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2006年10月31日 (火)

ドラマ『のだめ』の研究その三

 ドラマ第三話、昨日と今朝で三回ほど見直しました。今回はちょっと失望。つか期待し過ぎですかね・・・。~o~;;;

 まず脚本。指揮者千秋の成長物語にしたいのは判るんですけど、ちょっと単純化し過ぎのような気がします。千秋だって、もともと指揮者を目指してるんですから、練習中あんなに怒鳴ってばかりでは逆効果になることぐらい最初から判っているはず。判ってはいるんだけど押さえきれずに怒ってるはずなんですよね。原作はそこを判ってるから、千秋が練習指導する態度って結構微妙に変わっていきますよね。まあ、玉木君の演技力の問題もあるかもしれないけど。でも、漫画より実写の登場人物の方が単純てのも、情けなくないですか。

 あと、原作には無い桜ちゃんのアルバイトシーンなのですが、のだめは裏軒でご飯食べて歩いて帰るくらいだから学校の近くに住んでるんです。ソコ行くと、桜ちゃんは中野に住んでて、歩いて来るのはタイヘンという設定(原作では10km歩くことになってます)。なので、桜ちゃんのアルバイトする弁当屋の前でのだめがヨダレ垂らすってのはちょっと無理ないですか。だいたい、学校の近くの弁当屋なんかでアルバイトしたがらないでしょ、音大生。

 演技の方ですが、桜ちゃんのサエコさん、怒鳴りすぎ。いつでもどこでもあんなに声が割れるまで怒鳴りまくってはぶち壊しデショ。桜ちゃんって実はお金持ちのお嬢さんなわけで、貧乏は一時的なものなんですよね。普段はもう少しサラっと演じて、本気で怒鳴るのは、お父さんに「お父さん!わたしはコントラバスが好きなの!」ってところだけで良かったんじゃない。

 真澄ちゃんの小出恵介君は、なんだか回を重ねるごとにヒドくなりますね。まー、そういう演出なのかもしれないけど。

 上野樹里さん、桜ちゃんの問題が片付いたところで、口の端にオベント付けて「ふふん」って笑いながら鴨ローストに食いついて明るい顔するシーン、意味不明です。「のろいのヴァイオリン」の話のオチは、原作だと、千秋とのだめが、「うそ・・・」ってつぶやいて青ざめた顔するんですよね。あそこんとこ多分、演出の問題と思うけど、「それでお父さんも正気に」って聞かされて、あんな明るい顔になっちゃ変ですよ。

 あと、お風呂もらいに来るシーン。頭が痒くなるほどの髪の毛には見えません。役作りちゃんとしましょう。それにもう一つ、今回、のだめのファンデーションが目立ったんだけど、化粧するようになったんですか、のだめ?Club One More Kissでお色気修業する以前ののだめが化粧しちゃマズいんじゃないの。さらにもう一つ、無理かもしれないけど、音大生なんだから、お風呂の鼻歌の音程、もう少しなんとか・・・。~o~;;

 玉木君、時々のだめを張り倒す瞬間に口元が笑ってますね。「それが恵んでもらう者のいいぐさかー!」ってとこなんか明らかに。ギャグは、演じてる人間が率先して笑っちゃダメですよ。

 なんか今回は悪口ばかりになっちゃったんで、一つだけホメます。大河内君、原作と違って出番のヘンに多い邪魔なキャラだと思ってましたが、桜ちゃんのコントラバスに後頭部ぶっ飛ばされるトコ、体当たりの演技でヨカッタ。初めてですね、存在意義があったの。~o~

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2006年10月30日 (月)

頑張れ「ダイエーホークス」

 『純米酒を極める』を読み終わってから、このプログの「日本酒」に関する記事を読み直してみたのですが、かなり上原さんのおっしゃってることと重なってます。えへへへ。ワタシゃ別に、特に勉強したわけではないただの酒飲みなのですが、経験的に結構正しいセンをついていたようです。~o~

 「辛口信仰」の話や日本酒度と酸度の話(06'9/26「信仰の地平から見えるもの」参照)とか、精米歩合の話(06'10/27「美味い酒は旨い酒」参照)などは、ほぼ同じことを上原さんもおっしゃっていて、大いに意を強くしました。

 昨日書き忘れたのですが、この『純米酒を極める』という本で一番気に入ったのは、最終章の最後の一言、「消費者が一番偉いのである」。そうだよね。さすが生き字引様。良いことを最後に言ってくれてます。

 それはさておき、今日、仕事の帰りに、その一消費者として近所のダイエーに買い物に行ってきました。んで、気になったのですが、ダイエー八王子店は今、「ソフトバンクホークス感動をありがとうセール」ってのをやってます。まあ、それは商品が安くなるんだから良いんだけど、ソフトバンクホークスの応援歌を店舗中で鳴らしまくってるんですよ。なんだかな~。

 このソフトバンクホークスの応援歌、実は、ダイエーホークス時代に作ったもので、「ダイエーホークス♪」という歌詞を「ソフトバンクホークス♪」に代えただけのシロモノ。ダイエーホークス時代は、シーズン終了時の今頃、店舗の中で掛かってました。優勝セール、応援感謝セールの音楽として。

 ワタシ、実は、南海ホークス時代からのホークスファンなんですよ。ダイエーがホークスを買収した後、南海時代からのファンの中には、ダイエーに対して良からぬ感情を抱いた人もいたようですが、ワタシは感謝しています。ダイエーさんが買収して福岡に定着させ、根本さんや王さんを呼んで強豪チームに育ててくれたのですから。

 その後、ダイエーは経営不振からホークスを手放すことになりましたが、今でも、ダイエーに対しては、ある程度親しみを持っています。だから、食料品の買い物はたいていダイエー。~o~

 ソレを考えると、今年の「感動ありがとうセール」でソフトバンクの応援歌を流してるのは、ちよっと複雑。ダイエー、悔しくないんですかねえ。なんだか、別れた女房の再婚先に行って、愛想笑いして小遣いもらってるダメ亭主見てるみたいで・・・。~o~;;

 ちょっと切ない気分です。頑張れダイエー!~o~

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2006年10月29日 (日)

生き字引様の痛快~『純米酒を極める』

 「日本酒」を独立させたついで、と言ってはナンですが、以前購入して読んでいなかった『純米酒を極める』(上原浩著 光文社新書)を読んでみました。

 購入してから読んでなかったのは、「酒は純米」という著者の主張に、ちょっと反発を感じていたからです。純米にこだわらなくても美味けりゃ良いだろー、というのがワタシの基本的な姿勢なもんですから。

 でも、この本を読んで、純米にこだわる著者の言い分も理解できるようになりました。著者は、鳥取県工業試験場に長年勤務し、酒造技術指導の第一人者で、『夏子の酒』の「上田先生」のモデルにもなった「酒造界の生き字引」なのだそうで、兎に角酒造りに関する知識と経験がハンパではありません。そのため、あらゆる技術に通じていて、醸造の裏ワザ的新技術をたくさん紹介してくれています。ナルホド、これだけ誤魔化しの技術があったら、生半可にアル添を認めてた日にゃあ、ワケの判らない酒が出来ちゃいますよね。「純米」以外は日本酒にあらず、と言いたくなる気持ちも判ります。

 でも、やはり、消費者の一人としては、少量のアルコール添加で吟醸酒の上立香を立たせる技術は残しておいてほしい気がするんですよね(著者もこの技術を認めてはいるのですが、一方で、それを「日本酒」と呼ぶな、と主張しています)。著者は、上立香の強すぎる酒は料理に合わないと言います。確かにワタシもそう思います。でも、食前酒として上立香の高い吟醸酒を一杯というのは、気分が華やかになって良いと思うんだけどなあ。別に何杯もそれを飲もうというのではなく、大吟醸の上立香を一杯楽しんだ後、食事に合わせてしっかりした純米酒を一合、なんていうのは心豊かな感じがして良いと思うんですよね。

 だから、「酒は純米、燗ならなお良し」という著者の主張に全面的に賛同するつもりはありません。それで、この本の前半は、正直、押し付けがましい感じがして、ちょっと抵抗がありました。「この人、『のだめ』的に言うと、『オレ様』なんだろな」と思ってました。でも、後半の「米とつくりの重要性」あたりからの「愛情余っての醸造界への提言」は、読んで楽しいです。大いにうなづかせられるところが多々あります。「酒を知らない酒造家」や「酒に愛情のない酒販店」「何も分かっていない本の著者」なんてのをぶった切ってく様は、水戸黄門の最後の十分間みたいで、痛快です。

 「酒は純米」には全面的には賛成できないし、人肌の燗の美味さを認めるのはやぶさかでないにしても、それ以外を否定されちゃうのはちょっと心外なんですが、それを割り引いても、気持ちの良い本です。著者の醸造に対する深い見識と愛情がうかがわれて、清清しい感動があります。何より、日本酒マニアとしては大いに勉強になります。日本酒を好む人、これから飲んでみようと思っている人には、是非読んでもらいたい好著です。

 こういう本が、『バ○の壁』だの『国○の品格』だのという「炭をかけまくった三増酒」みたいなベストセラーよりも、たくさん売れる世の中になってくれませんかねえ。~o~;;

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2006年10月28日 (土)

祝「日本酒」独立記念日

 日本酒関係の記事が増えてきたので、「日本酒」というカテゴリーを「飲食物」から独立させてみました。ってことで、独立記念にまたまた日本酒の話。昨今の日本酒を消費者の側から語る時、大事なのはコストパフォーマンスではないかと思います。ワタシ、けっこう重視してます。

 日本酒の値段って、ホントに当てになりません。値段の決定要素には、品質や味以外に歴史的経緯が絡んでくると思うので。

 地酒や吟醸酒の最初のブームがおこった頃、名前を売った酒造の酒は、今となっては概して割高になっています。「越の寒梅」などはその典型でしょうが、「浦霞」「菊姫」「久保田」「黒龍」などがその類でしょう。残念ながら、我が「八海山」もプレミアがついた値段で売られる限り、この仲間に入ってしまいます(まあ、定価で買う分には、「八海山」はここには入らないのですが・・・)。茨城「郷の誉」や静岡「磯自慢」、青森「田酒」なんかも、ここに近いかもしれません。

