を知らなくても問題が解けてたワケですから、「入試に出ない」というのは、あながち嘘ではありません。ただ、知っていた方が楽に問題が解ける知識もたくさんあったはずで、そういう意味では、自分の未熟さを誤魔化すための言葉だったと言って良いでしょう。もう、十七年も前の懺悔話です。

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2006年3月22日 (水)

そんなことは入試には出ない?

 昨日まで紹介した「無益な質問」をする生徒さんの勘違いに関連した話。「そんなことは入試には出ない」という台詞を予備校屋が口にすることがあります。これが二面性のある言葉で・・・。

 最初に断っておくと、理数系教科のように入試で出題される範囲を文部省さんが限定してしまっている教科の話ではありません。古文に限った話と思ってもらっても良いです。古文の講師の口からこの言葉が出た時には、たいてい次の二つの場合です。

 一つは、ホントに入試に出るはずのないマニアックな現象について詮索する生徒さんが質問に来た場合。コレ、割とマジメな子に多く見られることで、マジメな子の多いウチのような予備校だとしばしばあることです。そもそも、普通は教えないようなマニアックな現象を教える授業がレベルの高い授業だと勘違いしている生徒さんがいるんですよ、時々。んで、そういう子供達の期待に答えちゃう古文教師の方が、これまた時々いると。ところがそういうマニアックな現象は、まあ、まず入試には出ないんですナ。それで、「レベルの高い授業」を受けちゃった生徒さんが、我々マトモな講師の所へマニアックな現象について質問に来ると、この言葉を聞くことになるというワケです。しかし、このようなケースは、それほど悪いことではありません。生徒さんが余計な知識を持っているというだけのことですから。

 問題はもう一つのケース。実は、この言葉は、予備校屋の逃げ口上として使われることがあるのです。先日書いたように、生徒さんは、我々予備校屋について、入試に関して何でも知っているエキスパートだという勘違いをしがちです。ところが、それを利用する人達がいるんですナ。一月二十五日の「『わかりやすさ』その実例」で紹介したような「わかりやすい公式」を作り出してしまう有名講師の方達です。この人達、自分の公式が使えないような文章に出会うと、この言葉を使うらしいのです。

 「『わかりやすさ』その実例」で紹介した某有名講師Aなども参考書の中で、この「入試に出る・出ない」と言う言葉をよく使います。この人は、生徒さんの勘違いを実に上手く利用しているんですな。本当のところ、この人が出題者ではないのだから、「入試に出る・出ない」なんて断言できるはずがないのに・・・。

 ところが、この某有名講師Aの師匠筋にあたる邪道の王様のような有名講師がいます。この人を仮に某有名講師Xと呼んでおきますが、この人は凄かったらしいです。この人、とにかく「わかりやすい公式」を乱発します。多分、いま世の中に出回っている「わかりやすい公式」の大半をこの人が作ってしまったと言っても過言ではないでしょう。んで、その「わかりやすい公式」に反する例を持って、生徒さんが質問に行くと、この先生慌てず騒がず、悠然とこう答えるというんです。「君ネ、僕の言ったこと以外、入試では出ないんだよ」。コレ、ワタシの知人が現場で見ていた実話です。凄いですね~。

 こういう物凄い人が有名講師として生きていけるのも、生徒さんの勘違いのおかげです。ちなみに、このお方は、大手予備校に勤めたことはありませんが、参考書が今でも大量に売られています。参考書の世界では超有名講師と言って差し支えないでしょう。んで、某有名講師Aは、浪人時代にこのお方に二年間教わっているらしいんですナ。某有名講師Aの参考書に「入試に出る・出ない」という言葉が頻出するのは、どうやらこの師匠の薫陶の賜物なんですね。

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よくある無益な質問その二

 先週木曜から、全日本技術選手権の観戦、自分のレース、八海山の草技術選とスキー関係のイベントが続いて、ブログの更新がままなりません。やっとヒマになったぁ、って、別に全日本の観戦なんて仕事じゃないんだから、テキトーにやっときゃいいのにねぇ。~o~

