明け方降って来るもの
昨日は、一日中、デスクワークでした。『陰陽師』について書こうとしては挫折、また書こうとしては挫折。上手く行かないので、昼食時に岡野玲子という漫画家さんの『陰陽師』を買ってきて読んだりして。まあ、つまりいつもの逃避行動か。~o~;;
しかし、この岡野さんという漫画家さん、よく勉強して書いてます。原作の某夢枕獏さんより、はるかに勉強家です。例えば、源博雅が初登場する場面では、式神に「(博雅の管弦の腕は)敦忠卿ほどではないわ」などとサラっと言わせてますが、これはちゃんとした元ネタのある話。敦忠卿は博雅の伯父に当る人物で管弦の名手ですが、「宮中では敦忠卿が亡くなって以来、管弦の遊びに博雅が重用されるようになった」という話が『大鏡』に出てきます。
こういうディテイルの部分で、サラっと勉強家ぶりを見せてくれるので、ただイマジネーションで突っ走ってしまう獏さんより安心していられます。博雅が時平の血筋であるのを巧く利用したりするのも、この人が勉強家だから。
なーんてなことを考えていても、全く仕事は進まないので、気分転換に月曜の予習をしてみたりしたのですが、全然気分転換になりません。月曜の授業で担当している教材を開いたら、なんだか疲れてしまいました。ウチのテキストは、だいたい隔年の繰り返しになっていて、今年度のテキストは、おおよそ05年度に使用したものがベースなのですが、05年度に、「改善すべき箇所があるから直して下さい」と申し上げておいた所が、今年のテキストでもそのままになってる・・・。
教材作成担当の某先生、ワタシの意見を無視なさったようで、うーむ、このままだとホントにマズイんだけどなぁ。意地になっているのでしょうか。この某先生という方は、他人の原稿だと詳細にご意見なさっちゃう方で、ワタシの原稿などには、「解答例の文章が美的でない」「解説に名詞止めが多すぎる」などと文体のレベルに至るまで事細かにご意見くださっちゃうお方なのですが、他人に、単純な設問・解答の改善点や事実の誤りを指摘されるのはお嫌いらしひ・・・。
予備校屋にとって文体なんてどうでも良いことだし、そもそも文体はその個人のアイデンティティーに関わるものだから、他人様の文体に対してあーだこーだ意見するのは、他人の人格を踏みにじることになるんだけどなぁ。他人様の人間としての尊厳なんてこと考えないのかしらん。それに対して設問・解答の不備や事実関係の誤りってのは、どっちでも良いって問題じゃないんだけどなぁ・・・。
まあ、他人に対し厳しい人が自分に対して甘くなるというのは、よくある話ですから、しょーがねーのかなぁ。まさか、公の会議の場なんかで取り上げるわけにもいかないんですよね。某先生に恥をかかせることになるので。そんなことになる前に、教材訂正してくれないもんかしらん。
などと考えているうちにたちまち一日は過ぎ、こーゆー時は、ちょっと酒でも飲んでから仕事と夕食時にワイン飲んだら、これがまたよく回って、普段の半分も飲まないうちにダウン。ベットでふと横になったら、そのまま明け方になってました。
んで、明け方のベットの中、朦朧とした意識のもとにアイデアはどこからか降って来ました。そっか、去年使った紫式部の弟を、晴明の九字の秘呪で異空間に飛ばされてきたことにして、また使っちゃおう!
というわけで、今日は原稿が書けそうです。後は、オチを何とかすりゃ明日には出来上がるであろー。~o~
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