 これらの酒造の酒は、銘酒として名前が売れているので、ある程度日本酒にお金を出せる固定客がついています。無理して品質を向上させなくても、今までの通り作っていれば酒は高い値段でさばけていきます。

 ところが、十年ちょっと前に山形「十四代」の高木酒造が、当時としては革命的値段で高品質の大吟醸を世に出しました。これは、本当に醸造界の革命でした。なにしろ、今まで一升8000~12000円くらいしたYK35(山田錦を使用し精米歩合35%で、協会9号酵母の酒。大吟醸の黄金比率と言われていました)の大吟醸を、一升5000円くらいで売っちゃったんですから。当時、「醸造界のイチロー」と讃えられたものです。「十四代」は、アッという間に、日本酒党を虜にし、「十四代」は、ほとんど幻の酒と化しました。

 この高木酒造の成功に、小泉チルドレン(06'10/8「小泉チルドレンとF1嫌い」参照)を中心とする若い蔵元さん達が続きました。今までは考えられなかった値段で高品質の吟醸が売り出されました。兵庫「奥播磨」山口「獺祭」愛知「醸し人九平次」なんかがソレですね。この流れは、今も、各地の若い蔵元さん杜氏さんに受け継がれています。

 従って、今、コストパフォーマンスの良い酒は、多くこの新しい流れの中に生まれます。すでに功なり名をとげてしまった酒造よりも、無名でも、やる気のある若い杜氏さん若い蔵元さんの酒が、安くて旨くて面白いんです。石川の「遊穂」や広島の「富久長」茨城の「来福」とか注目してます。

 こういう人達の努力がもっと報われると良いんですけどね。「日本酒は悪酔いするから焼酎」なんて人、結構いるみたいだけど、以前の品質の劣る日本酒や「メーカー」さんの安酒ならともかく、しっかりした蔵元さんのある程度の品質の日本酒なら考えられない単なる誤解なんですがねえ・・・。

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2006年10月27日 (金)

美味い酒は旨い酒

 昨日は、さすがに早寝したおかげで、今日は体調回復傾向です。比較的気持ち良く授業できました。まあ、とりあえず、良かったかな。

 仕事が終わってから八王子のそごうでやっている大新潟物産展に行ってきました。別に、特に目当てはなかったんですが、まあ、新潟という名前に惹かれて。新潟物産展ということになると、どうしてもお酒がたくさん来ていて試飲をやっています。試飲カップ差し出されて、「どうですか~」って言われると、弱いワタシなのでした・・・。~o~;;;

 んですが、ホントんとこ新潟の酒の試飲は、あまり期待してませんでした。だいたい判ってるつもりだったし、デパートの物産展に来ている試飲なんて・・・と思ってました。

 んで試飲一発目。予想通りでした。上越市の某酒造の試飲だったのですが、辛口を勘違いしてます。辛けりゃ売れるだろ、って考えてるんですかね。辛味しか感じられない、「辛いだけ口」の酒でした。所謂「端麗辛口」の一つの典型。こんなのだったら、醸造用アルコールを直接飲んだ方がマシかも。つか、コレってホントに醸造用アルコールそのものじゃないのかいな。

 一瞬、複雑な表情をしてしまったワタシに、売り子のおばさんは勘違いして、「お兄さん、辛口と甘口とどっちが好きなの?」だって。「辛口も甘口も好きだけど、こんな辛いだけ口は嫌いなんだよっつ!」って言っちまいそうになって、踏みとどまりました。

 んで、ガッカリして、もー二度とココで試飲はするか、と思ったのですが、しばらく見て回るうちに、ついもう一度だけって気になって・・・。~o~;;

 ところが、今度は、奇跡的に当たりました。長岡の住乃井酒造「山廃純米吟醸 寒昴」。軽やかなタッチだけど、ちゃんと旨味を持ってます。ちょっと驚いて、「ちゃんと旨味がありますねえ」って言っちゃったら、蔵の人が気を良くして、他の製品も次々試飲させてくれました。こちらの蔵は、山廃の酒しか作っていないのだそうですが、試飲したどのお酒もちゃんとポリシーを持って作ってる感じで、悪くなかったです。上記の「寒昴」四号ビン、買ってきちゃいました。

 んで、いろいろ試飲して思ったのですが、美味い酒って何なんでしょうね。

 コレって、人によって本当に意見が分かれるものだと思うんですよ。結局、突き詰めれば、個人の好みでしかないんでしょうね。だったら、自分なりに好みを整理しておいても良いのかなと思いました。そこで、今、自分が美味いと思う酒について書いてみます。

 まず、基本的に酒の作り方自体はこだわりません。山廃でも速醸でも純米でもアルコール添加でも。ようは、美味けりゃ良いんじゃないかと。「純米」にこだわる人ってよくいるんですが、ワタシゃあんまり意味がない気がします。「純米」でも飲んで不味い酒は山ほどあります。飲んで美味いに優るものはありません。

 経験的に、米は酒造好適米を使ってほしいです。「コシヒカリ」とか「ササニシキ」で作って美味いという酒には出会ったことがありません。精米歩合は30~50くらいが好みです。精米歩合高すぎて、全く雑味のなくなっちゃった酒を飲んだことありますが、ツマラナイです。かと言って、60%以上の酒は雑味が出すぎるか、活性炭素の濾過を掛けすぎて味もそっけもなくなるかどっちかな気がします。結局ワタシは、吟醸系の人間なんですね。

 吟醸香はあった方が好きですが、なくても特に文句を言うつもりはありません。しかし、ヒネ香やアルコール臭があるのは我慢できず、いくら美味いと言われてもヒネてるのだけはカンベンしてもらいたいデス。(時々、それが好きだという方がいらっしゃるんですよね。)

 味は、甘口でも辛口でも可。ただし、辛いだけ口、甘いだけ口は御免蒙りたい。甘さは、サラッとした甘さが好みです。ベタっと甘いのは論外。甘口辛口よりも旨味のある酒が最近は好きです。口に含んで少したって出てくる旨味が大事なんじゃないかと思います。

 酒の旨味は、糖度と酸度のバランスのとれた酒に感じられやすいと思います。具体的には、糖度(日本酒度)0~+10くらいで、酸度1.3~1.8くらいですかね。最近、酸度高めの酒が好みですが、やっぱ1.5くらいが良いかも。

 結局、美味い酒は旨い酒じゃないかと。

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2006年10月26日 (木)

『のだめ』症候群?!

 昨日、ブログを書き終えてから、『のだめ』第13巻を買ってきてしまいました。一気に読破。なんとサッカーネタ連発ですね。「デシャン・オケ」はともかく、「マルレ・オケ」って誰が判るんだよ?!

 今までのサッカーネタギャグ、気づいた限り並べてみると、

 インザギ(ピッポ=インザギ、現イタリア代表のFW)クリスマス公演、

 マラドーナ(ご存知アルゼンチンの英雄、ペレの次に有名なサッカー選手)コンクール、

 プラティニ(ジダンの前のフランスの「将軍」)国際指揮者コンクール、

 ウィルトール(2006ドイツWカップのフランス代表FW)交響楽団、

 デシャン(98Wカップのフランス代表主将、現ユベントス監督)オーケストラ、

 マルレ(2004ユーロの時のフランス代表FW)オーケストラ。

 特に、スティーブ=マルレはマニアック過ぎ。サカオタだって、すぐにはどんな選手だか思い出せないよ。~o~;;;

 んで、夜、『のだめ』読み続けているせいか、非常に体調悪いです。「めまい」がします。寝不足です。授業はなんとか普通にやってますが、休み時間にスウィッチオフになって、コテンと寝ちゃったりします。ヤバいな~

 今日の夕飯は、池袋の居酒屋さんだったのですが、酒の味がイマイチ安定しません。体調が悪いと、酒って安定的に味わうこと出来ないんですよね。山口県「雁木 純米吟醸ひやおろし」、千葉県「木戸泉 白玉香 純米ひやおろし」、どちらも素晴らしい酒のはずなのですが、イマイチ味わえません。ひたすら眠いっす。やべー。

 今日は、もう寝ます。とにかく体調をどうにかしなくては。(しっかし、もう良い年なんだから、体調崩すほど漫画読むなよ>オレ ~o~;;;;)

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2006年10月25日 (水)

ドラマ『のだめ』の研究その二

 朝から『のだめ』の第二話をまた見ちゃいました。これで三度目。原作の方も昨日、第12巻まで読み進めてしまいました。なるほど、ドラマは日本編の最後まで行くんですね、きっと。それと、「プラティニ国際指揮者コンクール」の演奏が「ウィルトール交響楽団」って、またまたサッカーネタ。「ウィルトール」はちょっとマニアック過ぎかも。~o~

 さて、ドラマ第二話ですが、主要登場人物を第一話に無理に登場させた結果、峰君の追試、真澄ちゃんの「死んじゃえ委員会」、シュトレーゼマンのSオケという三つのエピソードを同時進行させるることになり、やや忙しい感じがします。が、TVドラマはこのくらいのテンポで進む方が飽きなくて良いかもしれませんね。三つ同時に進めるためのつなぎに三木清良を使っていますが、結果としてR☆Sオケの話への導入にもなりそうだしね。

 ただ、ちょっと気になったのは、ギャグの処理。ちょっと漫画チックにし過ぎデショ。のだめが「転科だめー」って千秋に突っ込んでって、岩に激突とか、千秋が投げた鯵が水槽で泳ぎだすとか、原作にないしハッキリ言ってドラマ的にもそんなに面白くないデス。逆に「だっちゅーの」はギャグとしては古過ぎ。原作通りなら良いってもんじゃないデショ。

