娘はどうして死ねるのか
今日午前中は、池袋で私立文系の授業でした。その教材の話なのですが、これがワケの判らない文章で・・・。~o~;;
訳していくのは簡単なのですが、内容的に現代人の理解を超えているんです。まあ、面白い話なので、ちょっとブログでも紹介しておきます。
『大和物語』の中に収められた伝説です。大納言の娘が、ふとしたことで地方から上京していた男に見染められ、略奪されて陸奥国安積山の麓に連れて行かれるのですが、そこで男と暮らすうち、男がいない留守に山の井に映る自分の姿を見て、あまりの見苦しい変わりように「いと恥づかしと思」って、
安積山影さへ見ゆる山の井の浅くは人を思ふものかは
という歌を書き残して死にます。帰宅した男は娘の死を悲しみ、死んだ娘の傍らに横たわって男も死ぬという話なのですが、この話自体は、それなりに美しい話です。ところが、この娘の方の死に方が一切書かれていないんです。ただ、「庵に来て死にけり」とだけ書いてあるんです。
多分、自分の容貌の変わりようが恥ずかしくて死んだということなのでしょう。都の貴族の娘が、周囲に面倒を見てくれる女房もなく、一年以上山の中で生活すりゃあ、悲惨な容貌になるでしょうからね。
都の貴族の娘で美人という設定ですから、当時の美人の基準から考えて、身の丈以上の引きずるようなロングヘア、ぽっちゃり型の体形、眉を剃って蛾眉という眉を書いてたんでしょうが、これが一年以上、山の中にいたら・・・。自分でビックリしちゃうバケモノになってもおかしくないでしょうねえ。~o~;;
でも、恥ずかしいだけじゃ、人間死ねませんよね。この時代の貴族の姫君ですから、血なまぐさい自殺をしたとは考えられませんし、「庵」へもどって死ぬのですから入水自殺などでもなく、食事を取らずに餓死するには時間が足りない。さて、彼女の死因は・・・????
中島敦の小説『悟浄出世』には、妖怪は人間と違って心の不調が体に現れるので、心に悩みを持った沙悟浄が体調を崩すという場面が出てきます。もしかして、この姫君もその類なのかしらん。~o~
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