詐欺師Nの思い出~焦燥と憂鬱、そして決心
次の年度が始まりました。ワタシの頭の中には、あの「をかし」でつまづきかけた子とのやり取りが何時までもこびり付いて離れませんでした。「をかし」を「100%”趣深い”」と断言してしまうN。センター試験の本文を全文読まないで解けと教えるN。今までのウチの講師では有り得ないタイプです。というか、いてはいけないタイプです。ワタシは、何とかしてNのこの教え方を止めさせねばならないと思いました。この場合、直接Nに掛け合うというのは、難しいことです。Nがいい加減なことを教えている証拠は何もないのですから。それに、他の講師の講義内容に立ち入るというのは、ウチの古文科の「美風」に反することです。ワタシは間接的にNを押さえ込もうとしました。
幸いNにも弱点はあります。Nは結局、前年度、テキストを1ページもやらなかったらしいのです。ウチの古文科のテキストは、講読中心で、また付されている設問も真っ当過ぎるほど真っ当なものです。本文を読解せずに解け、などというやり方では1ページも進められないはずです。しかも、ワタシは前年度、職員から相談を受けています。その職員を利用してテキストを使うようにさせれば、Nもマトモなことを教えるしかなくなります。ワタシは、職員に働きかけて、テキストを使うよう、Nに圧力を掛けようとしました。ワタシは、まだ、Nを、そして現在の状況を楽観視していたのです。
ワタシは、職員に、「N先生に必ずテキストを使うように言ってくれ」と強く要請しました。これは、非常にマトモな要求で、職員も従うしかないはずです。ワタシは、それでNを抑止できたのだと思っていました。ところが、Nはテキストを使う様子が一向にありません。職員に相談しても、なんだかラチのあかない返事ばかり。どうも楽観できる事態ではなさそうだと気づいた時には、一学期も何週か過ぎていました。
ウチの予備校では、五月から六月に掛けて、その教科を不得意としている子を対象に特別授業を組みます。その年、その校舎の特別授業はNが担当すると聞き、ワタシはちょっと焦りを感じました。そんなことをしてNの担当クラス以外のクラスの子にまで、Nのやり方を広めてしまっては、取り返しがつかなくなる可能性があります。ワタシは、職員に働きかけ、特別授業を取る人数を制限させようとしました。ところが・・・。
Nの特別授業は、教室を満員にする大盛況となってしまいました。その時になってワタシは初めて気付いたのです。職員は基本的に人気講師の味方だというこの世界では当たり前の事実に。考えてみれば、当然のことです。ワタシとて、この商売で何年もメシを食っているのですから、十分に判っていたはずのことです。だから、今でも、そのことについて職員を恨む気にはなれません。職員は古文に関して全くの素人です。Nのやり方がどんな結果を生徒にもたらすかなど想像しようもないでしょう。職員は、生徒の求めるものを与えようと努力しているだけのことです。ただ、生徒の求める講師が正しい結果を生み出すというテーゼは、真っ当な講師ばかりが教えているという前提で初めて成り立つのですが・・・。
Nに関する噂が、その頃になると次々に入ってきました。一学期開講の授業で「オレは受験の神だ、古文の神だ」と吹きまくったこと。Nのもともと所属していた中小予備校では、No.1人気講師のNは逆らう者のない王様のように振舞っているということ。前年度の生徒のアンケートで、ウチの予備校全体の古文の講師の中でもトップの成績だったということ(ウチの古文科は受験界でも有数の人材の宝庫なので、これは驚異的なことです)。Nが自分の担当クラスの生徒に、「特別授業には他のクラスの友達を連れて来い」と宣伝していたこと。Nの授業の日にはNに質問する生徒さんが講師控え室に長蛇の列をなし、他の教科の先生に顰蹙を買っていること等々・・・。全て、憂鬱で絶望的な情報ばかりでした。
幸いNにも弱点はあります。Nは結局、前年度、テキストを1ページもやらなかったらしいのです。ウチの古文科のテキストは、講読中心で、また付されている設問も真っ当過ぎるほど真っ当なものです。本文を読解せずに解け、などというやり方では1ページも進められないはずです。しかも、ワタシは前年度、職員から相談を受けています。その職員を利用してテキストを使うようにさせれば、Nもマトモなことを教えるしかなくなります。ワタシは、職員に働きかけて、テキストを使うよう、Nに圧力を掛けようとしました。ワタシは、まだ、Nを、そして現在の状況を楽観視していたのです。
ワタシは、職員に、「N先生に必ずテキストを使うように言ってくれ」と強く要請しました。これは、非常にマトモな要求で、職員も従うしかないはずです。ワタシは、それでNを抑止できたのだと思っていました。ところが、Nはテキストを使う様子が一向にありません。職員に相談しても、なんだかラチのあかない返事ばかり。どうも楽観できる事態ではなさそうだと気づいた時には、一学期も何週か過ぎていました。
ウチの予備校では、五月から六月に掛けて、その教科を不得意としている子を対象に特別授業を組みます。その年、その校舎の特別授業はNが担当すると聞き、ワタシはちょっと焦りを感じました。そんなことをしてNの担当クラス以外のクラスの子にまで、Nのやり方を広めてしまっては、取り返しがつかなくなる可能性があります。ワタシは、職員に働きかけ、特別授業を取る人数を制限させようとしました。ところが・・・。
Nの特別授業は、教室を満員にする大盛況となってしまいました。その時になってワタシは初めて気付いたのです。職員は基本的に人気講師の味方だというこの世界では当たり前の事実に。考えてみれば、当然のことです。ワタシとて、この商売で何年もメシを食っているのですから、十分に判っていたはずのことです。だから、今でも、そのことについて職員を恨む気にはなれません。職員は古文に関して全くの素人です。Nのやり方がどんな結果を生徒にもたらすかなど想像しようもないでしょう。職員は、生徒の求めるものを与えようと努力しているだけのことです。ただ、生徒の求める講師が正しい結果を生み出すというテーゼは、真っ当な講師ばかりが教えているという前提で初めて成り立つのですが・・・。
Nに関する噂が、その頃になると次々に入ってきました。一学期開講の授業で「オレは受験の神だ、古文の神だ」と吹きまくったこと。Nのもともと所属していた中小予備校では、No.1人気講師のNは逆らう者のない王様のように振舞っているということ。前年度の生徒のアンケートで、ウチの予備校全体の古文の講師の中でもトップの成績だったということ(ウチの古文科は受験界でも有数の人材の宝庫なので、これは驚異的なことです)。Nが自分の担当クラスの生徒に、「特別授業には他のクラスの友達を連れて来い」と宣伝していたこと。Nの授業の日にはNに質問する生徒さんが講師控え室に長蛇の列をなし、他の教科の先生に顰蹙を買っていること等々・・・。全て、憂鬱で絶望的な情報ばかりでした。
その年の夏も過ぎ秋を迎えた頃、ワタシを取り巻く状況はかくも憂鬱なものでした。ワタシは自分だけでも闘わなければならないと決心していました。手遅れにならないうちに。
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