詐欺師Nの思い出~疑惑の始まり
新任講師Nを迎えた新年度の授業が始まりました。当時、ワタシは、この地方校舎の古文科講師のまとめ役のような位置づけでしたので、何かと職員の相談を受けることもあったのですが、一学期のある日、職員の一人から人気のない廊下へ呼び出され相談を受けました。「実は、N先生のことなんですが・・・。まだ担当のテキストに入らないらしいんですよ」。もう一学期が始まって何週か過ぎていましたので、ちょっと驚きました。「テキストに入らずに何をやってるんでしょう」「ご自分で作ったプリントを配って、それをやってらっしゃるようです」。ワタシは、ちょっと安心しました。ウチの古文の教材は講読中心なので、テキストに入る前に基本的な文法事項を教えてしまうというのは、有り得るやり方だからです。
くわえて、ウチの古文科は、昔から各担当講師の自由を尊重する気風がありました。例えば、基本的にテキストの進度は各講師の判断に任されています。そのため通年テキストの半分も終わらないという先生もいれば、時間が余ってテキスト終了後、自分の用意したプリントで授業する先生もいるといった具合。ワタシ自身は、それを美風だと思っていました。上の立場の先生が若い講師を信用して自由を与えるから、若い講師がのびのびと力を出せるのだと、そう信じて疑いませんでした。まさか、それが仇になるとは思わずに。
それで、「心配ないでしょう。そのうちテキストを始めますよ」と答えてしまいました。職員も、「そうですね。まあ、なるべくテキストを使ってくださるよう、言っておきます」と答えてその場は終わりました。
その後、Nのことは気にはなっていましたが、こちらも自分の授業に忙しく、また、東京から遠距離を通う身として、何時でもその地方校舎のことばかり考えているわけにもいかないので、時折、「まだテキストを始めない」という話は聞いても、放っておきました。
秋が過ぎ冬を迎える頃、Nが冬期講習のセンター試験向け講座を担当すると聞いた時も、「ずいぶん優秀なんだな、良い人を捕まえたもんだな」とのんびりしたことを考えていました。採用初年度から夏期や冬期の講習を任されるのは、ウチのような大手では特別な事情でもない限り抜擢と言ってよい起用です。学生へのアンケートでかなり良い数字を出さないとそうはならないのです。
ところが、その年の冬期講習中に変なことがありました。質問に来た生徒が、「先生、センター試験って問題文を全部読まなくても解けるんですか?」と聞くんです。こういう馬鹿げた質問の場合、頭から叱り飛ばしても良いのですが、ワタシは、そういう反応がとても苦手で、「いや、そりゃ、全部読まなくても解ける問題があるのは間違いないけどね、でも、高得点は取れないだろうね、普通。どうして、そんなこと聞くんだ」と逆に尋ねました。生徒は言いにくそうにしていましたが、一緒に来た友達と顔を見合わせ、意を決したように、「N先生のセンター対策講座で、問題文を全部読むな、読解なんかしなくても問題は解けるって言うんです」。
ワタシはちょっと反応に困りました。こういう場合、生徒の前で同僚講師の悪口になるようなことを言うのは、一種の講師仲間の仁義に反することでもあり、また、生徒をイタズラに不安に陥れるという点でも感心したことではありません。「そりゃ君の聞き間違えじゃないの」「いいえ、そう言ったよなあ」と友達に同意を求める生徒。いよいよ追い詰められたワタシは、「さっきも言ったように、全文読まなくても解ける問題もある。もともと出来ない人が七割を狙うなら全文読解しないという手もあるかもしれない。だから、そういうやり方を知っておくのも悪くはない。でも、君は○○大学を受けるんだろう。センターの古文七割じゃマズいんだろ、それなら全文読みなさい」と、生徒側の事情に問題をすり替えて、その場を切り抜けました。
生徒の出て行った後も、なんだか重苦しいものが残りました。しかし、その時、ワタシはまだNを信じていました。というか、ウチの講師というものに対する漠然とした信頼を捨てられませんでした。「N先生は、今まで中小予備校で出来ない子ばかり教えていたから、そんなやり方を教えちゃったんだろ。ウチじゃそういうのは、生徒さんにウケが悪いんだが」という程度のことを考えていました。まだ、ワタシは事の重大さに全く気づいていませんでした。もう、歯止めの利かないところまで事態は迫っていたのに。
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