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2006年10月29日 (日)

生き字引様の痛快~『純米酒を極める』

 「日本酒」を独立させたついで、と言ってはナンですが、以前購入して読んでいなかった『純米酒を極める』(上原浩著 光文社新書)を読んでみました。

 購入してから読んでなかったのは、「酒は純米」という著者の主張に、ちょっと反発を感じていたからです。純米にこだわらなくても美味けりゃ良いだろー、というのがワタシの基本的な姿勢なもんですから。

 でも、この本を読んで、純米にこだわる著者の言い分も理解できるようになりました。著者は、鳥取県工業試験場に長年勤務し、酒造技術指導の第一人者で、『夏子の酒』の「上田先生」のモデルにもなった「酒造界の生き字引」なのだそうで、兎に角酒造りに関する知識と経験がハンパではありません。そのため、あらゆる技術に通じていて、醸造の裏ワザ的新技術をたくさん紹介してくれています。ナルホド、これだけ誤魔化しの技術があったら、生半可にアル添を認めてた日にゃあ、ワケの判らない酒が出来ちゃいますよね。「純米」以外は日本酒にあらず、と言いたくなる気持ちも判ります。

 でも、やはり、消費者の一人としては、少量のアルコール添加で吟醸酒の上立香を立たせる技術は残しておいてほしい気がするんですよね(著者もこの技術を認めてはいるのですが、一方で、それを「日本酒」と呼ぶな、と主張しています)。著者は、上立香の強すぎる酒は料理に合わないと言います。確かにワタシもそう思います。でも、食前酒として上立香の高い吟醸酒を一杯というのは、気分が華やかになって良いと思うんだけどなあ。別に何杯もそれを飲もうというのではなく、大吟醸の上立香を一杯楽しんだ後、食事に合わせてしっかりした純米酒を一合、なんていうのは心豊かな感じがして良いと思うんですよね。

 だから、「酒は純米、燗ならなお良し」という著者の主張に全面的に賛同するつもりはありません。それで、この本の前半は、正直、押し付けがましい感じがして、ちょっと抵抗がありました。「この人、『のだめ』的に言うと、『オレ様』なんだろな」と思ってました。でも、後半の「米とつくりの重要性」あたりからの「愛情余っての醸造界への提言」は、読んで楽しいです。大いにうなづかせられるところが多々あります。「酒を知らない酒造家」や「酒に愛情のない酒販店」「何も分かっていない本の著者」なんてのをぶった切ってく様は、水戸黄門の最後の十分間みたいで、痛快です。

 「酒は純米」には全面的には賛成できないし、人肌の燗の美味さを認めるのはやぶさかでないにしても、それ以外を否定されちゃうのはちょっと心外なんですが、それを割り引いても、気持ちの良い本です。著者の醸造に対する深い見識と愛情がうかがわれて、清清しい感動があります。何より、日本酒マニアとしては大いに勉強になります。日本酒を好む人、これから飲んでみようと思っている人には、是非読んでもらいたい好著です。

 こういう本が、『バ○の壁』だの『国○の品格』だのという「炭をかけまくった三増酒」みたいなベストセラーよりも、たくさん売れる世の中になってくれませんかねえ。~o~;;

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