« 本格社会復帰といくぢなしの写真 | トップページ | 感情表現欠乏症の研究その一 »

2007年3月29日 (木)

感情表現欠乏症の子供達

 昨日から、春期講習の新しいタームに入りました。今度は新高三対象の四日間の講習です。

 授業しながら、ふと、昨日インターネットをふらふらしながら見たブログ記事を思い出してしまいました。もう、どこで見たのかオリジナルの所在を忘れてしまったのですが、なんでも、某私文系に強いとされる大手予備校の数学の人気講師の授業を録音したテープを聞いたという人の話なんです。

 そのブログ筆者さんは、この数学の先生の話術の巧みさに大笑いしたというんです。「教室の笑い声は録音されていなかったが、我々は大ウケした」という記述があって、予備校の講師の国語力に感心するという論旨なんですが、ワタシが目を留めたのは、「教室の笑い声は録音されていない」という一言。

 コレ、我々予備校屋には何が起こっているのか想像がつきます。この人気講師の人、確かに話術は巧みなのでしょう(考えてみりゃ、数学シロウトの大人を大笑いさせる数学の先生の話術ってスゴいですね ~o~;;)。きっと爆笑モノのネタが散りばめられていることでしょう。でも、その場で授業を受けていた生徒さんは一人も笑っていないはずです。

 正確に言うと、教室の中の何人かがニコリとしているはずです。でも、声を上げて笑う生徒はほとんどいなかったことでしょう。実は、我々の教室では、このような眺めが日常的なのです。もう何年も。

 十年前なら、生徒は教室でよく笑い声を上げていました。授業中、ギャグなどめったに言わないワタシですら、取って置きのネタを披露して大ウケを取ることは年に何度かありました。人気講師の方達なら、それは毎時間のことだったでしょう。でも、いつの頃からか、教室から笑い声は起らなくなったんです。

 別に、生徒さんがギャグを理解しなくなったワケではありません。今でも、ギャグにニコリとする子は多いし、中には必死で笑いをこらえる様子の子もいます。でも、笑い声はめったに上がりません。授業アンケートに、「可笑しくて笑いをこらえるのに必死でした」なんて書いてあったりするんです。こらえてないで笑えよ!

 昨日も、ワタシの教室から笑い声は上がりませんでした。ニコっとする子は何人もいたのですが。

 実は、コレに関係あるかもしれない話を、富良野で木村公宣さんから聞いたことがあります。最近のジュニアレーサーは、負けても悔しがる態度を取らないっていうんです。公宣さんは、「今の子は、表立って悔しがらないけど、心の中には熱いものがあるんだ」とポジティブにとらえてました。しかし、心の中の思いを表に出さないって変ですよね。

 考えてみれば、モーグル大会があんなに和気藹々なのも、選手層が若いからだと考えられます。モーグラータクヤなんて、全日本選手権で予選落ちして帰ってきた日には、ものすごく悔しがったらしいんですが、アレは健全な反応なんですよね。ただ、そのタクヤにしてからが、他の選手達には、あんまり悔しそうな素振りを見せません。

 子供達から感情表現が消えています。これは実に不思議なことですが、事実です。いったい何が原因なのか、これからこの子達はどうなるのか、ワタシには全く見当がつきません。もしかすると、以前このブログに書いた現代人の「感動欠乏症」とも関わりがあるのかもしれません。

 まあ、ぶっちゃけた話、日本人と日本文化のこれからのことなんて、ワタシが心配しても仕方ありません。でも、今年度のうちに一回くらいは、教室から笑い声を上げさせたいなぁと密かな野望を燃やすワタシなのでした。

|

« 本格社会復帰といくぢなしの写真 | トップページ | 感情表現欠乏症の研究その一 »

コメント

だいぶ前の日記ですが、当事者の若者であるぼくがわかるだけのことを書きます。

まず、授業中笑わないことについて。

基本静かな授業のとき、先生が面白いことを言ったとします。

でも、このとき、自分だけ笑って、他の人は笑わなくて、目立ってしまったら恥ずかしい。そういった思いがあって、声を出したくても出せないんだと思います。

ぼくがそうです。

笑いが自分の中で起きる瞬間、周りの静かな教室の様子を見る、というか、見えるんです。

みんなが様子を見た(見えた)「間」が静かで、そんな中自分ひとりだけ声を出すことなんてできない。

周りを見る(周りが見える)と、みんな笑わないんですから、更に笑わなくなります。

悪循環です。

笑いをとろうとしてみんな笑わない空気は、学生も感じていて、「先生に悪いなあ」とか結構思ってるものです^^;;

悔しがらないっていうのもわかります。ぼくも昔は感情を表に出さない子でした。

でも、何故表に出さないのか、何故そんな子供が増えているのかはちょっと分からないです。

いまどきの若者の心について書かれた本に、結構載っている事柄かもしれません。よく耳にすることなので。

もっと知りたいと思うなら、本屋さんやネットで探してみるというのもいいのではないでしょうか。

ぼくがわかること、考えられることはここまでです。考察の参考になってくれればうれしいです。

投稿: みっくん | 2010年9月19日 (日) 10時31分

 この記事初めて拝見しました。
 私、落語が大好きです。志ん生のくすぐりなどを授業で良く取り入れます。爆笑の渦になり、涙を流して泣いてくれた生徒もいました。ところが、いつの頃からか笑ってくれない生徒が多くなりました。決して敵意を持ってあえて笑わないのではなく、とにかく笑わない、ほんとむなしくなってきます。
 感情表現が消えているということなのでしょうか。寄席(これを落語通の官房長官が「よせき」と発音したのにはぶったまげましたが)へ行ってもチャップリンの映画を見ても笑わないのではあまりにも寂しいなあ。

投稿: ニラ爺 | 2021年5月15日 (土) 07時19分

 やっぱり、ニラ爺さんのところもそうですか。
結局、上記の「みっくん」さんのおっしゃる通りなんだと思います。周囲との距離の取り方が最近の若者は少し違ってきたのかなと。

 そういう意味で小学生の方が笑わせやすいってことになるのかもしれません。娘の塾では、国語だけでなく、社会や算数でも教室で笑いが巻き起こってるらしいです。

投稿: mumyo | 2021年5月15日 (土) 13時10分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 感情表現欠乏症の子供達:

« 本格社会復帰といくぢなしの写真 | トップページ | 感情表現欠乏症の研究その一 »