 さて、よくある無益な質問ですが、こんなのもあります。「○○大学の××学部を受けるんですが、△△だけやっとけば大丈夫ですか?(△△には「テキスト」とか参考書の名前などが入る)」「**大学の@@学部を受けるんですが、夏までに文法やっとけば大丈夫ですか?」

 先日書いた通り、我々予備校屋は出題者ではありません。だから、来年のことが「大丈夫」かなんて保証できないんですよ。それを保証させようと言うのは、無知であると同時に一種の甘えがあります。「大丈夫だ」と言ってもらえれば楽ですからね。まー、それが判っているんだから、ワタシも「大丈夫!」と断言してやって、甘えたヤツらの人気取りをしとけば良いのですが、ソコんとこがイマイチ商売人になりきれないところ。コレでも根はマジメなもんで・・・。~o~;;

 んで、つい、「大丈夫かどうかはオレには判らないけど、△△くらいやっとかなきゃマズいのは確かだね」「オレは出題者じゃないから保証は出来ないけど、どこを受けるにせよ、夏までに文法は一通り終わらせておきたいね」などと頼りないことを正直に答えちゃうもんだから、人気講師になりきれないんだよな~、ワタシは。ここで、「キミは甘えてるゾ!」などと叫んで、熱血っぽい説教に持ち込むというのも、人気講師がよくやるテなのですが、それも正直なところ面倒、つか、ワタシゃ若いモンに説教たれるの嫌いなんだよナ。

 閑話休題。冒頭の質問のもう一つの問題点なのですが、我々予備校講師の受験問題に関する知識の質を勘違いしています。我々は、各専門科目の入試問題を解くための知識は持っています。しかし、個々の大学の過去の出題に関する知識や個々の合格者の学習パターンに関して、それほど知識があるわけではありません。そりゃ長いことこの商売をやっていればある程度は見当つくし、有名大学の過去問なら知っています。でも、中堅以下の大学の過去問に関して、それほど広く深く知っているワケがありません。

 例えば、ワタシの場合なら、東北大関係の仕事をやらされることが多いので、東北大の出題傾向や合格者の実例についてなら、かなり知識の蓄積があります。また、東大や早稲田を始めとする有名私立に関しては、受験生の相談に乗ることも多いので、ある程度知識があります。しかし、「明治学院大の経済学部を受けるんですけど、近世文学は出題されたことがありますか?」なんて言われたら、急には答えられないヨ。これでもワタシは、予備校講師の中では、過去問の勉強をかなりマジメにしている方だと思うんですがね。

 予備校講師って、案外、個々の大学の最新の出題傾向は知らないもんです。だって知らなくても仕事に支障ないから。だから、予備校屋に各大学の入試対策を相談に来る場合は、赤本持参の方がベターなんだよね。

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2006年3月20日 (月)

よくある無益な質問

 この商売をやっていると、生徒さんから、答えようのない無益な質問をされることがあります。どうも、生徒さんは、我々を入試に関して何でも知っているエキスパートだと勘違いしているらしいのです。予備校屋なんて所詮出題者ではないんだから、知らないことが山ほどあるんですがねえ。

 例えば、「○○大学を受けるのに、覚えなきゃならない古文単語の数は何語ぐらいでしょうか」なんて質問。コレって大変よくある質問なんだけど、ところが、二重の意味で答えようがない質問です。一つは、先ほど書いたように、我々は出題者ではないので、○○大学の来年度の入試問題について、責任持ったことを何も言えないということ。昨年までの過去問で統計はとれるんですけどねえ。来年のことは、ホントんトコわかんないヨ。

 それともう一つの大きな不確定要素は、その子の頭の中の現代語の語彙。古文単語というのは、現代語とかなりカブっていてるので、現代語の語彙が多い人は、その分楽が出来ます。逆に、現代語の語彙の貧弱な人は、大変です。例えば、昔、こんなことがありました。

