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2006年10月13日 (金)

ゆめまぼろしの翻訳論

 村上春樹がノーベル文学賞を取りそこなったそうです。村上さんに関しては、小説もエッセイもほぼ愛読していますが、エッセイの方がどちらかというと好きです。最近は夏のNZへの空の上の暇つぶしに、毎年使わせてもらっていて、今年は『スプートニクの恋人』、去年は『海辺のカフカ』、その前は『シドニー』、その前は、えっと何だっけ・・・。~o~;;

 友人S君も村上ファンで、S君のブログではちょっと村上バナシで盛り上がっています。そこで、文学作品の翻訳は難しい、って話が出て、ちょっと思い出したことがあります。それは谷崎潤一郎の『源氏物語』翻訳の話。

 谷崎は『源氏』を三回訳しています。最初が昭和十四~六年、二回目が昭和二十六~九年、三回目は昭和三十九~四十年にかけて執筆されました。

 最初の所謂旧訳は、不完全なものでした。なにせ、日本が戦争に突入していく時期でしたので、皇統の乱れを扱った『源氏』の出版には、非常にデリケートなタイミングでした。この時代は、『源氏』の研究者の中にも、「私の目の黒いうちは国民に『源氏物語』は読ませない」と豪語する大馬鹿モンがいたというぐらいで、谷崎も自主規制せざるをえず、皇統の乱れを描く部分は発表できませんでした。考えてみれば、馬鹿げた時代です。あらゆる日本の文化的遺産の中でも、最も日本人が世界に誇るべき至宝に抑圧を加えて、いったい何を守ろうとしたというのでしょう。

 近年、「日本の文化に誇りを持て」などという「愛国者」の方がいろいろ本を書いたりしていらっしゃるようですが、こういう事実はご存知なのでしょうか。知らないですよね。そもそも『谷崎源氏』すら本棚の飾りにしてしまう方なのですから(06'2/23「筆者の品格」参照)。

 閑話休題、二回目の所謂新訳は、こうした旧訳の欠陥を補うべく始められました。そして、三回目の所謂新々訳は、谷崎の作品集出版にあたり旧仮名遣いを新仮名遣いに改めることを契機として行われました。この新訳と新々訳は、開始する契機としては、上記の外的な事情だったわけですが、実は、谷崎の内部にも訳を改める動機はあったようです。

 「旧、新、新々の三つの訳文を比較してみると、一番最初の旧訳が一番判りやすい意訳で、新、新々と訳を改めるたびに、文章が直訳調の判り難いものになっていく。どうやら、谷崎は、訳を改めるたびに意訳では表しきれない原文の奥深い表現に気づき、それを表現したいという欲求にかられて直訳調にせずにいられなくなった、だから三回目の新々訳は、三回の訳の中でも、最もわかり難い訳になってしまった。」

 という話を確かどこかで読んだと思うのですが、これをブログに書こうと思って改めていろいろ調べてみるんだけど、何処で見たのか出てこない・・・。この話、授業中に何度もしゃべっちゃってるんだけどね。~o~;;

 まー、三回目の新々訳が、非常にわかり難い文章であることは間違いないんですよ。もう、単独で訳だけ読んでも、何が書いてあるのか判らないくらいに。原文と比較してみてようやく言ってることが判ったりするんですよね(まあ、間違いなく翻訳としては失敗作ですね ~o~)。だから、多分、上記の話は本当なんだと思うんだけど、何処で見たんだっけな~~。まさか見たような気がしただけっていうことは、ないよねえ・・・。~o~;;;;;

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