« 間違いのない参考書選び | トップページ | 星飛雄馬は感謝しない »

2006年3月29日 (水)

泣きたがる人々

 某有名講師XやAの本などが売れているのを見ると、「今の世の中には騙されたがっている人達がいるんじゃなかろうか」と疑ってしまうのですが、今の世の中に泣きたがっている人がいるのは、どうやら間違いないようです。

 「泣ける」という言葉の意味の変化に、それは表れているように思います。例えば、春日八郎だったと思いますが、「泣けた、泣けた。こらえ切れずに泣けたっけ」って歌った時の「泣ける」は、明らかに泣きたいのではなく、”泣きたくないけど、自然に泣いてしまった”という意味ですよね。実は、「泣ける」は、もともと自発表現なのです。どの国語辞典を見ても、そうなっているはず。ところが、最近の「この本は泣ける」「泣ける映画です」なんて言い方。どう考えても、コレは、”泣くことができる”という可能表現になっています。

 どうしてこのようなことが起こるのかというと、「泣ける」という動詞、語源的には可能動詞で、もともと”泣くことができる”という意味だったのですが、それが自発表現に転用されたものなのです。それで、ずーっと、”自然と泣いてしまう”という意味の自発表現だったのに、どういうワケか、最近、「泣きたがる人々」が増えてきて、「泣く」ことが価値のあることと感じられるようになり、語源の可能動詞の意味に戻されて使われるようになったと、そういうことらしい。

 確かに、「泣く」という行為はカタルシスになるから、「泣きたがる人々」がいても不思議ではないけれど、なんか釈然としませんねえ。日本人って、自然な感動がなくなってきているんじゃないでしょうか、と今日は、マジメに問題提起で〆てみるかっ。~o~

|

« 間違いのない参考書選び | トップページ | 星飛雄馬は感謝しない »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 泣きたがる人々:

« 間違いのない参考書選び | トップページ | 星飛雄馬は感謝しない »