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2006年10月23日 (月)

刹那を虐殺する機械としてのカメラ

 今日、吉祥寺の居酒屋さんで夕食を取っていた時に、隣の席に本格的なプロっぽいカメラを持った男女が座っていたのですが、写真の話題がいろいろ出て、幼稚園(小学校だつたかも)の運動会で、いくら規制してもカメラを構えた親が競技の邪魔になるところまで入ってきて写真を撮るという話になって、「その場で子供が楽しいかどうかより思い出作りで一生懸命なのよ」って。

 この話、なんだかとっても納得できました。日本人って、特に最近の日本人ってコレ多いですよね。例えば、NZのスキーツアーでのこと。確かにスキー自体は楽しいんですよ。でも、何かあるごとにみんなデジカメを持ち出します。そりゃ本当に楽しんでいるところを撮るなら判るのですが、別に特に楽しいわけでもない所でやたらに記念写真を撮ります。それも何台ものカメラでとっかえひっかえ。そのたびに楽しそうなポーズを取らされるのですが、なんだか変じゃないですか。楽しい時を記録するというよりは、記録のために楽しい振りをさせられてるみたいで。

 刹那の楽しみが虐げられ、「思い出」のために偽りの楽しみが記録されているように感じます。そりゃ、後から見れば刹那の記憶は薄れるし、カメラはフレームの中のある瞬間以外のものは残さないから、写真を見て「楽しかったね」になるのかもしれませんが、何だかな~。

 子供の成長を記録したり、純粋に映像美を追求したりするのは理解できます。つか、そういう物なら好きだといっても良いです。でも、単なる「思い出」のための記念写真は・・・。刹那の喜びを犠牲にしてまで、「思い出」作ってどうするというのでしょう。

 椎名林檎は『ギブス』の中で、写真を取りたがる彼氏に対して「写真になっちゃえば、アタシが古くなる」といって拒否します。 二人の関係を「絶対」という言葉で固定しようとする彼氏に対して「醒めてしまえばそれすら嘘になる」と嫌がります。「刹那」の真実に対して、固定され記録された「永遠」の偽りを拒絶するのです。

 最近、記念写真を撮られるたびに、ワタシ、『ギブス』の林檎嬢と同じような気分に襲われてしまいます。

 翻って、日本人、特に最近の日本人は記念写真好きですよね。カメラ付き携帯って、鋭いとこをついた商品です。アレは売れるわな。しかし、携帯も嫌い記念写真も嫌いなワタシにとっては・・・。

 さてさて、んなことノンビリ書いてる場合じゃない、『のだめ』第二話のビデオを見て早く寝なければ・・・。~o~;;

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