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2006年10月18日 (水)

僕らの「千秋」君の思い出

 『のだめ』にハマってしまいました。3・4巻を買ってきたのですが、コレおもしろいです。まーったく、この忙しいのに、なんで漫画なんか読んでるんだろ、オレ(それも二回も通して ~o~;;;)。

 んで、思ったんですが、この漫画、千秋先輩が主人公なんですねえ、特に3・4巻は。この千秋先輩、なかなかよく描けてると思います。今日、本屋さんで3・4巻買った時に、『のだめ』のコーナー(恐るべし、そういうのが出来てる ~o~;;)にいた女性二人組が、「玉木宏だとちょっと違うのよね~」って言ってたけど、なるほど、先のほうまで読んで千秋先輩のイメージが出来てる人には、玉木宏の千秋先輩はちょっと不満かも。

 3・4巻の千秋先輩を見て、思い出したことがあります。ワタシも昔、千秋先輩を知ってました。千秋先輩のような男が高校の後輩にいたんですよ。ワタシ、実は、高校二年の後期から三年にかけて合唱部に在籍していたことがありました。高校二年の前期まで、全くのシロウトだったのですが、同じクラスの合唱部部員に勧められて軽い気持ちで入部したのです。

 ところが忘れもしない二年の晩秋、折から寒~い音楽室で、最初の練習に参加した時のこと。最初の発声練習で、一年生の男子がピアニカ持ってやってきて、今からピアニカの通りに音を出せってわけです。彼がピアニカを弾き、その通りに声を・・・出してるつもりなんだけど、いくらやっても彼は渋い顔をして、「先輩、今のはちょっと低いです」「今のも、四分の一音低いです」と何度やっても許してくれません。結局、最後にはヘロヘロになったワタシを見た彼は、悲しそうな顔をしてあきらめてくれました、そう、千秋先輩が峰龍太郎を指導する時みたいに。

 翌日、ワタシは熱を出して寝込みました。「合唱熱」。~o~;;;;

 この後輩、実は、この合唱部の指揮者だったんです。彼は、本当に千秋先輩みたいな男で、とにかく自信のかたまり、しかも、本当に何をやらせても上手い。先輩だろうと何だろうと、練習となったら容赦なく指導しますが、これだけ全てのレベルが高いとみんな一目も二目も置いているので、逆らえません。それでいながら、指揮の時は、非常に人心の把握が巧みで、文化祭の曲目、モーツァルトのレクイエム「キリエ章」を最初に合わせた際は、この曲を作った時のモーツァルトのエピソードを紹介し、「晩年、もう病気で少し頭がおかしくなっていたモーツァルトは、レクイエムの依頼に来た使者をあの世からの使者と思い込み、自分のためのレクイエムと思ってこの曲を作曲したんです」と熱く語って、すっかり我々をその気にさせてしまいました。その年の文化祭、我々は、思いっきり盛り上がって、そう、「オナニープレイ」状態で「キリエ章」を絶唱しました。気持ち良かった~~。~o~

 まあ、これはこれで、高校の合唱部としては大成功だったと思います。ところが、翌年、彼は、そんなことでは飽き足らず、ウチの高校の弦楽部とブラスバンド部を説得して、あろうことか、文化祭限定臨時大オーケストラを結成してしまい、ショスタコービッチ作曲、オラトリオ「森の歌」というとんでもない大曲を、たかが高校の文化祭で完全に演奏してしまいました。これはひとえに彼のカリスマ性と誰もが認めざるを得ない実力の賜物でしょう。

 その素晴らしい演奏を我々OBは客席で目にしました。モーレツに感動しました。当時浪人中のワタシが、その後一ヶ月ほどパチンコ屋通いを止めて、モーレツに勉強したくらいに。~o~;;

 聞いている方がソレですから、ヤッてる方はたまったものじゃありません。終わった直後のステージは、合唱部員の号泣の嵐だったらしいです。ところが、演奏が終わって一息ついた後、指揮者の彼は、しみじみと、「コレでシロウトを指揮するのは最後だな」とのたまったそうな・・・。~o~;;

 結局、彼は高校卒業後、東京芸大の指揮科に進み、本当にプロの指揮者になりました。この話、もう時効だからこんな所に書いちゃっても大丈夫だよねえ、今や日本が世界に誇る新進気鋭の指揮者となった僕らの「千秋」、O野K士君。~o~;;;;;;

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