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2006年5月 9日 (火)

句読点幻想

 GWも明けて、今日から通常授業再開です。ちとツライです。疲れます。

 それはさておき、先週の月曜、連休の合間の授業でヘンテコな質問を受けました。次の『竹取物語』の文章に関する質問です。

 「あたりを離れぬ君達、夜を明かし、日を暮らす、多かり。」

 「『暮らす』は、次に『、』が打ってあるので連用形のはずなのに、何故『暮らす』なんですか?」

 古文をちょっとでも判っている人なら、脳ミソが逆上がりしそうな質問です。意味が全く不明なんです。「暮らす」は、ここでは四段活用動詞の連体形で、所謂「準体法」という用法。早い話が連体形の下の名詞が省かれている形。この場合、「人」が省かれていると考えれば上手く訳せます。そこに何ら疑問の余地はありません。にも関わらず、「『、』が打ってあるので連用形のはず」ってのは、何なんだぁ????

 頭が混乱してきたので、その子にゆっくり丁寧に問い質してみたところ、「前にいた塾で、動詞の下に読点が打ってあったら、それは必ず連用形だと教わりました」と言うんですよ。イヤハヤ・・・。

 連用形には中止法と呼ばれる用法があり、文章を一旦区切る働きがあります。例えば、

 「空は青く、雲は白い」「本を読み、ノートを取る」

という時の「青く」「読み」は連用形中止法です。文が「青く」や「読み」で一旦区切れているのが判ります。それで、中止法の下には読点を打つことが多いのは事実です。しかし、現代語で考えても、連用形中止法の下に、必ず読点を打つとは決まっていません。「空は青く雲は白い」「本を読みノートを取る」とつなげて表記しても何ら問題はありません。

 しかも、古文で、とういうことになると・・・。大きな問題があります。だって、句読点て、現代語の記号だもの。オリジナルの古文の写本には句読点なんて無いワケで、教科書やテキストや受験問題に句読点が打ってあるのは、あくまで現代の人間が読み易いように打ったもの。いわば、現代人向けのサービスです。だから、同じ文章でもテキストにより問題によって句読点の位置は微妙に違ったりします。その句読点で活用形を決めちゃうというのは・・・。古文を専門でやった人間には考え付かない発想です。発想そのものがもうデタラメなんです。

 んで、このデタラメの教えなんですが・・・、どうやら出所は、例の某有名講師Aの参考書らしいんだよなぁ。~o~;;;;;;

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