« 来年を語ることの痛み | トップページ | マニアック問題 »

2006年10月15日 (日)

語られる平凡に唄われる陰影~井上陽水『Love Complex』

 先日、井上陽水の『Love Complex』をようやく購入しました。ようやくってのは、出たのは薄々知ってたけど、なんとなく買う暇も聞く暇もなかったんで・・・。~o~;;;

 井上陽水は、我々の世代にとっては、思春期に音楽に目覚めて以来の付き合いになります。その頃が『センチメンタル』や『氷の世界』なんかの頃だから・・・、てことは三十○年前かよ!もう刺激もなにもない古女房みたいになっちゃっておかしくないお付き合いなので、リリースと同時にCD屋に飛んでいって・・・、みたいな情熱はさすがに沸きません。でも、遅れてのそのそと購入して聞いてみると、未だに刺激に満ちているのは、たいしたモンです。

 シングルカットされた『新しい恋』や『長い猫』も良いんだけど、ちょっと気に入ったのは『11:36 Love Train』。ちょっと緊張感をあおる古典的サンペンスみたいなイントロで始まるのですが、詩の中身は、なんだかむやみに平凡な新幹線での京都旅行。詩で語られることと曲想の間に、多分、意識的にギャップが設けられています。

 これって、実は昔からよくある陽水パターンの一つですよね。多分、このパターンの嚆矢は『御免』でしょう。陽水四枚目のアルバム『二色の独楽』に入っていた名曲で、シングルカットもされたと思います。

 昔、多分、もう三十年くらい前、この『御免』が売れてた頃、某読売新聞のコラムに、「最近の若者の歌は理解できない。お客が来た時に女房が不在で、『なんにもないけど 水でもどうです せっかく来たのに なんにもないので 御免』なんて歌が何故流行っているんだ」という趣旨のことが書かれてあって、オヤオヤ、随分物分りの悪い頭の硬い人だナ、と思ったことがあります。

 もちろん、その時分、ワタシは何にも判らない若造だったので、どういうことか説明は出来なかったんだけど、自分の感じていることと、この某読売のベテラン記者さんの感性とのギャップに驚いたので、はっきりと記憶に残りました。

 今なら、説明できます。多分、このコラム氏は、「詩」を読んじゃったんです。唄をよく聴けば、曲想と詩のギャップに気づいたんじゃないのかな。この曲、緊張感のある曲想によって、詩に語られた平凡な日常の裏側に潜む何かを感じさせようという仕掛けなんですよ、きっと。詩に語られたことは平凡そのものの「僕」の日常でも、曲と合わせられることによって、一つ一つの何気ない表現、「なんにもない」「返事を出さない」「僕の家によく来てくれた」「とにかくなんにもない」、こんな言葉の裏側に潜む「僕」の孤独と虚無感を象るという仕掛けなんじゃないかと。

 詩と曲のギャップによって日常の裏側の陰影を感知させる仕掛けって、その後も陽水作品には時々見られます。多分、『リバーサイドホテル』なんかも同工異曲。平凡な川沿いのホテルを語る詩と淫靡な香りのする曲想で、平凡なホテルの裏側の陰影を唄うって仕掛けでしょう。

 そういう意味で、この『11:36 Love Complex』は、『御免』-『リバーサイドホテル』路線の延長線上にあります。平凡な新幹線の旅を語る詩とサスペンスチックな曲想のギャップで、一見平凡な旅の裏側に潜む非日常の陰影を感じ取らせよう、そんな意図で創られているんじゃないかな。

 そんな仕掛けを、多分、創る方も楽しんでやってるんでしょう。それなら聴く方も楽しまないと損ってぇモンですよね。~o~

|

« 来年を語ることの痛み | トップページ | マニアック問題 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 語られる平凡に唄われる陰影~井上陽水『Love Complex』:

« 来年を語ることの痛み | トップページ | マニアック問題 »