やっぱり「泣ける」かい
今日は、古文が苦手な子のための特別授業でした。この特別授業も、今週ですでに四週目。最初は、動詞の活用も全く書けず、係り結びも聞いたこと無いって言ってた連中が、徐々にではあるけれど判ってきてやる気を出し始め、とうとう助動詞の意味を考えるところまで来ました。
んで、今日は、こんな例文について、助動詞を抜き出して意味を答える問題をやらせたのですが・・・。
例文:「千ぐさの声に音こそ泣かるれ」
「るれ」=<自発>の「る」、というのが解答なんだけど、これを<可能>って答える子がいるんですよ。「何故、<可能>だと思ったんだ?」って聞いたら、「だって、『泣ける』って言うじゃないですか」だって。やっぱり出てきたか・・・。
「泣ける」という表現に関しては、06'3/29「泣きたがる人々」で書いたように、もともと<自発>表現なのです。それを最近、「泣ける映画」などと、<可能>で使うようになっていたので気になっていたのでした。とうとう、その影響が、古文解釈の方にまで及んできたということです。ヤレヤレ、これからは、「『泣くことができる』って言わないだろ、だから<可能>はダメ」なんて説明では判ってもらえなくなるワケだ。
「古代は我々から刻一刻と遠くなっている。だから我々古典研究者は絶望しなければならない」ってのは、ワタシの大学の時の恩師の言葉なのですが、今更ながら、ナルホドとうなづかされる昨今なのでした。
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