「エンカ/非エンカ」で分節される世界またはロックスターの墓碑銘
昨日、「非エンカ系」料理について書きましたが、実は以前から、音楽については同様の分節を考えてきました。現在ロックやポップスに分類されている音楽だって、アーティストにより作品により「エンカ/非エンカ」に分類することは可能だし、ある程度有効だと思います。
例えば、某八王子出身のニューミュージックの女王。明らかに「エンカ系」です。彼女は、ある世代の人達の共同体意識をくすぐるのが非常に巧みで、そのことが彼女の魅力の大半であるように見えます。もっとも、コンサートでは「驚きをもたらすことによる感動」が盛りだくさんになるらしく、エンターテイナーとしては「非エンカ系」らしいのですが。
例えば、某亡くなったカリスマロックスター。完全に「エンカ系」です。彼は、既成の「不良少年」を演じ続け、既成の「不良少年」を歌い続けて同世代の共同体意識をかきたて、カリスマとなりましたが、作品の中身には新鮮味や驚きが少ないので「不良少年」意識の共同体に属さない人間にはあまり支持されませんでした。ワタシなども正直言って、こんな「月並み」の繰り返しのどこがロックなのかと思っていましたが、「不良少年」意識を共有できる人達(現実に「不良」かどうかではなく「願望」も含めて「意識」の問題)には絶大な人気を現在でも持っているようです。
正直、彼の墓碑銘には「エンカ歌手」と書いておいたら良いのではないかと思います。
念のために書いておきますが、ここでいう「エンカ」とは何らかの評価ではありません。別に、非難しているわけじゃないんです。ただ、彼の魅力は単なる「ロック」ではなかったはずです。そこのところは、「信者」の人達にも判っていただけるのではないでしょうか。彼の魅力は「驚き」ではなく「共感」だったはずです。
逆に、演歌歌手に分類されていても、某カラオケ定番歌『○○越え』を歌った女性歌手などには、「非エンカ」系の要素が強く見られます。その非凡で多彩な歌唱テクニックからリスナーに驚きを与えてくれるだけでなく、曲にも既成の発想を外れるものや既成の演歌リズムに乗らない変拍子などが含まれています。彼女などは代表的演歌歌手のはずですが、「非エンカ」と考えて良いのではないかと思います。実は、その微妙なバランスが彼女の魅力となっているのではないかと思います。
そういう意味では、このブログで何度か批評した平原綾香は、曲自体は「エンカ」、歌唱は「非エンカ」ってことになるんでしょう。
ワタシにとって、「非エンカ」の代表的アーティストは椎名林檎です。彼女の楽曲や歌唱は、既成概念を常に裏切り続け、リスナーに「驚き」を与え続けました。彼女の全盛期が短かったのは、そのことと無縁ではありません。「非エンカ」的創造を続けることは、自己を消費し続けることでもあります。
では、YUIは?
実は、今、YUIのセカンドアルバム『Can't Buy My Love』をヘビロテ中。『Can't Buy・・・』のことを書きたいと思って準備している最中デス。さてさて、このアルバムどう評価したら良いやら。予想以上にカッコ良いってのが今のところの感想なのですが・・・。
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