 「近所の魚屋さん」に「オマエは猫か!」って突っ込みを入れたのは良かったと思うけど、「これが<春>。オマエ達のは<正月>」を、「オマエ達のは<梅雨>」って変えちゃったのはどーだろ、峰君の演奏はやっぱ<正月>デショ。それにせっかくのサッカーギャグ「インザギ」を「アルバート=マイナー」って何やねん!(10/21「『のだめ』が止まらない」参照)~o~;;

 演技の方ですが、相変わらず上野樹里は絶好調ですね。過剰な演技なんだろうけど、決してオーバーとしいう気がしないのはコメディエンヌとしての能力の高さですね。峰君の役者さんも長台詞の早回しをこなしきってて、良いのでは。真澄ちゃんの役者さんはあんまりオーバーにし過ぎない方が良いと思います。もともと漫画チックなキャラなので、なりきれてない人がやり過ぎるとクサくなります。その点で竹中直人の怪演は、いまさらではありますがスゴイ。

 あと、上野樹里と真澄ちゃんの役者さん、「女の武器!」ってとこは、もっと声をそろえて舞台俳優風にハッキリやれば、面白いギャグだったのに。せっかく脚本が頑張ってるんだから、もうちょっと意図を察してあげてほしいですね。残念。

 それと、演奏ですが、峰君の「オナニープレイ」は、シロウトでも本格派との違いが判って良かったと思います。

 ってなこと「研究」してる場合じゃないですね。仕事しなければ・・・。あー、最近「のだめ」のせいで、デスクワークが全然進まなひ~。~o~;;;;

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2006年10月24日 (火)

元イジメられっ子からの提言

 今日明日は久々に自宅での完全オフです。んで、ちょっと前から気になっていた話題を取り上げてみようかなと。

 生徒児童のイジメ自殺が相次いだって話、実はあまり詳しく新聞読んでなかったんで、ちょっと前からの新聞を読み直しているのですが(ってか、新たに読む部分がほとんどなのですが)、ん~~。どうなんですかねえ。

 今日も鹿児島で中学校の教諭が女生徒をいじめていたって記事が夕刊に載っています。まー、教師の方がイジメに参加しちゃうというのは、ちょっと論外なのかなと思いますが、子供同士いじめ、いじめられの関係が生ずるのは、昔からあったことで。最近のイジメは陰湿らしいけど、我々の頃だってけっこう陰湿なイジメはあったと思います。

 よく、イジメは子供達のストレスが原因、みたいなことを言ったりします。でも、ワタシの育った町は何の変哲もない田舎町で、子供達は伸び伸び育って全くストレスなどありませんでしたが、ちゃんとイジメはありました。なにしろワタシ、イジメられっ子でしたから、その辺は詳しいです。それも、一回イジメが原因で隣町の小学校に転校して、そこでもイジメられちゃうくらい筋金入りのイジメられっ子。

 何故そんなにイジメられたのか、今なら見当がつきます。ワタシは、実はかなりエキセントリックな子供でした。つか、多分、二十歳代まではエキセントリックな人間でした。(「でした」と過去形にすると、今でも各所から苦情がでそうですが、これでも三十歳以降、比較的ノーマルになったんですよぉ~。~o~;;;;)

 我々日本の社会は、少数のエキセントリックな存在を決して許容しない社会なんですよ、きっと。例えば、ネットのBBSなんか見てると、エキセントリックなヤツを集団で攻撃するのってモノスゴクよくあるじゃないですか。スキー関係のBBSでもよくあったなあ。多分、某巨大掲示板なんて、今でもそんなのばっかりじゃないんですか。ブログが炎上しちやったりするのも、モロにイジメですよね。また、今回のイジメ自殺事件の報道を見たって、某週刊○潮の先生の実名報道なんて、社会正義という名の下のイジメでしょ、アレ。

 ただ、大人は衝動を抑えることを知ってますから、イジメが表に出ることは少ないってだけ。その大人社会にしてから、匿名性の高いネットの世界はイジメ天国なんだから、まして衝動を抑えられない子供の社会で、イジメが表面化しちゃうのは当然のことでしょう。

 従って、イジメを撲滅しようというのはナンセンスです。我々の文化そのものを根底から変革して、エキセントリックな存在を許容できる社会にしなきゃいけないんでしょうが、そんなこと、出来るわけないです。

 だから、イジメ自殺問題の解決策は、イジメの撲滅ではなく、イジメのコントロール。それに自殺の防止です。コントロールの方はともかく、自殺の防止の方は簡単です。ワタシは小学校四年から六年にかけていじめられてましたが、その間、一回も自殺は考えませんでした。自殺という逃避と報復の方法を知らなかったからです。

 自殺はイジメからの逃避であると同時に強力な報復行為となります。だって、マスコミの皆さん、イジメ自殺事件の報道を嬉しそうになさってるじゃないですか。それも、極力いじめられた側に立って、社会正義を振りかざしてくれちゃうわけで。いじめた側の人間に社会的制裁が加えられるのを、現在イジメにあっている子供達は当然、我が事として見てますよね、興味をもって。

 イジメ自殺が連続して起こるのは、そこに原因があるわけですね。ワタシだって、一番激しくイジメられてた小四の頃に、マスコミの皆さんが死んだ子のために報復してくれるさまを見ていたら・・・。間違いなく、享年十歳でアチラ側に旅立って「居士」と名前が変わっていたでしょう。

 だから、イジメ自殺を防ぐ策はただ一つ、マスコミが報道を抑制すること。仮に報道したとしても、イジメられた側に一方的に立たず、自殺を戒める報道をすること。「どんなことをされたとしても、自殺はいけないことだ」と繰り返し報道することです。社会正義を振りかざす連中は、自分たちが結果的に子供を殺しているという事実と向き合うべきです。

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2006年10月23日 (月)

刹那を虐殺する機械としてのカメラ

 今日、吉祥寺の居酒屋さんで夕食を取っていた時に、隣の席に本格的なプロっぽいカメラを持った男女が座っていたのですが、写真の話題がいろいろ出て、幼稚園(小学校だつたかも)の運動会で、いくら規制してもカメラを構えた親が競技の邪魔になるところまで入ってきて写真を撮るという話になって、「その場で子供が楽しいかどうかより思い出作りで一生懸命なのよ」って。

 この話、なんだかとっても納得できました。日本人って、特に最近の日本人ってコレ多いですよね。例えば、NZのスキーツアーでのこと。確かにスキー自体は楽しいんですよ。でも、何かあるごとにみんなデジカメを持ち出します。そりゃ本当に楽しんでいるところを撮るなら判るのですが、別に特に楽しいわけでもない所でやたらに記念写真を撮ります。それも何台ものカメラでとっかえひっかえ。そのたびに楽しそうなポーズを取らされるのですが、なんだか変じゃないですか。楽しい時を記録するというよりは、記録のために楽しい振りをさせられてるみたいで。

 刹那の楽しみが虐げられ、「思い出」のために偽りの楽しみが記録されているように感じます。そりゃ、後から見れば刹那の記憶は薄れるし、カメラはフレームの中のある瞬間以外のものは残さないから、写真を見て「楽しかったね」になるのかもしれませんが、何だかな~。

 子供の成長を記録したり、純粋に映像美を追求したりするのは理解できます。つか、そういう物なら好きだといっても良いです。でも、単なる「思い出」のための記念写真は・・・。刹那の喜びを犠牲にしてまで、「思い出」作ってどうするというのでしょう。

 椎名林檎は『ギブス』の中で、写真を取りたがる彼氏に対して「写真になっちゃえば、アタシが古くなる」といって拒否します。 二人の関係を「絶対」という言葉で固定しようとする彼氏に対して「醒めてしまえばそれすら嘘になる」と嫌がります。「刹那」の真実に対して、固定され記録された「永遠」の偽りを拒絶するのです。

 最近、記念写真を撮られるたびに、ワタシ、『ギブス』の林檎嬢と同じような気分に襲われてしまいます。

 翻って、日本人、特に最近の日本人は記念写真好きですよね。カメラ付き携帯って、鋭いとこをついた商品です。アレは売れるわな。しかし、携帯も嫌い記念写真も嫌いなワタシにとっては・・・。

 さてさて、んなことノンビリ書いてる場合じゃない、『のだめ』第二話のビデオを見て早く寝なければ・・・。~o~;;

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2006年10月22日 (日)

八海山は紅葉とイロイロ

 昨日今日と新潟県八海山の紅葉フェスティバルという催しに行ってきました。八海山、今紅葉らしいです。「らしい」というのは、夕方到着、紅葉フェスのパーティに出て宿に帰って寝て、朝飯食ってみんなで朝からビデオ見て、昼飯食って帰ってきちゃったから。遠くから見たら、八海山は紅葉してた・・・みたいデス。~o~;;;

 八海山に行くと銘酒八海山を飲むことになります。やっぱ、地元だし。んで、銘酒八海山ですが、正直言って、毎晩二合っつ飲むという程度の酒です。でも、二合っつ晩酌に飲むには良い酒です。ちゃんと旨味を持ってます。デタラメな酒じゃありません。

 でも、そんなにありがたがって飲む酒じゃないのも事実。どういうワケか端麗辛口信仰の波に乗っかっちゃって東京じゃありがたがられてますが、普通に毎晩飲む酒ですよ。地元の普通の酒屋なら普通酒も本醸造も定価で売ってます。普通酒が一升2000円ほど本醸造だって一升2400円くらい。

 それが、東京だとプレミアがつきます。さらに滑稽なのは、地元六日町のスーパー、ジ○スコでも、プレミアついて一升4500円程度になってること。ジモティは誰も買いませんよ、そんなの。こういう大型店だと仕入れが東京経由になっちゃうんでしょうね。~o~

 以前、八海醸造の宴会に知人のつてでおよばれしたことがあります。八海醸造の蔵元さんの南雲さん、良い人なんですよ。ワタシみたいなワケのわかんない人間もちゃんと分け隔てなく歓迎してくれました。宴会では非売品の「八海山純米大吟醸」をコレでもかと出してくれました。意地汚いワタシは、もー、ここを先途と飲みまくり~。~o~;;;

