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2006年10月24日 (火)

元イジメられっ子からの提言

 今日明日は久々に自宅での完全オフです。んで、ちょっと前から気になっていた話題を取り上げてみようかなと。

 生徒児童のイジメ自殺が相次いだって話、実はあまり詳しく新聞読んでなかったんで、ちょっと前からの新聞を読み直しているのですが(ってか、新たに読む部分がほとんどなのですが)、ん~~。どうなんですかねえ。

 今日も鹿児島で中学校の教諭が女生徒をいじめていたって記事が夕刊に載っています。まー、教師の方がイジメに参加しちゃうというのは、ちょっと論外なのかなと思いますが、子供同士いじめ、いじめられの関係が生ずるのは、昔からあったことで。最近のイジメは陰湿らしいけど、我々の頃だってけっこう陰湿なイジメはあったと思います。

 よく、イジメは子供達のストレスが原因、みたいなことを言ったりします。でも、ワタシの育った町は何の変哲もない田舎町で、子供達は伸び伸び育って全くストレスなどありませんでしたが、ちゃんとイジメはありました。なにしろワタシ、イジメられっ子でしたから、その辺は詳しいです。それも、一回イジメが原因で隣町の小学校に転校して、そこでもイジメられちゃうくらい筋金入りのイジメられっ子。

 何故そんなにイジメられたのか、今なら見当がつきます。ワタシは、実はかなりエキセントリックな子供でした。つか、多分、二十歳代まではエキセントリックな人間でした。(「でした」と過去形にすると、今でも各所から苦情がでそうですが、これでも三十歳以降、比較的ノーマルになったんですよぉ~。~o~;;;;)

 我々日本の社会は、少数のエキセントリックな存在を決して許容しない社会なんですよ、きっと。例えば、ネットのBBSなんか見てると、エキセントリックなヤツを集団で攻撃するのってモノスゴクよくあるじゃないですか。スキー関係のBBSでもよくあったなあ。多分、某巨大掲示板なんて、今でもそんなのばっかりじゃないんですか。ブログが炎上しちやったりするのも、モロにイジメですよね。また、今回のイジメ自殺事件の報道を見たって、某週刊○潮の先生の実名報道なんて、社会正義という名の下のイジメでしょ、アレ。

 ただ、大人は衝動を抑えることを知ってますから、イジメが表に出ることは少ないってだけ。その大人社会にしてから、匿名性の高いネットの世界はイジメ天国なんだから、まして衝動を抑えられない子供の社会で、イジメが表面化しちゃうのは当然のことでしょう。

 従って、イジメを撲滅しようというのはナンセンスです。我々の文化そのものを根底から変革して、エキセントリックな存在を許容できる社会にしなきゃいけないんでしょうが、そんなこと、出来るわけないです。

 だから、イジメ自殺問題の解決策は、イジメの撲滅ではなく、イジメのコントロール。それに自殺の防止です。コントロールの方はともかく、自殺の防止の方は簡単です。ワタシは小学校四年から六年にかけていじめられてましたが、その間、一回も自殺は考えませんでした。自殺という逃避と報復の方法を知らなかったからです。

 自殺はイジメからの逃避であると同時に強力な報復行為となります。だって、マスコミの皆さん、イジメ自殺事件の報道を嬉しそうになさってるじゃないですか。それも、極力いじめられた側に立って、社会正義を振りかざしてくれちゃうわけで。いじめた側の人間に社会的制裁が加えられるのを、現在イジメにあっている子供達は当然、我が事として見てますよね、興味をもって。

 イジメ自殺が連続して起こるのは、そこに原因があるわけですね。ワタシだって、一番激しくイジメられてた小四の頃に、マスコミの皆さんが死んだ子のために報復してくれるさまを見ていたら・・・。間違いなく、享年十歳でアチラ側に旅立って「居士」と名前が変わっていたでしょう。

 だから、イジメ自殺を防ぐ策はただ一つ、マスコミが報道を抑制すること。仮に報道したとしても、イジメられた側に一方的に立たず、自殺を戒める報道をすること。「どんなことをされたとしても、自殺はいけないことだ」と繰り返し報道することです。社会正義を振りかざす連中は、自分たちが結果的に子供を殺しているという事実と向き合うべきです。

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