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2006年10月14日 (土)

来年を語ることの痛み

 今日は完全にオフの日です。のんびり洗濯&ネットの日です。というか、締め切りの過ぎた冬期テキストの原稿はあるのですが・・・。やっぱ今日書かなきゃダメだよな。~o~;;;

 それに、例の赤本の間違い探しもあるし、人の作ったテキストの監修はあるし、なんだい、やることはいくらでもあるじゃないの!というわけで、午後はデスクワークをしましょう、しょうがないから。~o~;;

 それはともかく、昨日の話。昨日、医学部志望クラスの授業がありました。このクラス、実は医学部志望といっても、かなり下位クラスで、マジメに医者を志望して努力を続けて、多分、将来立派なお医者さんになる・・・人もいるはずなのですが、そうでない人もいるクラスです。~o~;;

 やはり、医学部志望者の中にも、医者となって人を救おうという高い志のある人と、親に言われて仕方なく医学部クラスにいるだけって人がいるわけですね。んで、「仕方なく」の人達って、やっぱ諦めが早いんです。二学期に入って出席率が落ちる落ちる・・・。まあ、古文なんてやってる場合じゃないってのも理解できなくはないし、センター試験諦めて、私学狙いに切り替えちゃった子も多いだろうから、後期の出席率が落ちるのは仕方ないんですが、それにしてもねえ。

 二クラス担当しているのですが、そのうち下位の方のクラスがどうしょうもなく出席率が低いんです。んで、昨日はそのクラスで、例の敬語が五つになる話をしました。謙譲語の「給ふ」の説明をしなきゃいけなかったんで。

 「この謙譲語が二つになるって話は、まだ文化審議会での指針案の段階なので、来年の入試には関係ないから君達は気にしなくて良いけど、何年か後にはそうなるんだろうね」って言っちゃってから、なんだか妙に暗い顔をした子が何人かいるのに気づきました。

 実は、この話、他の浪人のクラスでも何度かしてるし、この医学部志望クラスの上位クラスでも話して、特に異常な反応はなかったんです。んで、何の気なしに話したんだけど・・・、そうか、このクラスには、もう「来年の入試」は自分にも関係ないんじゃないかと薄々感じ始めた子が、何人かいるんでしょうね。

 気持ちは判らなくはありません。この時期になると、センター試験まであと100日を切るし、何回も模試を受けてるから、そのたびに暗い結果にショック受けてりゃ「来年」を諦めるのも無理ないか、特に「仕方なく」の人で、諦めて楽になることを知っている多浪生なんかだと、ね。

 しかし。しっかし、ね。諦めてしまえば「奇跡」という偶然すら起こらなくなるんだけどね。つか、「奇跡」ってのは、諦めの悪い奴の上にのみ降って来る偶然なわけで、今から「来年」を諦めて暗い顔しててどーすんだよっ!!

 と思いつつも、「来年」のことを語るのがデリケートな問題になっちゃう人もいるんだな~と思い知ってしまったのでした。困ったことです。困ったことだけど、この時期にまだ古文の授業に出てるってことは、完全に諦めているわけじゃないんだろうから、ワタシの授業に出てきている子だけは、何とかしてあげにゃいかんかな~。

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