 んで、ベロベロになって社長の二郎さんに「なんで東京だとプレミアがつくんですかぁ~」ってカラんでしまって・・・。イヤハヤ、向こうが大人の対応してくれたから良かったけど、我ながら・・・ヴァカ!~o~;;;;;;;

 そんな思い出がある銘酒八海山、紅葉フェスでは飲み放題です。悪い酒ではないのでどんどんいただきました。あはははは。

 んで、地元の人間と話してきたのですが、八海山は、以前、スキー場の年間の利用客が八万人ほどだったのだそうです。それが一昨年、アノ震災の後の風評被害で六万人ほどに減り、昨シーズンは記録的豪雪による交通マヒや苗場での雪崩の影響などもあって、六万人を切ったのだそうです。今シーズン、これが続いたら、スキー場危ないって話。

 冗談じゃありません。八海山スキー場も地元の人間も何にも悪くないのに、たかが地震と大雪くらいで、スキー場に無くなられてたまるか。

 ARAIの無くなった今、こんなに深雪を楽しめるゲレンデは、そうそうありません。何とか今シーズンは良いシーズンになってほしいもんです。

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2006年10月21日 (土)

『のだめ』が止まらない

 『のだめカンタービレ』が止まりません。昨日、仕事の帰りがけに第8巻までの三冊を買ってきたら、もう止まらなくなって、夕食後、ワイン飲みながら5~8巻の二度目を読んでたら、そのまま机で眠ってしまい、気づいたら明け方でした。受験勉強かよ?! ~o~;;;;;;;

 当然、ブログ書く時間ありませんでした。ましてデスクワークなんかやってる暇ねー!朝飯食いながら、ドラマ第一話を見直したのですが、やっぱドラマとしてもよく出来てますねえ。原作をうまくはしょった脚本になっているようで、原作に忠実な部分をパズルのように組み合わせているのがわかります。第一週目で主要な登場人物をササッと登場させているので、何気にAオケのコンマスが三木清良だったりするんですね。

 あと、エンディングでマングースの着ぐるみが出てくるので、どうやら学園祭のエピソードまではやるんですね。つか、マラドーナコンクールまではやるんでしょうね、きっと。

 それと、気になるのは、ドラマの中のピアノ演奏シーン。普通の音大生や千秋の演奏は、正統派にやれば良いから簡単だと思うけど、のだめの演奏は、デタラメだけど聴く人が聴けばメチャメチャ才能を感じさせるという難しい演奏のはず。そういう演奏になってるんでしょうか。クラシックの判る人に、是非、判断してもらいたいもんです。

 ドラマ見たら、またまたその気になってしまって、今、第一巻から読み直してます。原作、けっこう細かいナンセンスギャグ入ってますね。のだめの部屋を掃除してると「甲子園の土」が出てくるとか、のだめが恨みを買ってる相手に、「マキちゃん」や「学食のおばさん」だけじゃなくて「近所の魚屋さん」が入ってたり、「裏軒」のメニューに「レバニラハンバーグランチ」なんてのが入ってたり、桃平音楽大学の定期演奏会の会場が「ブラックホール」だったりネ。~o~

 ソレと、どういうワケかサッカーネタが混じりますね。真澄ちゃんが用意するクリスマスデートのための切符が「インザギクリスマス公演」だった時は偶然かと思ったんですが、第8巻で「マラドーナピアノコンクール」が出てきて確信しました。二宮知子、サッカー好きかもしんない。~o~

 あと、多分、コレは担当者のミスだろうけど、第4巻Lesson20のエリーゼの台詞、"Wouber bist du bose?"(ウムラウト出ねー)は、"Wouber"じゃなくて"Woruber"の間違いデショ。 それと、ミナコ・モモダイラが結婚した小説家って、やっぱ庄司薫かいな。~o~

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2006年10月19日 (木)

考えさせないように考えてる人のことを考える

 今日もあいかわらず、『のだめ』買い、続いてます。いや、さすがに忙しいので、二巻まとめてというわけにもいかないのですが、第5巻だけは桂文我の『落語「通」入門』とともに今日買ってしまいました(文我、なんの意味があるんだ~?!)。

 というわけで、ワタシには時間がありまセーン(あ、ミルヒ入っちゃってる ~o~;;;)。今日は、久々に純粋に予備校屋の話。

 予備校屋には、生徒に考えさせないというテクニックを使う人達がいます。このテクニックはハマると爆発的な効果があります。例えば、詐欺師Nのような(06'4/19「詐欺師Nの思い出~驚嘆とかすかな恐怖」参照)。

 某有名講師Xの公式なんかもそういうテクニックですし(06'3/22「そんなことは入試に出ない?」参照)、某有名講師Aも上手くそのテクニックを使います。生徒さんは基本的に自分で考えたくないのです。

 まあ、気持ちは判ります。受験という追い詰められた局面では、自分で考えている余裕がなくなる人多いです。でも、自分で考えることなしに、人の言ったことを暗記しているだけで、レベルアップって出きないし、対応できる幅は狭いんですけどね。少なくとも、最近のセンター試験の方向は、自分で考えろーー、なんだけどね。

 そういうことが判っているのか、判っていないのか、彼らは「暗記」を求めます。例えば、ゴロ合わせの単語集。最近の参考書不況の中で、このゴロ合わせ単語集は売り上げ伸ばしてるらしいです。ホントはゴロ合わせで一つ二つ訳語を暗記するだけでは、どうにもならないこと多いんだけど、そんなことには目をつぶって、ゴロ合わせで済ませようという生徒さん、ムチャクチャ多いんです。

 例えば、「公式」ばかり並んでいる文法の参考書。そもそも、古文に「公式」なんてないはずなんですが、むやみに「公式」って言葉使いたがる予備校屋っているんですよね。生徒さんも、問題解く上で意味なさそうなことまで、公式化してもらうと安心らしいのです(5/10「句読点幻想その二」参照)。

 そうした暗記依存症の学生相手に、「コレさえ暗記すれば・・・」という麻薬を用いて、良い商売をしてしまう予備校屋さん、近年、目に付きます。やっぱ「これさえ暗記すれば大丈夫」って言っちゃうんでしょうね。出題者以外に、そんなことは言えるはずないのに。また、暗記依存症患者って、近年増えてるんですよ。どうしてでしょう。予備校へ来る以前の教育のどこかで、暗記ジャンキーにさせられちゃってるんですね。

 なんだか無闇に腹が立ってきます。騙す方にも騙される方にも。受験なんて、最後は自分一人で考えるしかないんだ、受験勉強は、結局、試験場で自分一人で考えるための訓練でしかないんだ、だから、普段から自分で考えろーーーー!!!

 なんて夜空に向かって吼えてみても意味がないので、せめて普段の授業中に、なるべく生徒さんに考えさせるよう仕向けている、最近のワタシなのでした。なるべく生徒さんの意表をつく問題を、生徒さんの興味を引きそうな形で提示して、「さー考えてみよ~~」の後、判りやすく説明する。そういうことを一週間に一回はやってみたいです。でも、生徒さんの意表をついて、かつ学問的な質問って、考えるのタイヘンなんだよ。問題文を自分なりに深く読めてないといけないから。ハッキリ言って、教師の方に実力とやる気がなきゃ出来ません。でも、そういう問いかけが、彼らの考える能力を伸ばすと信じてます。

 生徒に考えさせないように考える方が、はるかに予備校屋としては効率良いんだけどね。人気出るし、楽だしね。

 ま、ワタシの場合、ハナから「人気講師」は拒否しているので、効率悪くても全然オッケーなんですけどね。~o~;;;;

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2006年10月18日 (水)

僕らの「千秋」君の思い出

 『のだめ』にハマってしまいました。3・4巻を買ってきたのですが、コレおもしろいです。まーったく、この忙しいのに、なんで漫画なんか読んでるんだろ、オレ(それも二回も通して ~o~;;;)。

 んで、思ったんですが、この漫画、千秋先輩が主人公なんですねえ、特に3・4巻は。この千秋先輩、なかなかよく描けてると思います。今日、本屋さんで3・4巻買った時に、『のだめ』のコーナー(恐るべし、そういうのが出来てる ~o~;;)にいた女性二人組が、「玉木宏だとちょっと違うのよね~」って言ってたけど、なるほど、先のほうまで読んで千秋先輩のイメージが出来てる人には、玉木宏の千秋先輩はちょっと不満かも。

 3・4巻の千秋先輩を見て、思い出したことがあります。ワタシも昔、千秋先輩を知ってました。千秋先輩のような男が高校の後輩にいたんですよ。ワタシ、実は、高校二年の後期から三年にかけて合唱部に在籍していたことがありました。高校二年の前期まで、全くのシロウトだったのですが、同じクラスの合唱部部員に勧められて軽い気持ちで入部したのです。

 ところが忘れもしない二年の晩秋、折から寒~い音楽室で、最初の練習に参加した時のこと。最初の発声練習で、一年生の男子がピアニカ持ってやってきて、今からピアニカの通りに音を出せってわけです。彼がピアニカを弾き、その通りに声を・・・出してるつもりなんだけど、いくらやっても彼は渋い顔をして、「先輩、今のはちょっと低いです」「今のも、四分の一音低いです」と何度やっても許してくれません。結局、最後にはヘロヘロになったワタシを見た彼は、悲しそうな顔をしてあきらめてくれました、そう、千秋先輩が峰龍太郎を指導する時みたいに。

 翌日、ワタシは熱を出して寝込みました。「合唱熱」。~o~;;;;