 「いかなるいきどほりかありけむ」という文がテキストに出てきたので、「『か』は<疑問>。『ありけむ』の『けむ』は<過去の推量>だから、『どのような憤りがあったのだろうか』っていうことだね」と説明して授業を終わったら、質問の子が来て、「先生、『かありけむ』の説明は理解できたんだけど、『いきどほり』って説明しなかったですよね、何ですか?」って言うんですよ。「憤り」って現代語ですよねえ・・・・。

 まー、これは極端な例だけど、人によって覚えなきゃいけない単語の数が大きく異なるのは明らかです。だから、答えられないんですよね、最初の質問には。逆に、こういう質問に自信持って答えちゃう先生、結構いると思うんだけど、どうなんですかねえ・・・。~o~;;

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2006年3月17日 (金)

K先生の伝説

 『源氏』好きと言えば、思い出すのはK先生のことです。K先生は、ウチにいらっしゃった名物講師で、ワタシも浪人時代に教わっていました。古文に対して非常にマジメな方で、古文一直線、世俗の雑事には一切関わりたくありませんという感じのお爺さんでした。ですから、昔の生徒さんには妙に尊敬されていたのですが、この方が大変な『源氏』好きで、こんな伝説が残っています。

 『源氏』は随所に玄人を唸らせるような名文が散りばめられています。ワタシなどでさえ、たまさか『源氏』を読み返すと、「うーむmmm・・・」と唸ってしまうのですが、或る時、K先生の授業で、その日の教材が『源氏』の、しかも名文の箇所だったんだそうです。教室へ入ってきたK先生、教材を開く時から、「今日は源氏ですなあ」ともう嬉しそう。まず、朗々とした声で教材を朗読なさったK先生、読み終わって、「う~~~む、いいですなあ~~」と、感極まって授業をせずにそのまま帰ってしまいました・・・。

 ってんですが、ホントなんですかねえ。~o~

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2006年3月15日 (水)

ドラゴン効果?

 東大の合格発表があって、週刊誌が特集をやっていますが、『週刊朝日』が合格者へのインタビューをしていて、『ドラゴン桜』について尋ねたところ、『ドラゴン桜』の受験テクニックを参考にした人間は合格者にはいなかったとか。そりゃ合格者にインタビューしたらいないでしょう。『ドラゴン桜』を全て読破しているわけではないので、詳しいことは判りませんが、やっぱりあの勉強法は、素人の思い込みでしょう。少なくとも古文に関しては。

 『ドラゴン桜』には、「東大は『源氏物語』が好きなので、『あさきゆめみし』で『源氏』の粗筋をつかんでおけば有利だ」なんて書いてあり、生徒さんに漫画を読ませているシーンが出てきます。あんなことをマジに受け止めて、実践しちゃった子は、そりゃ合格者にはいなかったでしょうよ。もしいたら、合格者にはなってないよね。もしかして、不合格者にインタビューすると、いるのかも知れませんね、そんな人が。~o~

 確かに東大は、80年代から90年代にかけて『源氏』を四回も出してます。だから、90年代には、我々も、「東大は『源氏』が好きだ。三年に一度は『源氏』の当たり年が来る」と生徒さんに教えたことがありました。ところが、東大の内部事情を知っている我々は、98年以降、それを言わなくなりました。何故って、98年にある教授が定年退官したのを知っていたから。

 『源氏物語』という作品は、非常に魅力的な作品なので、大学教授でもその魔力に取り付かれてしまう人がいるのです。『源氏』を頻繁に出題していたのは、実はある一人の『源氏』好きの教授だったのです。『源氏』に魅了されていた彼は、よく教え子達に、「君達は、『源氏』で生きるのではなく、『源氏』に生きなさい」と教えていました。そんな彼ですから、自分に出題者の当番が回ってくると、予備校屋に予想されようがどうしようが、気にせず『源氏』を出し続けたのです。

