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2006年9月26日 (火)

秋の夕餉または一つの文化的終焉

 今日は仕事がオフの日で、一日自宅で雑用&デスクワークでした。んで、デスクワークが残っていて夕食作る時間がなかったので、和食系ファミリーレストランの『A屋』さんに夕食を食べに行きました。

 ちょうど、季節がら「松茸ご飯膳」というのをやっていて、ああ、そう言えば今日は秋めいていて良いかも、と思い注文。さて、食べてみたのですが、へえっ、コレってマツタケなの?!と思うぐらい香りがしません。一緒についている土瓶蒸しも同様。なんだかもの悲しくなりました。やっぱ、所詮ファミレスの定食だもんな~。どーせ、中国産かカナダ産の安物だよね。

 ところが、その松茸ご飯を食べながら、ふと思ったのです。「あれっ、松茸ってどんな香りなんだっけ?」

 そう言えば、ここんとこ香りの高い松茸様に、とんとご無沙汰です。つかこの間、ああ、松茸は香りの良いものだと感じたのは何時のことだろう。確かワタシの子供の時分には食べてました。あの時は、香りの高いもんだと確かに思ってたのに、大人になってから香りの良い松茸を食べてないんじゃないかしらん。

 ワタシの両親の家は、決して裕福な暮らしではありませんでした。でも、ワタシの子供時分には、そんな我が家でも香り高い松茸ご飯を、時々は食べてました。国産松茸がまだまだ安かったからです。でも、今や国産松茸で松茸ご飯を炊けるご家庭なんて、どのくらいあるんでしょう。

 多分、今のお子さんで、松茸ご飯の香りを経験できる子って少ないんじゃないかしらん。ご家庭で国産松茸の松茸ご飯なんて炊けないもん。とすると、我々の世代が死に絶える数十年後、松茸料理という一つの文化は終焉を迎えるんじゃないでしょうか。

 そう思うと、余計にもの悲しくなりました。考えてみれば、そんな文化的終焉って身の回りにたくさんありそうです。スキーだって、地球温暖化で数十年後にはどうなるか判りません。冗談で、最後の天然雪スキー場はヒマラヤの奥地になる、数十年後にはスキーと言えばインドへ出かけることになる、なんて言ってたことがあったけど、もしかして、ワタシが生きてる間にそんな事態が起こらないとも限りません。それはヤダよねぇ。~o~;;;;;;;

 ともあれ、松茸料理という文化はワタシの身の回りでは、ほぼ終焉を迎えてるんです。少なくとも、「松茸ご飯膳」1980円ナリを食べてるワタシの身の回りではね。恐らく、この20倍くらい食費を掛けられる人の所では、まだ松茸料理文化は生きているんでしょうけどね。~o~;;;;

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