 この後輩、実は、この合唱部の指揮者だったんです。彼は、本当に千秋先輩みたいな男で、とにかく自信のかたまり、しかも、本当に何をやらせても上手い。先輩だろうと何だろうと、練習となったら容赦なく指導しますが、これだけ全てのレベルが高いとみんな一目も二目も置いているので、逆らえません。それでいながら、指揮の時は、非常に人心の把握が巧みで、文化祭の曲目、モーツァルトのレクイエム「キリエ章」を最初に合わせた際は、この曲を作った時のモーツァルトのエピソードを紹介し、「晩年、もう病気で少し頭がおかしくなっていたモーツァルトは、レクイエムの依頼に来た使者をあの世からの使者と思い込み、自分のためのレクイエムと思ってこの曲を作曲したんです」と熱く語って、すっかり我々をその気にさせてしまいました。その年の文化祭、我々は、思いっきり盛り上がって、そう、「オナニープレイ」状態で「キリエ章」を絶唱しました。気持ち良かった~~。~o~

 まあ、これはこれで、高校の合唱部としては大成功だったと思います。ところが、翌年、彼は、そんなことでは飽き足らず、ウチの高校の弦楽部とブラスバンド部を説得して、あろうことか、文化祭限定臨時大オーケストラを結成してしまい、ショスタコービッチ作曲、オラトリオ「森の歌」というとんでもない大曲を、たかが高校の文化祭で完全に演奏してしまいました。これはひとえに彼のカリスマ性と誰もが認めざるを得ない実力の賜物でしょう。

 その素晴らしい演奏を我々OBは客席で目にしました。モーレツに感動しました。当時浪人中のワタシが、その後一ヶ月ほどパチンコ屋通いを止めて、モーレツに勉強したくらいに。~o~;;

 聞いている方がソレですから、ヤッてる方はたまったものじゃありません。終わった直後のステージは、合唱部員の号泣の嵐だったらしいです。ところが、演奏が終わって一息ついた後、指揮者の彼は、しみじみと、「コレでシロウトを指揮するのは最後だな」とのたまったそうな・・・。~o~;;

 結局、彼は高校卒業後、東京芸大の指揮科に進み、本当にプロの指揮者になりました。この話、もう時効だからこんな所に書いちゃっても大丈夫だよねえ、今や日本が世界に誇る新進気鋭の指揮者となった僕らの「千秋」、O野K士君。~o~;;;;;;

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2006年10月17日 (火)

コメディエンヌとマイフェイバリットの誕生

 いやー、『のだめ』見ちゃいました。昨日、今日で二回。久々に面白かったです。驚きました。ちょっと漫画を意識しすぎた演出はどうかなと思ったけど、涙チョチョ切れたりするところとかって。

 しかし、それにしても面白かったので、原作の1・2巻を買ってきちゃいました。かなり原作に忠実な造りなんですね。ちょっとはしょった部分は、多分、シュトレーゼマンの竹中直人を第一週から登場させたかったからなのでしょう。それも含めて、まずまず原作を上手くまとめてあるんじゃないかな。

 出来れば、シャンプーは原作通り「五日おき」の方が良かったと思うけどね。だって、三日おきくらいじゃ、あんまり匂わないでしょ。見たところ、上野樹里の髪もサラサラだったし。~o~

 それにしても、感心したのは、上野樹里。かなり原作を意識して役作りをしているんだろうけど、原作のワケのわかんない主人公「のだめ」を、見事に演じ切ってますね。つか、むしろ上野樹里によって「のだめ」の輪郭がくっきりしたとさえ言えそうです。原作を越えて、上野樹里の「のだめ」になってます。驚きました。もう、これは『トットちゃん』の斉藤由貴以来のコメディエンヌの誕生と言えるかも。~o~

 出来れば、原作通り「手がでかい」方が良かったけどね。そりゃ無理ってモンだネ。~o~

 他の役者さんもかなり良い味だしてます。例えば西村雅彦の谷岡先生が渋いですね。竹中直人は、完全に原作を無視してるけど、ある意味、原作よりも「シュトレーゼマンしてる」のはお見事。あと、なんと言っても子供時代の千秋の子役さん、原作クリソツ!~o~

 こんな芸達者達に囲まれちゃうと、狂言回し役の玉木宏は気の毒。頑張れタマキ。もうちょっと自分を崩しきっちゃって良いんじゃないのかな。単なるビジュアル系から脱却して役者としての自分を確立するチャンスのような気がします、阿部寛みたいに。あと、奥山真澄役の役者さん、イマイチ奥山をつかみ切れてないかも。まーしょがないか、あの役はねえ・・・。~o~;;

 そうして、何より驚いたのは、原作が殊のほか面白かったこと。多分、ドラマでイメージ補強されちゃった部分があるとは思うけど、ドラマから漏れてるエピソードもかなり面白いし、ちょっと雑なタッチ、雑な描写が最初は気になったけど(例えば、のだめの部屋から流れてきた液体に蟻がたかっているところなんか、小学生の落書きじゃないんだから、「→アリ」って書き込んじゃうのは漫画としてどうなのかね ~o~;;;)、慣れりゃまあコレはコレでいけるかも。

 お気に入り漫画が一つ増えてしまったかもしれません。明日にでも、3巻以降を買ってこようかな。

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2006年10月16日 (月)

マニアック問題

 ワタシ、実はTVドラマというのがあまり好きでなく、めったなことではドラマは見ません。まあ、ドラマの時間に授業をしてることが多いってのもありますが。ところが、今日は、久々にTVドラマを見る気になっています。某フジで『のだめカンタービレ』をドラマ化するのだそうで、録画予約をしてしまいました。

 以前から、評判だけは聞いてました。クラシック音楽の世界をかなりマニアックに描いた漫画だという話。ちょっと面白そうな世界ですよね、クラシックの世界って。昔、音大の子と付き合ってたことがあって、その時にチラチラと聞かされていたので、想像はつくんですが。んで、『のだめ』は、以前から読んでみたい漫画でした。

 正確に言うと、少しだけ読んだことがあります。電車の中で隣の席の人が読み耽っているのを覗き込んだことがあって。その時は、ははあ、これが、アノ漫画かと判った程度で、特に購入して読もうとは思いませんでした。絵柄がイマイチ好きじゃなかったこともあって。ただ、興味だけはあったので、ドラマは是非見てみたいです。

 こういうマニアック漫画って、かなりたくさんあります。例えば、『美味しんぼ』『味いちもんめ』『築地魚河岸三代目』など料理マニアック漫画やモータースポーツマニアの『バリバリ伝説』『イニシャルD』、柔道マニアの『帯をギュッとね』なんてのもあったな。『こちら亀有派出所』も途中からマニアック漫画になったらしいし、『ドラゴン桜』なんかもその一つと考えて良いでしょうね。

 個人的には、割と好きですね、こういうの。ただ、こういうマニアック漫画は中途半端じゃいけません。徹底的に専門の知識を持っていてそれを漫画の中で生かさないと、面白いものは出来ません。「へええっ!」って思わせる力がないとダメですね。読者に日常の世界とは違う世界を見せるくらいのつもりじゃないと失敗すると思います。

 そういう意味で描く方はタイヘンです。スキーマニア漫画『スノードルフィン』が失敗した原因の一つも、結局、中途半端だったからでしょう(06'10/10「拝啓SAJ様~スキー業界再建計画」参照)。『ドラゴン桜』だって、我々プロの目から見りゃ、まだまだ甘い!もっともらしいこと言ってても、所詮シロウトの思い込み(06'3/15「ドラゴン効果?」参照)に過ぎませんでした。

 さて、そういう意味で『のだめ』はどうなんだろ。まあ、ドラマだから原作とは違うんだろうけど、ちょっと期待してしまいます。配役も面白そうだし。特に竹中直人の怪しげなドイツ人役!楽しみですね~~。~o~

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2006年10月15日 (日)

語られる平凡に唄われる陰影~井上陽水『Love Complex』

 先日、井上陽水の『Love Complex』をようやく購入しました。ようやくってのは、出たのは薄々知ってたけど、なんとなく買う暇も聞く暇もなかったんで・・・。~o~;;;

 井上陽水は、我々の世代にとっては、思春期に音楽に目覚めて以来の付き合いになります。その頃が『センチメンタル』や『氷の世界』なんかの頃だから・・・、てことは三十○年前かよ!もう刺激もなにもない古女房みたいになっちゃっておかしくないお付き合いなので、リリースと同時にCD屋に飛んでいって・・・、みたいな情熱はさすがに沸きません。でも、遅れてのそのそと購入して聞いてみると、未だに刺激に満ちているのは、たいしたモンです。

 シングルカットされた『新しい恋』や『長い猫』も良いんだけど、ちょっと気に入ったのは『11:36 Love Train』。ちょっと緊張感をあおる古典的サンペンスみたいなイントロで始まるのですが、詩の中身は、なんだかむやみに平凡な新幹線での京都旅行。詩で語られることと曲想の間に、多分、意識的にギャップが設けられています。

 これって、実は昔からよくある陽水パターンの一つですよね。多分、このパターンの嚆矢は『御免』でしょう。陽水四枚目のアルバム『二色の独楽』に入っていた名曲で、シングルカットもされたと思います。

 昔、多分、もう三十年くらい前、この『御免』が売れてた頃、某読売新聞のコラムに、「最近の若者の歌は理解できない。お客が来た時に女房が不在で、『なんにもないけど 水でもどうです せっかく来たのに なんにもないので 御免』なんて歌が何故流行っているんだ」という趣旨のことが書かれてあって、オヤオヤ、随分物分りの悪い頭の硬い人だナ、と思ったことがあります。

 もちろん、その時分、ワタシは何にも判らない若造だったので、どういうことか説明は出来なかったんだけど、自分の感じていることと、この某読売のベテラン記者さんの感性とのギャップに驚いたので、はっきりと記憶に残りました。

 今なら、説明できます。多分、このコラム氏は、「詩」を読んじゃったんです。唄をよく聴けば、曲想と詩のギャップに気づいたんじゃないのかな。この曲、緊張感のある曲想によって、詩に語られた平凡な日常の裏側に潜む何かを感じさせようという仕掛けなんですよ、きっと。詩に語られたことは平凡そのものの「僕」の日常でも、曲と合わせられることによって、一つ一つの何気ない表現、「なんにもない」「返事を出さない」「僕の家によく来てくれた」「とにかくなんにもない」、こんな言葉の裏側に潜む「僕」の孤独と虚無感を象るという仕掛けなんじゃないかと。

