記憶というレーゾンデートルの考察または単なる逃避行動
今日も雑用&デスクワークの一日でした。ウチで出してる傾向と対策本の原稿に取り組んでいます。なかなか進みません。解答速報の時に問題は解いているので、本当は簡単に書けるはずなのですが、他予備校の速報の解答などを見せてもらって、それを誤答例に使ったり、いろいろ遊んで楽しんで書いてます。あーあ、こんなの某大手の解答速報作成者が見たら怒るだろーなぁ。~o~
仕事の合間にネットをウロウロしたりして逃避行動、つか、逃避の合間に仕事してるのかしらん。明日が最終締め切りだってのに。~o~;;;
数日前、某mixiを通して十三、四年前の教え子さんからメールをいただいてしまいました。十三、四年前というと、初期の実力不足の時期を過ぎて、ようやく恥ずかしくない授業が出来るようになった頃です。従って、初期の生徒さんと遭遇した時ほど動揺しないで済みます。昔の手帖など取り出して、しばし懐旧タイム。こういうのもなかなか良いものです。
それにしても、よくぞ十三、四年も前の予備校屋なんて思い出して見つけてくれたモンです。十代後半の体験って記憶に残りやすいんでしょうか。自分自身の体験から言っても、浪人時代のことってけっこう鮮烈に覚えてるもんなー。
だから、この仕事についた頃、浪人時代に教わった先生とご一緒することがしばしばあったのですが、ちょっとドキドキでした。講師控え室で近くに座らせてもらったりすると、かなり緊張しました。実は、今年、浪人時代に教わった世界史のO先生と池袋の校舎でお会いするのですが、今だにちょっと緊張してます。浪人時代なんてもう何十年前だよ~~。~o~;;
そう考えると、この仕事も悪い仕事じゃないですね。多くの人の記憶に残り続けるのは、人として一種のレーゾンデートルでしょうから。願わくば、それが少しでも美しい記憶でありますように・・・、と言いたいところですが、「美しい」は無理がありますかネ。ネットなど見ていると、予備校屋というのは、近頃「神」か「クソ」かに分類される生き物らしいので・・・。「人間」として記憶してくれているなら良しとしなければ。
とこんなこと考えてるのは、完全に逃避だー。仕事しなくちゃ。~o~;;;;
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