信仰の地平から見えるもの
今日(25日)、吉祥寺の仕事の帰りに居酒屋『時代屋』で夕食を取ってきました。その時のこと、隣の席に女性の二人組が座っていて、片方の女性が日本酒を注文しては話しているのですが、どうも辛口がお好みのようで、辛口を注文しては、「まだコレは甘いわ」などとやっています。あーあ、また「辛口」教の信者さんかよ、とウンザリしました。
いったい何時始まったのでしょう、日本酒の「辛口」信仰って。日本酒のような複雑な味わいの物を「辛い⇔甘い」の二元論だけで論じられるはずはないのに、何故か、「辛口=美味い酒」という信仰は根強くはびこっています。しかも、その「辛口」を計るモノサシとして、日本酒度などという物を持ち出してくるに至っては・・・。
日本酒度というのは、糖度です。+が多くなるに従って、糖度が少なくなります。従って、甘くない度合いはある程度計れます。しかし、「辛い」という味わいは、もう少し複雑なもので、本来、酸度なども組み合わせて考えるべきものです。さらにその「辛さ」が「美味い」かどうかということになると、これはまた別問題で、糖度、酸度、香りに加えて、様々な雑味などまで考慮しなければなりません。日本酒度などという単純なもので計れるはずがないのです。
にもかかわらず、「辛口」信仰の方が行き着く先は、この日本酒度というモノサシなんですよね。「+20だから美味い」みたいなことを言い出すんです。どんどん単純化するわけです。きっと、自分の舌で味わい感じるという複雑な作業が嫌いなんでしょう。でも、それが嫌いじゃあ、日本酒飲む意味ねーぞ。
信仰は世界を単純化してくれます。そこには、心の平安だけは存在していますが、「生」のダイナミズムや複雑さなどありません。瞬間の楽しみも喜びもない世界。つまんねーの。
スキーも同じです。例えば、「内足主導」という信仰を持つ人は、どんどんそちらの方向にスキーを単純化させようとします。大回りから始まって、小回りも内足主導にしたがるし、しまいにコブ滑りまで、内足主導のバンク滑りを最高の滑りとして祭り上げます。
でも、どう考えても、スキーなんてそんな単純なもののはずはありません。ゲレンデの状況は刻一刻と変化しますし、斜面によって千差万別の状況があるわけで、一つの滑りで単純化できるはずがありません。その斜面その状況に合わせて、何が合理的な滑りなのか考えなきゃいけないはずなのに、考えることを放棄して、ひたすら「内足主導」や「二軸運動」を推し進めていく人達がいるわけです。その信仰の地平から見えるものは、心の平安と引き換えに得られる、極めて貧しい箱庭スキーなんじゃないかと思うのですが・・・。
まったく日本酒度だけで酒を計るようなものです。世間一般が日本酒度だけで日本酒を計るようになったら・・・。あーヤダヤダ。不味い酒がはびこるのだけは御免ですゼ。
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コメント
初めまして、内足主導などのでっち上げ・捏造には怒りが込み上げます。私は底辺レベルのスキーヤーですが日本のスキーを潰す様な行為は許せません。しかし、実際のところ指導員でこれらの馬鹿げた事を本当に信じている方はいるのでしょうか?
投稿: 総統 | 2007年2月18日 (日) 10時49分
書き込みありがとうございます。
ただ、ワタシとしては、内足主導を「でっちあげ」とか「捏造」と決め付ける力も根拠も持っていませんし、その気もないんですよ。
日本酒に関しては、辛口が良いとも甘口が良いとも決め付けて信仰してしまうのは、大変つまらないことになります。美味いと感じる酒が良い酒なんだと思うからです。
スキーも同じで、内足主導が正しいとか外足主導が正しいとか決め付けるのはつまらないことなんじゃないかとワタシは思います。スキーは自然を相手にするスポーツなので、自然の状況に合っていて気持ち良ければOKなんじゃないでしょうか。
ちなみに、指導員や選手の方たちでも、状況に応じて使い分けなさいと教えてくれる人達は多いです。しかし、どんな状況でも、内足主導だの二軸運動だのでなければ評価しないという人達がいるのも確かなことのようで、そういう「信仰」は困ったことだと思います。
投稿: Mumyo | 2007年2月19日 (月) 01時32分