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2007年1月 9日 (火)

知らざるを知るとなす人々Ⅱ

 昨日、学者だからってあてになるわけじゃないって話を書いたついでに思い出したことがあります。

 京都には廬山寺というお寺があって、ここは、紫式部邸宅跡という観光名所になっています。ところが、コレがモノスゴイ話で・・・。

 京都に住むある学者さんが、『源氏物語』中の登場人物「空蝉」は紫式部自身がモデルになってるという仮説を立てました。これは純粋に仮説。そんなこと誰も論証できません。何なら、「空想」と言い換えてもかまわない程度の仮説です。ところが、この学者さん、その「空蝉」が住んでいたのは、作品の記述から考えて、今現在の上京区寺町のあたりだと言い出し、従って紫式部の邸宅は今の廬山寺があるあたりにあったのだと、これまた仮説を立てました。仮説の上に成り立つ仮説ですから、危ないことこの上なく、まあ、ハッキリ言えば完全な「空想」です。専門でマジメに『源氏物語』を研究している人達は誰も相手にしません。

 ところが、この方、京都の平安博物館の館長という立場だったので、シロウトさんに吹きまくっちゃったらしいんですね。自分の「空想」を。それで、今や、京都の観光案内はどうなっているかっていうと、今回、ネットで検索して見つけたのですが・・・

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  上京区寺町通広小路上るにある廬山寺準門跡「紫式部邸宅遺跡」。

紫式部は藤原香子(かおりこ)と呼び、「源氏物語」、「紫式部日記」、「紫式部集」などすべての著書はほとんど、この「紫式部邸宅」で執筆された。

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 オイオイ。すげーなー。~o~ ~O~

 そもそも、京都市街ってのは、応仁の乱で丸焼けになり、当時の貴族の邸宅なんて何一つ残ってないってことぐらい常識で考えて判らないんでしょうかね、この観光案内書いた人わっ。上記の学者さんの「空想」を丸呑みした上に、さらに屋上屋を架すような「空想」の重ねモチ。「すべての著書はほとんど、この『邸宅』で執筆された」って、誰がそんなこと判るんだよー。~o~;;

 おまけに、上記の学者さんのもう一つの「空想」、紫式部の本名の話まで事実として書いてやがんの。

 学問的には、紫式部の本名というのは、まるで判らないということになってます。上記の学者さんが、文献をあさって、「藤原香子」というそれらしい名前を見つけ出してきたのですが、これも、薄弱な根拠しかなく、マトモな学者で信じてる人なんかいません。ところが、この学者さんがシロウトさん相手に吹きまくっちゃうものだから、観光案内は上記のようなことになるし、確か、その仮説で小説書いちゃった小説家さんもいたはず、『香子の恋』とかって。~o~;;;;

 マトモな学者さん達が強く否定しないのは、学問的に否定する材料もない仮説だからです。誰も否定のしようがないんですよ。でも、だからって、肯定する材料は極めて薄弱なんです。単なる「空想」なんでねー。~o~

 まー、学者さんと言っても、いろんな人がいるってことです。ちょうど、予備校屋にもいろんな人がいて、信じちゃいけない人もいるってのと同じこと。人間のやることですから、どんな職種でもあんまり代わり栄えしないってことですね。

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コメント

角田文衛氏の紫式部居宅跡に関する説は、別に空蝉云々がその根拠になっているのではありません。
祖先の堤中納言兼輔の邸宅が、現在の廬山寺付近に存在していたということによるものです。
氏の「紫式部の居宅」(『紫式部とその時代』昭和41年、『紫式部伝』平成19年など所収)はご覧になられましたでしょうか?
紫式部本名説には異論の方がはるかに多いですが、居宅跡についての説は、現在ではおおむね認められていると思われます。

投稿: 通りすがり | 2013年2月 2日 (土) 23時00分

書き込みありがとうございます。

 ワタシも、長いこと学問の場から遠ざかっているので、浦島太郎状態になっているのかもしれません。

 多分、かなり先のことになるとは存じますが、ご指摘の書籍に関して勉強させていただいてから、きちんとしたご返事を書きたいと思います。

投稿: Mumyo | 2013年2月 3日 (日) 05時57分

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