 なんでそんなことまで知っているかというと・・・。実は彼、X教授は、ワタシの大学院時代の指導教官なもんでね。~o~;;

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2006年3月14日 (火)

母なる深雪の愉悦

 本日、我がホームゲレンデ六日町八海山は、三十cmほどの新雪がありました。昨日の降雪と合わせて、かなり楽しめる深雪でした。六日町八海山というゲレンデは、この深雪が一つのウリで、なにしろ日本有数の豪雪地帯であることに加えて、深雪でも滑れる急斜面(斜度がなければ深雪では止まってしまいます)があり、非圧雪バーンを残す営業方針(まー、あまり手をかけて整備しないということ)などもあって、知る人ぞ知るパウダー天国なのです。

 んで、今日は、その深雪。加えて午前は温度がそれほど上がらず、しかも快晴で客の少ない平日。もー、最高のパウダー日和でした。こういう日に居合わせることの出来た人は幸せです。年間に四十日以上八海山を滑るワタシでも、こんな日はそうはありません。一般に、最近のスキーヤーは整備されたゲレンデばかりを滑るので、深雪が苦手なのですが、八海山の常連達は深雪には慣れっこ、つかそれを狙って八海山に来ている人も多いので、今日のような日はそういう常連達には最高のプレゼントなのです。もちろん、ワタシも深雪は大好き!

 深雪を楽しむには、深雪に対する慣れとちょっとしたコツが必要ですが、それを掴んでしまうと、深雪は普通のスキーでは得られない喜びを与えてくれます。それを一言で言えば「冒険」ということになるでしょうか。兎に角、普通では考えられないライン取りで斜面を駆け下りられますし、普段では考えられないジャンプ、ダイブ、そして林の間を滑るツリーラン。

 それら全てが可能なのは、深雪が我々の「冒険」を優しく抱きとめてくれるからに他なりません。最後は深雪がスピードを殺してくれると思うからこそ、危険なライン取りが出来、深雪がショックを和らげてくれるという安心感があるからこそ、ジャンプ、ダイブも可能なのです。言うなれば、我々は深雪という母親の視界の中で新しい冒険を試みる幼児のようなものです。深雪が守ってくれるという安心感が、我々を「冒険」へと誘うのです。だから、深雪を楽しむスキーヤーは、みんな子供みたいな無邪気な笑顔をしています。

 んで、ワタシも今日の午前中は、思いっきり童心に帰ってハジけてしまいました。そして午後は・・・。実は、夜、東京で高二生相手の授業があったのです。友人のモーグラー、タクヤお手製のエア台から深雪にダイブして雪まみれになった六時間後には、東京吉祥寺でネクタイ締めて教壇に立っていたのでした。~o~

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2006年3月12日 (日)

スキーを教えたくないワケ

 ワタシは、スキーヤーだし、仕事で古文を教えているのですから、両者を組み合わせてスキーを他人に教えても可笑しくなさそうなのですが、何故かそれはしたくありません。ワタシ個人のスキー技術は、多分、その辺のスキーインストラクターさん達と比べても遜色ないのですが、他人にスキーを教えるというのは抵抗があります。だから、時々「スキー教えてください」などと言われると、困ってしまいます。

 まず、他人に教えるくらいだったら、自分で滑っていた方が楽しいということがあります。ワタシゃ、予備校での仕事中は、どちらかというと教えるのが好きな方なんですが、スキーはダメなんだな~。自分で滑る快感には勝てないんですよね。

 加えて、準指導員・指導員といった資格を取得していないということがあります。取得する気になれば多分取れるのだろうと思うのですが、仕事との関係で取得する暇がないのです。資格を持っていなくても、友達に教えるには差し障りないのですが、それもなんだか気がひける・・・。