 詩と曲のギャップによって日常の裏側の陰影を感知させる仕掛けって、その後も陽水作品には時々見られます。多分、『リバーサイドホテル』なんかも同工異曲。平凡な川沿いのホテルを語る詩と淫靡な香りのする曲想で、平凡なホテルの裏側の陰影を唄うって仕掛けでしょう。

 そういう意味で、この『11:36 Love Complex』は、『御免』-『リバーサイドホテル』路線の延長線上にあります。平凡な新幹線の旅を語る詩とサスペンスチックな曲想のギャップで、一見平凡な旅の裏側に潜む非日常の陰影を感じ取らせよう、そんな意図で創られているんじゃないかな。

 そんな仕掛けを、多分、創る方も楽しんでやってるんでしょう。それなら聴く方も楽しまないと損ってぇモンですよね。~o~

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2006年10月14日 (土)

来年を語ることの痛み

 今日は完全にオフの日です。のんびり洗濯&ネットの日です。というか、締め切りの過ぎた冬期テキストの原稿はあるのですが・・・。やっぱ今日書かなきゃダメだよな。~o~;;;

 それに、例の赤本の間違い探しもあるし、人の作ったテキストの監修はあるし、なんだい、やることはいくらでもあるじゃないの!というわけで、午後はデスクワークをしましょう、しょうがないから。~o~;;

 それはともかく、昨日の話。昨日、医学部志望クラスの授業がありました。このクラス、実は医学部志望といっても、かなり下位クラスで、マジメに医者を志望して努力を続けて、多分、将来立派なお医者さんになる・・・人もいるはずなのですが、そうでない人もいるクラスです。~o~;;

 やはり、医学部志望者の中にも、医者となって人を救おうという高い志のある人と、親に言われて仕方なく医学部クラスにいるだけって人がいるわけですね。んで、「仕方なく」の人達って、やっぱ諦めが早いんです。二学期に入って出席率が落ちる落ちる・・・。まあ、古文なんてやってる場合じゃないってのも理解できなくはないし、センター試験諦めて、私学狙いに切り替えちゃった子も多いだろうから、後期の出席率が落ちるのは仕方ないんですが、それにしてもねえ。

 二クラス担当しているのですが、そのうち下位の方のクラスがどうしょうもなく出席率が低いんです。んで、昨日はそのクラスで、例の敬語が五つになる話をしました。謙譲語の「給ふ」の説明をしなきゃいけなかったんで。

 「この謙譲語が二つになるって話は、まだ文化審議会での指針案の段階なので、来年の入試には関係ないから君達は気にしなくて良いけど、何年か後にはそうなるんだろうね」って言っちゃってから、なんだか妙に暗い顔をした子が何人かいるのに気づきました。

 実は、この話、他の浪人のクラスでも何度かしてるし、この医学部志望クラスの上位クラスでも話して、特に異常な反応はなかったんです。んで、何の気なしに話したんだけど・・・、そうか、このクラスには、もう「来年の入試」は自分にも関係ないんじゃないかと薄々感じ始めた子が、何人かいるんでしょうね。

 気持ちは判らなくはありません。この時期になると、センター試験まであと100日を切るし、何回も模試を受けてるから、そのたびに暗い結果にショック受けてりゃ「来年」を諦めるのも無理ないか、特に「仕方なく」の人で、諦めて楽になることを知っている多浪生なんかだと、ね。

 しかし。しっかし、ね。諦めてしまえば「奇跡」という偶然すら起こらなくなるんだけどね。つか、「奇跡」ってのは、諦めの悪い奴の上にのみ降って来る偶然なわけで、今から「来年」を諦めて暗い顔しててどーすんだよっ!!

 と思いつつも、「来年」のことを語るのがデリケートな問題になっちゃう人もいるんだな~と思い知ってしまったのでした。困ったことです。困ったことだけど、この時期にまだ古文の授業に出てるってことは、完全に諦めているわけじゃないんだろうから、ワタシの授業に出てきている子だけは、何とかしてあげにゃいかんかな~。

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2006年10月13日 (金)

ゆめまぼろしの翻訳論

 村上春樹がノーベル文学賞を取りそこなったそうです。村上さんに関しては、小説もエッセイもほぼ愛読していますが、エッセイの方がどちらかというと好きです。最近は夏のNZへの空の上の暇つぶしに、毎年使わせてもらっていて、今年は『スプートニクの恋人』、去年は『海辺のカフカ』、その前は『シドニー』、その前は、えっと何だっけ・・・。~o~;;

 友人S君も村上ファンで、S君のブログではちょっと村上バナシで盛り上がっています。そこで、文学作品の翻訳は難しい、って話が出て、ちょっと思い出したことがあります。それは谷崎潤一郎の『源氏物語』翻訳の話。

 谷崎は『源氏』を三回訳しています。最初が昭和十四~六年、二回目が昭和二十六~九年、三回目は昭和三十九~四十年にかけて執筆されました。

 最初の所謂旧訳は、不完全なものでした。なにせ、日本が戦争に突入していく時期でしたので、皇統の乱れを扱った『源氏』の出版には、非常にデリケートなタイミングでした。この時代は、『源氏』の研究者の中にも、「私の目の黒いうちは国民に『源氏物語』は読ませない」と豪語する大馬鹿モンがいたというぐらいで、谷崎も自主規制せざるをえず、皇統の乱れを描く部分は発表できませんでした。考えてみれば、馬鹿げた時代です。あらゆる日本の文化的遺産の中でも、最も日本人が世界に誇るべき至宝に抑圧を加えて、いったい何を守ろうとしたというのでしょう。

 近年、「日本の文化に誇りを持て」などという「愛国者」の方がいろいろ本を書いたりしていらっしゃるようですが、こういう事実はご存知なのでしょうか。知らないですよね。そもそも『谷崎源氏』すら本棚の飾りにしてしまう方なのですから(06'2/23「筆者の品格」参照)。

 閑話休題、二回目の所謂新訳は、こうした旧訳の欠陥を補うべく始められました。そして、三回目の所謂新々訳は、谷崎の作品集出版にあたり旧仮名遣いを新仮名遣いに改めることを契機として行われました。この新訳と新々訳は、開始する契機としては、上記の外的な事情だったわけですが、実は、谷崎の内部にも訳を改める動機はあったようです。

 「旧、新、新々の三つの訳文を比較してみると、一番最初の旧訳が一番判りやすい意訳で、新、新々と訳を改めるたびに、文章が直訳調の判り難いものになっていく。どうやら、谷崎は、訳を改めるたびに意訳では表しきれない原文の奥深い表現に気づき、それを表現したいという欲求にかられて直訳調にせずにいられなくなった、だから三回目の新々訳は、三回の訳の中でも、最もわかり難い訳になってしまった。」

 という話を確かどこかで読んだと思うのですが、これをブログに書こうと思って改めていろいろ調べてみるんだけど、何処で見たのか出てこない・・・。この話、授業中に何度もしゃべっちゃってるんだけどね。~o~;;

 まー、三回目の新々訳が、非常にわかり難い文章であることは間違いないんですよ。もう、単独で訳だけ読んでも、何が書いてあるのか判らないくらいに。原文と比較してみてようやく言ってることが判ったりするんですよね(まあ、間違いなく翻訳としては失敗作ですね ~o~)。だから、多分、上記の話は本当なんだと思うんだけど、何処で見たんだっけな~~。まさか見たような気がしただけっていうことは、ないよねえ・・・。~o~;;;;;

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2006年10月12日 (木)

ギョエテとはオレのことか

 昨日、「一条の光」などと書いたら、なんと、今朝の某『朝日』の朝刊に「余波ここにも、マツタケの急騰」の見出しが・・・。

 マツタケは、北からの輸入が、全体の三割にもなるんだけど、この実験騒ぎのあおりをくって、北から輸入しにくくなるからって、国産まで高騰したっていうんですよ。あー、もーどうなっているんでしょう。折角国産が豊作だっていうのに。

 もっと「光」を~~!

 ところで、北の闇とは全く無関係な話。「もっと光を!」といえばゲーテの末期の言葉ですが、先日、ネットをふらふらしてたら、ピーナッツブックス愛好者のページがあって、ピーナッツブックスの中のピアノ少年、「シュレーダー」のことを最近の「スヌーピーの漫画」では、「シュローダー」と言っているらしいです。彼は、多分、ドイツ系移民なので、SchroederかSchloederなんだと思うけど、"oe"はゲーテと同じで「エー」と読んどく方が原音に近いと思うんですけどね、どーなんだろ。「シュローダーとは俺のことかとシュレーダー言い」ってなことになんないのかナ。~o~

 まっいーか。松茸が食えなくなることにくらべりゃ、実験の話もピーナッツの話も、どーでも良いことだよね。困った困った。

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2006年10月11日 (水)

なにかと騒がしい世の中に射す一条の光、しかしてその行く末は

 なんだか、某隣国の話題で持ちきりですねえ、昨日今日と。まったく困った人ってのが世の中にはいるもので、その困った人がたまたま絶対的権力を持ってしまうと・・・。まあ、歴史をたどれば、けっこうどこの国のどの時代でも、それに近いことはあります。してみると、人類ってのは、一定の確率でそういう人を産み出す生物なんでしょうね。ただ、「刃物」がここまで大きくなり過ぎると、タイヘンなんだよな~。~o~;;;;

 ところで、北からの大きな闇に比べれば、はるかに小さな光ですが、ちょっと明るい話。このブログで「文化的終焉」などとおおげさなことを書いた国産松茸ですが(06'9/26「秋の夕餉または一つの文化的終焉」参照)、なんと、今年は奇跡的な大豊作みたいです。今朝のTVで言ってました。まー、多分、ホントに「奇跡的」なことだと思うので、来年期待できることじゃありません。もしかすると、今年が人生最後の国産松茸を食べるチャンスかもしれない、なんて考えると、多少無理してでもどっかで今年食べとかなきゃ、と思っているワタシです。

