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2007年10月21日 (日)

だからアタイをげんのうで打つと言った

 今日は、一日デスクワークでした。昼過ぎ、昨日見つけた近所の喫茶店に昼食を摂りに出かけました。ついでに千葉大の赤本持って行って、サンドイッチ食べながら、赤本の間違い探し。

 古文ではあまり面白い間違いもなかったのですが、現代文の方ですごい問題を見つけちゃいました。教育学部国語の第五問。出典「子はかすがい」だって。

 正確には「林屋木久蔵の子ども落語」というシリーズ物に入っている子供向けの落語本です。大人の落語では、一般に「子別れ」という演題で知られています。しっかし、子ども向け落語を大学入試問題に使うとは、また思い切ったことを・・・。~o~

 六代目三遊亭円生師匠の速記本によると、「子別れ」は上・中・下の三部に分かれていたようですが、現在はほとんど下だけが演じられます。この「子ども落語」の「子はかすがい」も下のみです。

 上と中は、腕の良い大工、熊さんが、葬式の帰りに吉原へ繰り込み、酒を飲んで帰って、酔った勢いでお上さんと喧嘩。お上さんと子どもを追い出して、吉原の女を家に引っ張り込んだは良いけれど、この女が箸にも棒にもかからない女で、この女もたたき出し、一人になるところまでです。

 下は、すっかり懲りて酒を止め三年経つ熊さんの話。ふとしたことで子どもの亀坊と再会し、亀坊を結びの神としてお上さんと縒りが戻るというストーリーです。

 サゲは、「タイトル」の通りの亀坊の台詞です。お上さんは、亀坊をしかるのに、熊さんと別れる時に持ち出した玄翁を振りかざして、「これはアタシが打つんじゃないんだ。おとっつぁんが打つんだよ」と言って折檻するのですが、熊さんと縒りが戻ったお上さんが、「本当に子はかすがいだねえ」とつぶやくのに対して、亀坊、「アタイがかすがいだって?! だから、おっかさんはアタイを玄翁で打つと言ったんだ」

 千葉大は、このサゲを設問にしています。曰く、「この落語の結びの部分における面白さはどのようなところにありますか。分かりやすく説明しなさい」だと。うーーむ、こりぁ難問。だって、落語のオチは、どんなに上手く説明したって、説明した瞬間に面白くなくなりますからねえ。~o~;;;

 こんな設問もあります。「人とコミュニケーションをとることについて、落語から学べることがいろいろあります。あなたは、落語からどのようなことを学び、自分のコミュニケーションに活用できると思いますか。具体的な状況を想定して、その活用の仕方について説明しなさい」うわー、これも超難問。つか、落語から学ばせようとするなよなー。

 まー、確かに、イマドキの子は落語から学ばなきゃならない人達なのかもしれませんけどねえ・・・。~o~;;

 今日、教育再生会議とやらで、「子どもの規範となるべきスポーツの世界で不祥事が相次いでいる」というネボケた発言があったらしいですが、スポーツだの落語だのってものは、「規範」だの「模範」だののための物じゃないでしょ。子どもの「規範」なんて、両親がなれば良いんじゃないんですかねえ。亀田一家だの朝青龍だのって、見当違いの人達に子どもの「規範」を求めるなよ~。~o~;;;

 スポーツや落語に「規範」を求めちゃったりするのは、本来子どもの「規範」となるべき両親や周囲の大人に期待できないからってことなのでしょうか。なんだかなー。~o~;;

 それに、スポーツや落語に「規範」を求めるってことは、「規範」にならないスポーツや落語は排除しちゃえって発想につながりませんか。子供の「模範」にならない「バレ話」やら「子別れ上・中」なんかの価値を認めないってなことになっちゃったり・・・。少なくともワタシゃ、子供の「規範」になるスキー以外しちゃダメだなんて言われたら、大変困るんですけどネ。~o~;;;

 結果的に子供の教育のためになる、というのと「規範」とは大違いなんだが・・・。

 そりゃそうと、ウチの現代文科の先生達は、こういう問題にどう対処するんだろ。大変でしょうねえ。ワタシゃ古文科で良かったヨ。~o~;;

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コメント

 この試験問題は、話題になりました。当時ここの大学を受験する生徒が結構いて、どういうふうに答えたらいいのか、質問に来られたことがあり、答えに窮したのを覚えています。圓生師匠のこの噺は、志ん生の「火焔太鼓」と同じくらい、もう何百回と聞いています。オチを説明するくらい野暮なことはなく、落語は野暮をもっとも嫌う藝能です。熊はもとより、亀坊や母親の演じ方に名人藝を堪能すれば十分で、そのサゲを説明したとたん落語ではなくなるでしょう。
「落語から学ばせようとするなよなー。」で思い出したのですが、学生時代鈴本で噺家のつかう言葉の意味がわからないとその場で辞書を引いていました。あるとき、無意識で辞書を引いたら、「そこの学生さん、寄席に来てまで勉強していては、ダメだよ。ここは大学ではない」とからかわれ、もう恥ずかして仕方なかったことがあります。川柳川柳師匠でした。

投稿: ニラ爺 | 2019年8月10日 (土) 08時45分

志ん朝師匠のマクラに、真面目に落語を勉強しちゃう学生さんというのが時々出て来ますが、まさか、知り合いに実在していらっしやったとは…~o~

 それにしても、この記事書いた頃は、独身だったので勝手な事書いてますねえ。

>子どもの「規範」なんて、両親がなれば良いんじゃないんですかねえ。

 今じゃこんなダイタンなこと口が裂けても言えマセン。~o~;;

投稿: mumyo | 2019年8月10日 (土) 10時59分

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