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2006年12月21日 (木)

ドラマ『のだめ』の研究その十

 第十話、ようやく三回目見終わりました。今回は、比較的原作に忠実な場面が多く、あんまり突っ込み所ないですね。やはり、原作でも非常に緊張感のあるところなので、変更のしようもないということでしょうか。

 その中でも、やはり、前回までの流れでを受けて、のだめの人物像をわかり易くしている部分はちょっと浮きます。例えば、多賀谷彩子が、のだめ本選進出の掲示を見て、千秋の部屋をチケット持って訪れるシーン。千秋に対して、「私はなんとかして真一に振り向いてほしかった。でも、あの子は真一と肩を並べて歩くために必死に追いつこうとしているのね」ってのだめの思いを解説しちゃう。確かに判りやすいけど、今更、多賀谷さんがチケット持ってこなくても、千秋からR☆Sのチケットはのだめに渡るんじゃないんですかねえ。やや不自然デス。

 それに、あんまり千秋に追いつくという動機を強調して、判り易い人物像を作ってしまうと、「オレと一緒にヨーロッパに行かないか」と言われて「なんで」って断っちゃうのが、やや不自然になるんですけどね。千秋と一緒にヨーロッパに行ければ良いだけなら、千秋の申し出を断る理由がないでしょ。特に、原作にはない「このコンクール以外にも留学生支援の制度はある」なんて台詞まで言わせてしまったので、のだめが千秋の申し出を断る理由が、やや弱くなるかなと。

 このあたり、原作では、のだめの行動は非常に動機が不明瞭で、のだめは一貫して気分屋で謎めいた天才的な不思議ちゃんとして描かれている気がします。だから、それに千秋も振り回されて、「どうしたらいい・・・」なんてしばしば頭を抱えることになるわけです。ところが、ドラマでは、のだめの人物造形を無理に判り易くしちゃった分だけ、千秋の申し出を断るシーンにそのしわ寄せが来ちゃっている気がします。

 さて、細かいことをいくつか。『喜びの島』を聞いた千秋の「今まで綱渡りだったんじゃねえか」は、原作では本選の観客の評判を聞いた時の台詞なんだけど、あの場面ではやや状況に合っていません。このドラマではしばしば見られる、原作通りの台詞を無理やり言わせて不自然になるパターン。

 原作では、本選を見に来るはずの千秋母、何故来てなかったんでしょう。折角、留学生の支援の仕事で帰国したことになっているのに。まあ、多分、次回の放送で活躍することになるんでしょうが。

 『ぺトルーシュカ』での「作曲」、原作だと「今日の料理」は一回混線を起こすだけで、後は忘れた部分をソレっぽく「作曲」しちゃうって設定なんだけど、コレはやはり、ドラマでは無理ですかね。『ぺトルーシュカ』の原曲を視聴者は知りませんからね。まあ、当然ワタシも知らないので、ソレっぽく作曲されても困るのですが・・・。~o~;;;

 ところが、そのために、「今日の料理」のメロディが何度も出てきて、明らかに笑っちゃう演奏になってます。ちょっとソレだと、演奏終了後、「ブラボー」にはならないんじゃないですかねえ。それに、原作だと『ぺトルーシュカ』の前の二曲の演奏が終わった時点で、もっと聴衆に感銘を与えちゃうんですよね、「ブラボー」の声まで上がるくらい。だから、「まだ一曲残っているのに、会場が・・・」ってことになるワケで、その分、『ぺトルーシュカ』さえ間に合っていれば・・・、ってことになるんですが、ドラマは、一曲目のウケがやや控えめなので、ちょっと、「惜しかった」って気にならないんですよね。峰君の「ブラボー」も身内への同情に聞こえちゃう。

 しかし、松田幸久は、何故28才って設定になってるんですかね。原作だと36才なのに。配役の関係でしょうか。それと、ラストでのだめが部屋から出て行くシーン。部屋の中に「スカーレット」の衣装残ってたけど、ハリセン妻に返さなかったんかい。~o~;;

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