 ちなみに、松茸ですが、八月によく晴れて、九月に雨が降ると豊作になりやすいらしいです。今年たまたま天候パターンがハマったってことでしょうね。

 てことは、逆に言うと、松茸が不作だった、この二十年ほどというのは、天候パターンが崩れていたということも言えるのかも。結局、松茸だって、極論すれば地球温暖化のあおりを食って不作だったということなのかもしれません。

 そういう意味では、北からの闇もタイヘンだけど、地球温暖化に目をつぶり続ける某地球最大の権力者も、そーとーの「困ったちゃん」です。なんせ、京都議定書に対して、「それはわが国の経済に何の意味があるのか」なんて発言をしちゃうんだから。まー、かの国では定期的に権力者の交代が起こるシステムなので、次の人に期待するしかないですね。

 権力者の交代の起こらない北の「困ったちゃん」の方は・・・・、うーむmmmm。

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2006年10月10日 (火)

拝啓SAJ様~スキー業界再建計画

 今日はオフの日でした。昼間はネットうろうろしてボンヤリ。夕方になって、ちょっとデスクワーク。でも、けっこう仕事出来たなあ。

 一昨日、モータースポーツ漫画のことをちょっと書きましたが、それで思い出したことがあります。『イニシャルD』のほぼパクリで、『スノードルフィン』というスキー漫画があったことを。ワタシゃ『イニシャルD』は好きだし、スキーは大好きなんで、その間に出来たとおぼしきこの漫画も愛せるはずなんだけど、ダメだったなー。~o~;;;;

 まー、明らかに『イニシャルD』を下敷きにしてるのがミエミエだったし、作画能力がイマイチだったってこともあるけど、つまらなかった一番の原因は、原作者も漫画家もスキーマニアではなかったってこと。スキーという題材に対する知識も見識も愛情も、もう一つ感じられなかったんですよね。やっぱ本家『イニシャルD』は作者の入れ込み方が違うもの。

 確かに『スノードルフィン』の原作者さんもスキー雑誌あたりで取材して、そこそこマニアックな知識を持ち出して来てたけど、自分で滑れる人って気がしないんですよね~。例えば、『スノードルフィン』では、『イニシャルD』の公道レースの世界を、ゲレンデレースというもので置き換えるんだけど、それって無理あるっしょ。一般ゲレンデでレースは出来ないですよ。危な過ぎるし、だいち競争になんないヨ。

 まだしも、チャイナダウンヒルって設定にすりゃなんとかなったかもしれないけどね。まー、それも苦しいかな、日本じゃ。スキークロスってものが、あの時、普及してれば、スキークロスにするのが一番良かったのかもしれませんけどね。

 いっそ、『イニシャルD』から少し離れて、モーグルの世界にしたら良かったかも。モーグルは、漫画になりやすいと思いますよ。派手だし、判りやすいし、漫画的な必殺技を考えやすいから。

 そう思って、以前、某スキー関係の掲示板で、『巨人の星』のパロデイのモーグル漫画の話を書いたことがありました。書いた本人はけっこう気に入ってたんだけど、まあ、アレは、漫画にゃなんないでしょうね。~o~;;;

 そこで、SAJさんに提案です。スキー業界を再び盛り上げようと思ったら、漫画か映画に頼るしかないですよ。サッカーだって『キャプテン翼』があったからこそ、今日があるんだから。「イニシャルD」の作者、しげの秀一氏は、趣味でスキーをやるらしいので、しげの氏に気の利いたモーグラー、誰でも良いけど三浦豪太さんあたりを専属で付けて、モーグルマニアに仕立ててから、モーグル漫画を描いてもらっちゃあどうでしょう。

 今、モーグル界は、男子も女子も、世界のトップレベルにあと一歩です。若いモーグラーも育ってきてます。このタイミングなら、悪くないと思うけどな~、モーグル漫画。舞台は我が六日町八海山なんかどないざんしょ。ワタシの友人、モーグラータクヤ(全日本選手権八位)もきっと友情出演しまっせ~。~o~

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2006年10月 8日 (日)

小泉チルドレンとF1嫌い

 昨日は夕方から東京農大のお酒のイベント「農大酒市場」へ行ってきました。農大の学生さんが主催しているらしいのですが、農大醸造科のOBを中心にいろんな蔵元さんがお酒を持ってきてくれて、それをみんなで試飲しまくるというもの。ちょっと遅れて行ったので、主催者の用意してくれたつまみはほとんど無くなってましたが、それでも、さすが農大、ちょっとだけ残っていた枝豆の味の濃いことと言ったら。~o~

 お酒の方は、いろいろでした。力を入れてくれてる蔵元さんとお付き合いだけで来ている蔵元さんで、持ってきてくれたものがかなり違ったように思います。そんな中、旨かったのは石川の御祖酒造さんの「遊穂」。酸度のバランスが絶妙で、思わず、旨い!と唸らせる酒に仕上がってました。

 今回イベントに参加してくれた蔵元さんの多くは、東京農大醸造科のOBなんだと思うのですが、この農大OBの人達ってのが、ホントに素晴らしい仕事をしていて、醸造界にほとんど革命的と言って良いような大きな流れを作り出しています。この十数年、日本酒はメチャメチャ美味くなっているのですが、そのかなりの部分がこの人達の仕事です。小泉武夫教授(06'9/29「ちょっとした愉快とあなどれない驚き」参照)の教え子さんなので人呼んで「小泉チルドレン」。この人達、政治の「チルドレン」と違って、本当に優秀だし、本当に日本の食文化に貢献していると思います。

 そんなわけで、昨日はちょっと飲み過ぎたかもしれません。今日は自宅でのんびりの日です。先ほど近所のうどん屋に昼飯食いに行ってきました。そしたら、うどん屋のTVでF1の日本グランプリ中継をやってました。ああ、そういえば今日だったんですね。某フジTVで力を入れているので、イヤでもいろいろ事情は耳に入るのですが、実はワタシ、F1嫌いです。つか、モータースポーツ全体が大嫌いです。

 大量にガソリン使ってCO2撒き散らして、それでグルグル同じ所を回っているだけなんて、このご時世に信じられません。そんな非生産的行為で地球温暖化を強力に推し進めちゃうんだから、よほど寒がりな人達なんでしょうか。全人類に対する、というより地球という惑星に対する犯罪です。

 西欧で大人気ってことでもてはやされてきたのだと思うのですが、別に西欧の真似なんかしなくたって良いのに。何でも西欧の真似をしようというのは、リスペクト好き(06'6/20「Wカップに見る国民性~リスペクト好き」参照)の日本人らしいけど、こればっかりは、真似してほしくなかったです。

 我々スキーヤーは、地球温暖化に敏感なんですよ。このニ十年ほど、ヒサンな雪不足の年が多かったですからね。自分で車を運転する時でも、急ぐ必要がなければ、なるべく燃費運転を心がけてます。まー、車を使わないで済めば、その方が良いのでしょうが。

 などとキレイ事を言いながら、かつてザウスのあった時は、あの電力浪費の巨大冷蔵庫に日参してたんだから、勝手なもんですかね、やっぱ。おまけにモータースポーツ漫画は、「赤いペガサス」以来、「バリバリ伝説」も「イニシャルD」も愛読してるんで、エラそうな事は言えないか・・・。~o~;;;;

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2006年10月 7日 (土)

「僕と君」の彼岸~YUI 『I remember you』

 丸沼詣でのない久々の週末、のんべんだらりと過ごしてます。昨日、みっくんさんからコメントをいただいて、急にYUIのことが気になり出し、『I remember you』をヘビロテしています。良い曲だと思います。相変わらず歌上手いし。

 しかし、この曲、実はちょっと気になることがあります。YUIのファーストアルバム『From me to you』については以前、このブログに、「彼女は、常に自分の内面を向いていて、自己の内面と他者とのズレを不機嫌そうな声で歌う」(06'4/4「不機嫌な内向ロック」参照)と書いたことがあります。そのため、『From me・・・』における彼女の楽曲は、『I know』の一曲を除いては一人称の歌でした。『Feel my soul』は「僕」で書かれているけど、これは架空の「僕」ではなく、YUI自身の投影された「僕」で、やはり一人称の歌だったと思うのです。一人称の「僕」と「君」の歌です。

 ところが、『I remember you』は、海辺で出会った彼女と別れたサーファーの少年の歌です。明らかなフィクションの歌なんです。YUIってこんな歌も作れたんですねえ。私小説のように自分の内面を歌い続けるアーティストなのかと思っていました。そして、それゆえに彼女のアーティストとしての将来に不安を感じていました。

 「こういう内向的な天才少女って、ある程度自分の内面を歌いきってしまうと、材料不足に陥って燃え尽きてしまうのではという不安があります」と4/4のブログでは書きました。それゆえに彼女を取り巻く環境の変化にも不安を感じていました。外部との健全な断絶関係が崩れた時、彼女の創作活動は著しく渋滞するのではないかと。

 天才川本真琴も越えられず、才能無尽蔵と思われた椎名林檎でさえ、もしかして越えきれないかもしれない川。自己の内面世界に材料をとり、内面を抉って臓腑をさらすような創作を行うアーティストが必ず直面する一人称と三人称との間を流れる暗い川。かつて、あの偉大な井上陽水だって、初期の一人称の時代から暗い何年かの時間を経て、独特の言語感覚と抽象化を武器にしてその川を越え、新しい作風を手に入れたんじゃないかと思うんです。

 最初からフィクションの物語を語る才能を持っている人達は別です。ユーミンや中島みゆきなんかは、そんな苦労は一切しなかったでしょう。最初から彼女達は、自己の内面を材料になんかしていないから。彼女達は、最初から三人称の歌しか歌ってこなかったんです。