 というのは、こんなワケです。ワタシ自身は古文を教えるプロとして自負があります。だから、素人さんが古文に関して判ったようなことを言って教えているのを見ると、ちょっと腹が立つのです。例え、それがどんな学力を持っている人であってもです。本人の学力と教えることとは別物です。素人さんで学力のある人、例えば現役の大学生などが教えているのを時々目にしますが、たいてい自分が成功した方法論を生徒さんに押し付けようとします。ところが、その人が結果的に成功したからといって、万人に向いた方法論とは言えないワケで、特に中途半端に出来る子ほどトンでもなく我流だったりします。

 こういうの、実は大学生に限りません。以前、ウチの予備校の某他教科の先生が、「古文なんて昔の人の気持ちになって考えりゃ良いんだから簡単だよ」と生徒さんに教えていたのを見たことがありますが、ちょっとコイツ殴ってやろうかと思いました。お前!「昔の人の気持ち」にホントになれるのかよ?! 輪廻転生因果応報に支配された世界に生き、旅に出るのも外出するのも、髪の毛を洗うことすら陰陽師の占いで決めていた連中の気持ちに、一夫多妻で、相手の姫君の顔も姿も声さえも結婚当日まで知らないくせに、顔から火の出るような熱烈な恋の歌でプロポーズしちゃう連中の気持ちに、ホ・ン・ト・に・な・れ・る・ん・で・す・か?某教科の人気講師Sセンセっ!ワタシゃ、二十数年間、古文ばっかり相手にしてきたけど、今まで、ホント~に古代人の気持ちになりきれたなどと思ったことは一遍もありませんゼ!

 この時以来、ワタシは、他教科については、例え生徒に聞かれても答えないようにしています。

 こういう経験があるので、ワタシは、スキーを教えたくないのです。自分が、教えるプロとして自負を持っているがゆえにスキーを教えるワケにはいかないのです。

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2006年3月11日 (土)

聖なる楽器~平原綾香

 先日、帰京の際に、平原綾香のカバーアルバム『From To』を購入、運転中にヘビロテで聞きまくってきたのですが、こりゃ~、スゴい!もともと、歌のあまり上手くない荒井由美(椎名林檎が『翳りゆく部屋』をカバーした時にもそれは痛切に感じられたのですが)の『晩夏』は、もうまるで別の曲のように新鮮。深い思索に満ち、言葉一つ一つの響きが儚くも美しい珠玉の名曲であったのですね、この曲は。ユーミンの歌唱じゃ、「思索」だとか「言葉の響き」だとかなんてこたぁコレっぽっちも考えなかったぞ。

 それだけでなく、小田和正、久保田利伸、さだまさし、玉置浩二など一般には歌が上手いとされているベテランシンガー達が、二十かそこらの女の子の歌唱の前に平伏していくさまは爽快でさえあります。彼らの名曲が次々と「新曲」に生まれ変わっていくのは本当に圧巻です。特に、さだの『秋桜』。山口百恵の時もさだ本人の歌唱でも、日本的な湿度の高い物語が語られるだけの歌だったのに、ジャジーで都会的なアレンジの平原の歌唱は、湿っぽい物語を紡ぎださない代わりに、言葉一つ一つを美しく響かせ、その共鳴によって詩の世界を形作ります。そういう意味では、平原の歌唱によって初めて、さだは「語り手」から「詩人」になり得たのではないでしょうか。

 この、平原綾香という人、はっきり言ってオリジナルを作る能力には見るものがありません。しかし、彼女の歌唱は、ほとんど「創造」と言って差し支えないでしょう。十一曲の「新曲」を聴き終わった時、平原の歌唱によって美しく響きあった言葉の群れに、聞く者の魂は共鳴し揺す振られ、やがて、太古から人体が聖なる楽器であった理由を知るのです。

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2006年3月10日 (金)

