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2006年3月30日 (木)

星飛雄馬は感謝しない

 「感動をありがとう!」

 最近、よくこういう言葉を目にしますが、コレって何か違和感を感じませんか。「感動」って何時から感謝してさせてもらう物になったんでしょう。感動なんて、自分の中から自発的に湧き上がってくる物のはず。食欲や眠気や性欲と同じように自然な物のはずでしょ。他人に感謝しなきゃいけないものなのでしょうか。

 「食欲が沸いてありがとう」「眠気を催して感謝しています」「性欲を感じてサンキュー」なんて普通の人間は言いませんよ。そんなことを言うとしたら、それは、「食欲」や「眠気」や「性欲」が自然な状態では沸いてこない人。食欲不振や不眠症の人、EDの人でしょう。「先生の退屈な授業のおかげで不眠症の私も眠気を催しました、ありがとう」「君の挑発的なミニスカートで、おじさん久々に性欲が沸いてきちゃった、感謝するよ」なんてね。~o~

 「感動」も同じなんじゃないでしょうか。現代日本人は、自然な感動を感じなくなっているのでは?言わば感動欠乏症。だから、むやみに泣きたがって「泣ける本」「泣ける映画」なんてのをありがたがるし、たまさか感動が与えられると感謝しちゃったりする。荒川選手の金メダルの演技を見て、「あなたの演技を見て感動しました」は普通だと思うけど、「感動をありがとう」は、「我々感動欠乏症の日本人に、久々の感動を恵んでくれて感謝します」って言ってるみたいで、ワタシゃどうもいただけないなぁ・・・。

 「ああっ!俺は今、猛烈に感動している!!」と自分で宣言しちゃう(コレはコレで相当ヘンだが)感動多発症の星飛雄馬は、他人に感謝したりしないヨッ。

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