 でも、内面を描くことからスタートしたアーティストの場合、作風を変えるのは大変です。そのために彼らは若くして燃え尽き、消えていくのだと思います。私小説家は自分の実人生を破滅させていきますし、ある種のギャグ漫画家なども若くして燃え尽きて消えていきます。自己の内面を消費し尽してしまうからです。

 『From me・・・』を聞いた時、そんな匂いをチラリと感じたのですが、取り越し苦労だったのでしょうか。彼女は「僕と君」の彼岸へ無事に渡りきれたのでしょうか。次のアルバムが待たれるところだと思います。

 ただ、もし、彼女が彼岸に渡りきれたとして、我々リスナーはどうするのでしょう。もしかして、今までのように強く痛切な言葉の響きを持つ楽曲には、もう出会えないのかもしれません。さてはて、どうしたものか。

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2006年10月 5日 (木)

袖振り合うも、タショウの「ハップフォーフィア」

 昨日、帰宅途中の電車の中で、ちょっと気になる事に出会いました。満員の状態だったので、立ったまま人の間のスペースを見つけてサッカー専門新聞エルゴラッソを折りたたんだ状態のまま読んでいたのですが、しばらくして隣の若いサラリーマンが、さも堪えかねたというように、「混んでるんで止めてもらえますぅ?」って言うんですよ。

 いや、別に広げて読んでるんじゃない、たたんで人の間のスペースで読んでたんで、そのサラリーマンさんの迷惑になっているとはちっとも思えず、困惑してしまいました。まあ、仕方ないので、仕舞おうかと思ったのですが、仕舞おうとするとどうしても小さくたたまなきゃいけなくなり、ゴソゴソと満員の中で動き回るとことになって、逆に回りに迷惑。隣のサラリーマンも呆れ顔になったんで、もういいやと開き直って、そのまま読み続けました。

 ところが、今朝、八王子駅の構内のエスカレーターに乗ってをホームへ降り立とうとしたところ、いきなり後ろのオバサンから声を掛けられました。「ちょっとコレ危ないわよ」

 えっ?!と思って振り返ると、彼女は、ワタシの持っていた傘を指差してるんです。ワタシは両手にカバンを持っていたため、カバンの取っ手と一緒に傘の真ん中の部分を握って持っていたのですが、その傘の先が後ろにいる自分の方を向いているってことらしいんです。でも、傘を振り回しているわけじゃなく、ただ、傘の真ん中を持っていただけなんで、そちらから当たってこなければぶつかりゃしないし、だいたいそもそも先の丸い傘なんですがねえ。

 危ないって事で言えば、傘よりは人ごみの中で歩きタバコしてる奴なんかの方がはるかに危ないし、迷惑って言やあ、新聞よりは満員電車で携帯使ってる奴の方がよほど迷惑です。新聞は電波を出しませんからね。昨日の若いサラリーマンなんか、自分は携帯見てたくせに他人の新聞に苦情を言い出すんです。携帯は良いけど新聞はダメ、タバコは良いけど傘はダメって何なんだろ。大きさが違うってことかしらん?~o~;;;

 袖振り合うも他生の縁とは言いますが、現代の東京の人間って「振り合い」が過ぎてしまって他人との接触に過敏になっているのかもしれません。ワタシゃ 東京の人間にしては満員電車はあまり乗らなくて済んでるし、人ごみ嫌いなので、そのへんが他人様に比べて鈍感過ぎるのかも。

 昔読んだピーナッツブックス(所謂スヌーピーの漫画)で、他人との接触に病的に過敏な人(確か「ハップフォーフィア」と言ったと思いました)のことがネタになったものがあったけど、現代の東京人はみんな多少「ハップフォーフィア」気味なのかもね。鈍感な田舎者のワタシとしては気をつけないといけないのかなと反省しました。~o~;;

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2006年10月 4日 (水)

敬語が五つになったって

 敬語が五種類になったそうで、今朝の新聞に出ていました。まー、なるよ、きっと、と思ってました。やっぱなりましたか。

 実は、文法の学者さんの間では謙譲語を二つに分けようというのは、ちょっと前からの流れでした。古典語の敬語を説明する時に謙譲語が二種類ないと不自由なんですよ。特に下二段活用の「給ふ」を説明するのに。二種類の謙譲語を分けるポイントは、誰に敬意を払う言葉かってこと。そこがⅠとⅡで違ってるわけです。

 ただ、某朝日新聞の記事を読む限りでは、朝日さんの記者もあんまり判ってないみたいです。当然、世間一般の人は判るわけないです。こういうのってどうなんですかね。何だか、学者さんの都合でわざと判りにくくしたみたいな印象があります。もっと判りやすく説明してあげないとねえ。せめて、朝日の記者が理解できるくらいに。

 学問的整合性を得るためなら一般人の理解なんてどーでもいーだろ、ってつもりでいるような気がするのは、ワタシだけでしょうか。やっぱ、所詮「文化審議会国語分科会敬語小委員会」なんぞというおエラい所で決めてることですからねえ。お役所仕事かよ、って感じですか。

 何はともあれ、これからは、我々予備校屋の説明もこの指針に合わせて微妙に変えていかなきゃならないんでしょうね。はー、しんど。~o~;;;;

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2006年10月 3日 (火)

素人のタワゴトに悩まされた午後

 今日は仕事オフの日でした。午前中は、例の「めまい」の病気のため通院。午後は・・・。今日の午後は、デスクワーク、それも、最悪のデスクワークでした。

 実は、以前、塾教材専門の出版社で、中小予備校の教材になる問題集を作ったことがあったのですが、その時の解説に対して現場の先生が質問してきたのです。和歌の物名歌というものに関する質問なのですが、その質問ってのが実に悲惨なもので・・・。

 このプログで何回も取り上げたことのある某有名講師Aの和歌の修辞法に関する参考書のコピーを添えて、「この参考書に書いてあることと解説が矛盾する。この解説では『掛詞』と説明しているが、正しくは『物名』ではないのか」ってんです。イヤハヤ。

 そりゃ確かに「物名」なんです。でも、「物名」って「掛詞」を用いて物の名前を和歌の中に隠し込むことなんです。この「現場の先生」の言ってることは、「カーステレオは、車の中にあるからステレオじゃない。自動車だ」と主張しているようなものです。車に用いられていたからってカーステレオはステレオの一種だよ。「物名歌」に用いられていたからって「掛詞」は「掛詞」なんだよぉ。~o~;;;

 厳密に言うと、学問的には、「物名」と「掛詞」の発生は別です。でも、やってることは全く同じになってしまうので、「物名歌」中の掛詞だって広義の「掛詞」と言って差し支えなく、「物名歌とは掛詞を用い和歌の中に物の名を隠し込むこと」って説明したって全然間違えじゃないはずなんです。それなのに、某有名講師Aの参考書では違うものだってことになってるんです。

 ところが、某有名講師Aの参考書で説明してる「物名」と「掛詞」との相違点てのが、もーまるでデタラメで、こんな説明ではいくらでも反例が出てきてしまうようなシロモノ。現に某有名講師Aの本の中にさえ、よく読めばこの説明の反例が出てくるんです。それなのに、この「現場の先生」ってのが、何にも考えずに有名講師の言い分に盲従してしまう人らしくて・・・。

 こんな人に何を説明したら判ってもらえるんだろう、と思いつつ、仕方ありません、午後は半日かけて丁寧な説明を書きましたよ。どんな大○鹿モンでも判るようにっ。

 いったい、これから先、どれほどこんなことが起こるんでしょう。日本の古文教育について、暗澹たる思いを禁じえません。たかが素人のオバサン一人のために、日本の古文教育全体がゆがめられているんです。素人オバサンのタワゴトが日本中の(力の無い)古文教師達を支配しつつあるんです。この状況は限りなく悲惨です(5/10「句読点幻想その二」参照)。

 しかし、考えてみると、このオバサン、スゴイ人ですねえ。改めて感心しちゃうなあー。某有名講師Aよ、アンタはスゴい!スゴいゾっつ!!~o~

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2006年10月 1日 (日)

丸沼の大晦日

 今日は、丸沼プラスノーの最終日でした。天候は曇り後雨。プラスノー的にはOKの天気です。ただ、午後、薄くガスが掛かったのは、ちよっとイヤだったけど。最終日も昨日に続いて空いてました。来てる人は、ほとんど顔を見たことのある人ばかり。昔のザウスのような雰囲気です。

 そんな中、プラスノーの締めくくりをしてきました。プラスノー&オガサカAG-HXですが、最終日まで滑ってみて、そんなに悪くない印象です。やはり、雪の上のスキーとはスピード感やグリップ感などがかなり違うのですが(06'9/9「その遊び、推定スキー」参照)、エッジを研いでやることで、グリップ感はかなり改善されます。もっとも、雪の上に近いグリップが感じられるのは半日ほどですが・・・。すぐにエッジ丸くなっちゃうんですよ。

 ただし、オガのプラスノー板以外だともっとグリップ感は落ちるようで、やはりプラスノーをオフトレとして本気でやるなら、オガの板を買うのがベストのようです。オガのプラスノー板だと、エッジを研いでから半日は、かなりグッドフィーリングです。スピード感はイマイチですが、その他は雪の上に極めて近いと思います。

 コースが一コースしかないのと、スピード感がないのとで、遊びとしての快感度は低いのですが、練習にはなります。どちらかというと、フリーで滑るよりは、レッスンに入ってその年の滑りの課題を発見するというやり方が良いと思いました。

 今日のプラスノー終了時間には、常連さん達がリフト降り場付近にたむろして名残を惜しみました。一人、また一人と惜しそうにスタートして行く様子は、まるで、ザウスが閉館する週の週末のようでした。スタートする人に誰かが声を掛けます。「良いお年を!」 そう、これは丸沼常連さん達には年末のようなものです。あと一ヵ月後、人工雪のゲレンデ開きの日に新年を迎えるのです。それまでは、丸沼よ、さらば。

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