「スキー板試乗」独立記念~私の愛したカービングスキー
今日は、東京にいて確定申告・車の修理・授業と忙しい日にも関わらず、つか、こういう日なので、余計に暇つぶしのブログカテゴライズの作業をして、「スキー板試乗」を独立させました。
ワタシが現在のようなスキー馬○になったのは、今から十一年前の1997年でした。それは、丁度、日本におけるカービングスキー革命が始まった年でもありました。そこで、その頃からのカービングスキーの思い出を、試乗のエピソードを中心に振り返ってみちゃったりして。~o~;;
ワタシの中で、カービングスキーらしきものが意識されたのは、実は、一般にカービングスキー革命が起こる前年の96-97シーズンでした。当時、八海山に京都から通ってきていたOさんという人が、「ルスツで猪又一之が履いていた板なんですよ」と自慢げに履いていたのが、思えば初代KO'Sだったんです。「このシュプールを見てくださいよ」と会う人ごとに興奮して話す彼に対して、当時の我々は、何処がどう違うのか判らず、どちらかと言えば冷ややかな対応をしていました。多分、当人もあんまり判っていなかったんでしょうね、見ていて違いが判らなかったから・・・。~o~
また、その同じ年、新潟のクラウン検定を神立高原に見学に行ったのですが、トップ合格した新潟県代表の滑りが、むやみにワイドスタンスだったのを覚えています。「なんだい、あのヘンテコな格好は」と笑いながら真似したものでした。
そのシーズンが終了する頃、当時の職場にいた元国体選手の同僚から、初めて「カービングスキー」という言葉を聞きました。彼が雑誌の写真を見せて紹介してくれたのが、Fischerのカービング初期の名機VRS89。トップとテールの幅が89mmというカービングスキーでした。今思えばこんなの棒っきれですが、当時は、斬新なサイドカーブだったんです。「これでスキーが革命的に簡単で楽しくなりますよ」とは、この同僚の予言です。当時のワタシは、やっぱり何のことやら判らずに、「ほほー」と受け流してました。~o~;;
実際にこの板を初めて履いたのは、それからしばらくして通うようになったザウスでした。当時のザウスにはエキスパートレンタルというシステムがあり、各メーカーの来期モデルが簡単に試乗出来たんです。いやー、借りましたね、このVRS89を。借りまくりました。感動的な切れ上がりだと思ったんです。今考えてみりゃ、ズレズレターンだったんでしょうけど・・・。
当時のワタシは、技術は全く無いクセに暴走野郎で、レッドコースの硬いコブ斜面に対して、ムチャクチャな突っ込み方で大回りしては大転倒を繰り返してたんですが、その相手をさせられたのが、可愛そうにこのVRS89。
もう時効だと思うけど、エキスパートレンタルのVRS89を二台も反らしちゃったのは、ワタシです。また、レッドコースリフト下の壁に激突し、舞い上がった板が壁の向こうに落ちて、壁を乗り越えてそれを取りに行った、という経験を二週連続してやったのもワタシです。ちなみに、その時の板は二度ともVRS89。~o~;;;
結局、このVRS89が、97-98シーズンのワタシの愛機となり、この板のおかげでテクニカルプライズを取得しました。もっとも、テクニカル取得の直後、我が愛機は反ってしまって使い物にならなくなったんですけどね・・・。~o~;;;
ワタシにとっては、ほれ込んで結婚した理想の恋人というような板ですが、板からすれば、DV癖のある夫と結婚したようなモンでしょうねえ。思えば気の毒な板でした。~o~;;;;;;;
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