予備校屋から見た正しい予備校の選び方その四

 ココログの調子が悪くて、なかなか入れませんでした。昨日書いた物をそのまま張っておきます。

 では、トップレベル子供は、何故、東京大阪の中央校舎が良いのかというと、そういう子が中央に集まりやすいからというだけのことです。

 まず、似たレベルの子供が集まることによって本人のモチベーションが高まります。これが大きい。加えて、東大京大などの情報が入りやすくなります。教える講師の方も、そういう子が集まっているクラスでは、東大対策や京大対策の情報を流せます。これも大きい。

 子供達はよく、中央校舎ではトップレベルの講師が教えているから、トップレベルの受験生が集まるのだと勘違いしていますが、これは逆です。トップレベルの子供が複数のクラスを作るほど中央に集中するので、そのクラスを教えるために実力実績を持った講師が中央に集まりやすいと考えた方が正しい。従って、中央校舎であっても、トップレベルのクラス以外を教える講師は②の地域とそれほど大きくは変わりません。

 また、中央でトップレベルのクラスを教える講師でも、様々なタイプがあるので、一概に全ての受験生に向いているとは言い難いものがあります。実力実績人気ともに他の講師から尊敬されるような素晴らしい方もいらっしゃる反面、学力は人並みでも生徒さんのモチベーションを高める能力が優れているモチベータータイプの人もいますし、中には、一時的な人気者に過ぎない人も(まー、ウチみたいな硬いトコだとそいう人少ないけどネ)いらっしゃるはずです。

 このモチベータータイプの講師というのは、もともとのモチベーションの低い子や自分の力ではモチベーションが維持できない子には向いていますが、モチベーションの高いマジメな子は、こういう人じゃなくても良いワケで、むしろ、マジメな子には質問に丁寧に付き合ったり、学習法の相談にのったりするようなティーチャータイプの講師の方が得るものが大きいはずです。んで、どちらかというと、中央校舎にはモチベータータイプの方が多いんですナ。何故かというと、モチベータータイプの方が生徒さんの人気を得やすく、学校側は、人気のある人に中央校舎のクラスを任せたがるから。

 だから、普通のマジメな子は、②のエリアの校舎の方が向いているはずなワケで、トップレベルの子とモチベーションに問題のある子達が、中央校舎に向いているというワケ。

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2006年3月 8日 (水)

予備校屋から見た正しい予備校の選び方その三

 仕事で、一時的に東京に帰っています。こういう時は雑用が山のようにあって・・・・。

 さて、昨日書いたような地域性を踏まえて、その子供の住む場所別に予備校選びを考えてみましょう。まず、地方中小都市、またはその近郊に住んでいる場合。この場合は、近くの地方大都市、または東京大阪に出てきてしまうのが良いでしょう。その際、何が何でも東京、という受験生が多いのですが、むやみに東京へ出れば良いというものではありません。自分の第一志望の大学が地方にある場合は、その近くが望ましいです。第一志望の大学近くの校舎は、その大学の志望者も多く、モチベーションを高めやすいのです。また、予備校からの情報も得やすいですし、その大学に対する対策講座なども催されたりするので、かなり、お徳です。

 また、地方大都市、またはその近郊に住んでいる場合。その地方大都市に進出している大手予備校を選ぶのが良いでしょう。この場合も東京へ出たがる人が多いのですが、東京へ出るのは、金銭面からも時間的な面からも、また精神面からも、大変です。

 では、東京大阪近郊の衛星都市やベットタウンに住んでいる場合は。この場合、近くの大手予備校の校舎に行くのがお徳です。東京大阪の中央にある校舎は、一部のトップレベルの受験生、または、モチベーション的に問題のある受験生には有効ですが、普通にマジメな人にはあまり得ではありません。②の地域の校舎は、中央校舎に比べて面倒見の点で優れているし、毎日の通学時間も馬鹿にならないロスのはずです。

 実は、あらゆる予備校で一番お徳なのは、②の地域にある大手の校舎なのです。講師の力は①とほぼ変わらず、大手の受験情報を入手でき、しかも少人数になりやすいので大変面倒見が良くなります。それで通学時間も節約できるんなら、言うことありませんよね。

