非エンカ系料理の悦楽
一昨日、尾瀬丸沼ペンションKの実テラスさんに宿泊しました。Kの実さんの夕食は久しぶり。相変わらずハイクォリティです。前菜も美味かったし、最後の肉料理も美味かったけど、友達仲間に評判が良かったのは、「アコウ鯛のソテーアオサソース」。パリッと焼けたアコウ鯛の皮にほのかな甘味のあるアオサソースが合ってます。友達のI夫人も感心してました。
このKの実さんの奥さんは、料理好きなのですが、単に料理好きというより、多分イタズラ好きなんでしょうね。いつでも泊まるたびに何か驚くような趣向を用意してくれます。昨秋泊まった時の「イカとアボカドの細切りマグロ包みコチジャンソース」なんて典型だけど、何時でもお客を驚かせよう楽しませようとしてくれます。過去にも、いくつかインパクトのある料理を出してくれました。「海老のガレット明日葉ソース」なんて美味かったな~。~o~
大事なのは、こういう変わった料理が美味しいということ。いくら驚かせる料理でも不味くちゃ意味ないです。初めて聞くような料理が美味しいのは勉強しているってこともあるけど、料理のセンスがあるからでしょう。もしかすると、天才かも、ってホメ過ぎか。~o~;;;
こういう料理を創作料理と言ってしまえばそれまでなんですが、単に「創作」というに留まらず、言うなれば「非エンカ系」の思想を感じます。
古代の和歌の世界には、決まり言葉やお決まりの景物の組み合わせなど既成の伝統的枠組みの中で最小限の「我」を表現する伝統がありました。雪を花に例えたり、梅に鶯、紅葉に鹿などを組み合わせたりすることで伝統的美意識に則り、一種の共同体意識に訴えかけて自らの美を表現するやり方です。そんな和歌の世界では、個性的過ぎる表現は嫌われました。曾禰好忠など「狂惑の奴」と言われて異端視されたものです。
既成の伝統的枠組みの中で最小限の「我」を主張する思想は、日本の芸能の中に受け継がれ、やがて演歌となったものと思われます。演歌では、既成の発想、既成の旋律、既成のフレーズ、既成の歌唱法を必要以上にはみ出すことは嫌われます。北島三郎は、変拍子を使う曲すら嫌がったと言います。
そんな、既成の枠組みを守って伝統的美意識に則り、共同体意識に訴えるやり方を「エンカ系」と名づけるとします。一方、既成の概念を裏切り個性を主張し驚きをもたらすことで感動を喚起しようとする思想を「非エンカ系」と名づけましょう。
例えば、料理では、朝の豆腐のミソ汁なんてのは、それがどんなに上手く出来ていても「エンカ系」です。同じスキー宿の美味い食事でも、フランス料理の伝統的手法に則ったオーベルジュ・Fらいばぁんなどは「エンカ系」と言えます。しかし、Kの実さんの食事は明らかに「非エンカ」。「ロック系」って言っても良いかも。~o~
そんなKの実さんの食事の、唯一の弱点は、食べたいと思った料理をもう一度食べるのが難しいこと。なにしろ放って置いたら、いくらでも新しい料理が出てきちゃうので、美味しかったものは特に覚えておいてリクエストしないと二度と食べられないんですネ。~o~;;
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