詐欺師Nの思い出~驚愕と小さな怒り
その冬、Nは現役高校生向けの特別授業というのも担当しました。この講座に関しても、開かれた事情はよく判りません。後になって考えると、校舎側のNを売り出そうという判断があったのかもしれません。しかし、それが、あんなことになろうとは。
その年のセンター試験も終了し、国公立の志望者は受験校を絞って二次試験に向けての準備を進める時期になりました。ワタシも、某国立大学の二次試験対策講座のために、その校舎に出講していました。授業を終えて控え室に座っていたワタシのところに、ある女子高生が挨拶に来ました。この子は、ワタシの担当クラスの子で、その地方を代表する某国立大学の法学部を志望していました。大変国語の出来る子で、しかも非常にマジメな努力家。毎週のように熱心に質問を持ってくるので、ワタシも顔と名前を覚えており期待もしていました。お祖父さんの交通事故の裁判をきっかけに、立場の弱い人のために働く弁護士になりたい、というちょっと泣かせる動機で法学部を志していた、なかなか感心な子でもありました。
その子の様子でなんとなく嫌な予感はしたのですが、こういう場合、我々も聞いてみるしかありません。「おう、どうした、センターどうだった?」。その子は、ちょっとためらう様子を見せましたが、吹っ切ったように、「ダメでした。私、○○大学の前期試験を受けるのあきらめました」「えっ!どうしたの。何で失敗したの」「国語が全然ダメだったんです。特に古文で大きな失敗をして・・・」。
ちょっとこの返事は予想外のカウンターパンチでした。例え他の教科で失敗したとしても、古文で失敗することだけは考え難い子だったからです。こういう場合、普段のワタシは、失敗した子に対しては、あまりしつこく失敗の原因を追究したりしません。終わったことを追及しても仕方がないし、受験生に前を向かせなければならない時期でもあるからです。しかし、この時ばかりは聞いてみたくなりました。「何処を間違えたの?君が間違えるような問題はなかっただろ」。
その子は、いくつかの間違いについて説明しました。なるほどとうなづける失敗もありましたが、その中に、ちょっと気になる間違いがありました。その問題は、その年のセンターの中でもやや意地の悪い、ちょっとしたヒッカケ問題でした。「をかし」の本文中での意味を問う問題で、選択肢の①が「風流だ」。コレがヒッカケになっていて、実は、③「おもしろい」が正解なのです。
これは何処がヒッカケかというと、形容詞「をかし」は、古文では知的興趣を表す言葉で、”趣がある・風流だ”というのが最もよく出てくる意味。しかし、”かわいい・愛らしい”や”滑稽だ・おもしろい”の意味でも用いられる語です。ただし、現代語「おかしい」に残っている”滑稽だ・おもしろい”の意味の時には、受験的にはやや出題しにくいのです。現代語の意味からそのまま推測できるのではつまらないと普通は考えるからです。この問題は、その裏をついたヒッカケ問題です。「をかし」=”趣深い”と、よく出てくる第一義を機械的に覚えているだけの受験生を狙い撃ちしているのです。
しかし、前後の文章をちょっと読めば、正解を選ぶのはさほど難しくはなく、読解力のある子なら間違えるはずはありません。ワタシの目の前にいるこの子は、まずこの手の問題を間違えるタイプではありません。「こんなの前後の文章ちょっと読めば、間違えようがないじゃない。君の実力なら判るはずでしょう」。つい詰問調になってしまうワタシに、その子は驚愕の言葉を発しました。「この予備校の先生に、『をかし』が出題されたら、100%、”趣深い・風流だ”の意味だって教わったんです」
一瞬、ワタシは、自分自身を疑いました。ワタシは、時々、その場の勢いに任せて言い過ぎてしまうことがあるからです。しかし、こんなところで「100%」とは普通の古文教師は言いません。とてもじゃないが「100%」と言えるほどの確率はないので、そんなことを言ったら、確実に生徒を騙すことになってしまいます。いくらその場の勢いでも、いくら疲れていても、こんなところでの「100%」は、ワタシの語彙では有り得ません。「それ、まさか、オレが言ったんじゃないよね」。その子は、言いにくそうに答えました。「先生じゃありません。冬の現役向け特別授業で、ある先生が・・・」。ワタシの念頭に、Nのニヤけた顔が浮かんできました。また、Nなのか!?
「いや、しかし、100%とはまさか言わないでしょ。『”趣深い”のことが多い』とか、『ほとんど”趣深い”』とかなんとか・・・」「いえ、確かに『100%』って何べんも言いました。私も前後の文章を読んで、”風流”の意味じゃないことは判ってたんです。でも、解答書く時になって、『100%』って何度も言ってたのを思い出しちゃって・・・」
もう、慰めようも弁明のしようもありません。お互い気まずい雰囲気の中、ワタシは何かをごにょごにょ言ってその子を帰しました。後になって聞いたのですが、結局、その子は後期試験で、第一志望に合格したのだそうです。実力通りの当然の合格です。ですから、この一件の被害者には結果的にならずに済みました。それで、ワタシも、この時点では事を荒立てませんでした。しかし、ワタシの中に、ある確信と小さな怒りが芽生えました。
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