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2006年3月 6日 (月)

予備校屋から見た正しい予備校の選び方その二

 イヤハヤ忙しい。3月3日は、ここ南魚沼では、天下の奇祭、浦佐毘沙門堂「はだか押し合い祭り」の日。ワタシは、何を隠そう、この「はだか押し合い祭り」の名物の一つ、一般福物撒与で弓張りを三年連続で頂いているのです!つっても、地元民以外は何のことやら判んないですよね。毘沙門様のお堂の屋根から福物の提灯を撒いて、それを一般客が奪い合うのですが、雪国のお堂の屋根の下ですから、足場はグズグズドロドロ。んで、この界隈きっての縁起物ですから、そりゃ、地元の人間の入れ込み方は半端でなく、「女子供と眼鏡掛けてる人間は離れていろ!」というくらいの格闘系争奪戦になるので、三年連続弓張りゲットは、ジモティにはちょっと驚いてもらえます。んで、祭りの後は、お定まりの「かじか酒」の宴会。

 翌四日は来年度の板の試乗会が菅平であったので、それに往復七時間掛けて日帰り参加し、昨日五日は、浦佐技術選という基礎スキーの草大会に参加。浦佐は基礎スキーのメッカだけに、それなりにレベルも高かったのですが、一応、面目を保つ六位入賞。~o~

 というわけで、ブログどころではありませんでした~。~o~

 んで、再びタイトルの話題なんですが~。予備校というものは、大きく分けると四つのエリアに存在しています。①東京大阪名古屋などの大都市中央部、②東京大阪の衛星都市及びベットタウン(横浜・大宮・千葉・京都・神戸・町田・柏・立川・八王子など)、③地方大都市(福岡・仙台・札幌など)、④地方中小都市。

 予備校の価値はなんだかんだ言っても、講師の質で決まるのですが、この①~④のエリアのうち①と②は、ほぼ講師がかぶります。そして、予備校講師というもののほとんどはこの①②のエリアに居住しています。何故か。地方ではメシが食えないからです。予備校講師を専業でやろうと思ったら、一週間で20時間前後は授業を持たねばならないのですが、地方ではそれだけのコマ数が得難いのです。従って、③のエリアで専業予備校講師は珍しく、高校講師との兼任やいくつかの中小予備校の兼任をする人がほとんどでしょう。そういう人達の中にも有能な人材は確かにいますが、優れた講師にめぐり合う確率は、①②ほど高くありません。それで、ウチのような大手では、③の地域の校舎には①から講師を何人か派遣し、現地で探し出した有能な人材と合わせて、授業を運営していくことになります。

 そういう事情なので、④のエリアには、申し訳ないが人材がいません。いくら少人数制だと歌っても、それは、少人数しか集められない学校だというだけのこと。少人数クラスであることのメリットなどありません。また、それを補うような形で(つか、そういう地方の弱みに付け込んで)、④のエリアに勢力を伸ばしてきつつあるのが衛星授業の予備校。これは、一見、地方の人材不足を補うナイスアイデアのように思われますが、マズイ。

 まず、現地の職員がほとんど素人です。受験指導の知識や経験のある人材は、やはり①~③のエリアに集中していますので、④のエリアには有能な職員が手薄なはず。そうすると、例えばこういうことが起こります。地方中小都市の進学校に通っていたワタシの姪は、昨年度、高校近くの予備校で夕方の衛星授業を受けていたのですが、センター試験受験予定にもかかわらず、センター試験の過去問を正月になるまでやっていませんでした。そういう指導が予備校からなかったのだそうです。正月に田舎に帰って、相談を受けて初めて事態を知りオドロキました。①~③のエリアでは考えられないことです。だってセンター対策で、まず一番大事なのは過去問での練習でしょ。

 もっとも、この子本人の責任は否定できません。のんびりし過ぎてます。それに、親ものんびりし過ぎ。つか、せっかく弟が予備校屋なんだから、もっと早く相談しろよ>兄貴~o~;;。んで、こののんびり屋の姪の学習机には、その予備校の衛星授業に出ている有名講師の書いた、真新しい参考書がしっかり並んでたりするんですよ。予備校で勧められたとかでっ!ナルホド、良い商売してるねえ・・・。

 おまけに衛星授業の予備校では、授業後に担当講師に質問が出来ません。一応、質問出来るシステムにはなっているんだけど、質問は授業担当の講師が受けるのではないらしいのです。授業担当の人気講師は忙しいし、一人で受け答えをするには数が多くなり過ぎるということなのでしょう、質問を受けるスタッフがいて、その人が答えることになっているらしい。その辺り、なんかアヤシゲだな~~。一体、どんなヤツが質問受けているやら。アルバイトの学生さんって可能性、結構高そう。それに、仮に優秀な専門家がスタッフだとしても、それでは授業との整合性が保てるワケないだろー。

 つーことで、続きは、また明日にでも。

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2006年3月 2日 (木)

予備校屋から見た正しい予備校の選び方

 先日、スキー友達から、息子さんが「全敗」して浪人することになったと聞かされました。その時は、あまり具体的なアドバイスが出来なかったので(なんせ、リフトの上だったので ~o~;;)、後から考えたことを書き留めておこうかと思います。予備校屋の商売っ気なしのアドバイス。一般的には、あまり読めませんヨっ。~o~

 正しく予備校を選ぶには、まず二つのチェックポイントがあると思います。①その子はモチベーションをどこまで維持できるか。②どこで浪人生活を送るつもりなのか。

 まず、①ですが、基本的に、高いモチベーションを一年間維持出来るというお子さんは少ないです。ですが、もし、高いモチベーションを一年間維持できるという自信がある人なら、予備校なんて、何処でも構いません。なんなら、予備校に通わないでも結構。マトモな参考書さえ選ぶことが出来れば、それで浪人生活は充実することでしょう(マトモな参考書の選び方は、そのうち述べる機会があると思います)。結果は、自ずとついて来ます。

 次に、モチベーションは一応あるが、一年間維持出来るかどうかに、若干不安があるという人。まー、普通のマジメな受験生ですね。こういう人は、出来るだけマトモで、かつ少人数クラスを作ってくれる予備校を選びましょう。具体的には、ウチのような大手の地方都市の校舎や東京大阪などの大都市圏の衛星都市の校舎などが良いでしょう。大手の東京大阪あたりの中央校舎は、本人に高い能力があれば別ですが、一般的には、あまりお徳ではありません。大人数クラスになるので、面倒見の点でイマイチになるはず。そういう校舎では担当講師も忙しいので、一人一人をケアできないし、質問などにもゆっくり丁寧に答え難いですし。普通のマジメな受験生にとって最もマズイのは、衛星授業だけの予備校や地方都市の中小予備校。何故マズいかは、また明日にでも。

 次に、モチベーションの点で問題のある受験生。こういう人は、他人からモチベーションを与えてもらうしかありません。自分にモチベーションを与えてくれる環境やモチベーションを与えてくれる講師を探しましょう。具体的には、大手の東京大阪の中央校舎や面倒見だけは良い地方の中小予備校などが良いでしょう。大手の東京大阪中央校舎には、生徒さんにやる気を出させることを得意とするモチベータータイプの講師が揃っています。また、大人数クラスになるので、他人に影響されて、ある程度は勉強せざるをえません。面倒見だけは良い地方の中小予備校なども、このタイプの受験生には良いでしょう。無理矢理でも、努力をさせてくれます。そして、人間、努力を続けさえすれば、例え、ちょっとくらいヘンテコな努力でも、ある程度の結果を出します。もちろん、最上の結果にはなり難いのですが、もともとモチベーションのない人なのですから、贅沢を言ってはいけません。

 さて、②のポイントに関しては、また明日。

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