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2008年3月19日 (水)

エンジン始動とコブライン取りの相関性

 今日は、八王子を出て八海山へ移動、午後は八海山で滑っていました。

 八王子の自宅を出る時のこと。ウチのマンションは地下に機械式の三段組の駐車場があるのですが、それを操作して車を出そうとしたところ、突然、三段組の上の段に駐車している車のエンジンが掛かりました。げげっ!あの車、人が乗ってるのか?!

 しばらく様子を見ていたところ、背後から人が近づいて来て、「あっ、その車、ウチのなんです」

 どうやら、離れた所からエンジンを始動できるテクノロジーを搭載した車だったらしく、地下駐車場に下りて来る前に、エンジンを始動させちゃったらしいんです。しっかし、機械式駐車場の三段組の上段に乗っている車のエンジンを始動させて、何が面白いっていうんでしょう。車を出そうとしている人間がいたら、驚いて操作をミスしないとも限らないし、もし間違って車が動き出しちゃったりしたら大惨事なんですけどねえ・・・。

 それにしても、この離れた所からエンジンを始動出来るテクノロジーって何かの役に立つんでしょうか。ちょっと使い道を思いつきません。今時、暖気運転が必要な車なんて有り得ないし、あらかじめエンジンを始動させておくメリットなんて無いんじゃないでしょうか。早くエンジンを掛けてアイドリングでガソリンを余計に使い、地球温暖化を少しでも促進したいという「寒がり」の人以外には、意味のないテクノロジー。物珍しさだけの、技術のための技術です。つか、こんな車作ってるメーカーに「エコ」を名乗る資格はないんじゃないでしょうか。

 こういう、役に立たない無駄な技術って、日本には、けっこう身の回りにあるような気がします。例えば、便座に座るとウォシュレットのスウィッチが自動的に入り、便座から立ち上がると自動的にスウィッチが切れるテクノロジー。ウォシュレットのスウィッチくらい本人が自分で入れる方が良いに決まってます。自動で切れる装置は、ちょっと身動きしただけで勝手に切れてしまい、却って面倒なんですよね。

 日本人って技術があるというだけで価値を感じてしまうことが多いように思います。でも、技術は人の役に立って初めて存在価値を持つんじゃないでしょうか。役に立たない技術は技術者の自己満足に過ぎないと思います。

 そういう意味では、コブのバンク滑りなども同様の技術のように思います。確かに、バンク滑りを極めるのは難しく、バンクを使ってコブの中で内傾角を取ってカービング的に滑る技術は高等技術とされることが多いのですが、でも何の意味があるんでしょう。

 バンク滑りを極めても、ちっとも早くないし、安全でもありません。コブ斜面を滑り降りるのは遅くなるし、雪だまりなどがあった時の危険度も増大します。コブを安全かつ早く滑り降りるラインは、モーグル選手のような真っ直ぐに近いラインなんです。そして、この技術は、本物のモーグル選手のようにタイムを争うのでなければ、比較的簡単に身につけることが出来ます。

 バンク滑りは、バンク滑りをして作ったバンクコブ以外にはあまり意味のない技術です。もちろん、コブ外側のバンクを多少利用するという程度なら、安全性を高める意味があるのですが、バンクを使って内傾角をとってカービング的に滑ることには、ほとんど意味らしいものは無いと思います。つまり、技術のための技術。技術者の自己満足のための技術なんじゃないでしょうか。離れた所からエンジンを始動させたり、ウォシュレットのスウィッチを自動的に切ったりするのと同じです。

 今年の全日本技術選などを見ていると、以前よりもコブ種目でバンク滑りをする選手が少なかったように思いました。バンク滑りで一世を風靡した丸山貴雄選手でさえ、今年は直線的なライン取りでした。そろそろ、バンク滑りの有効性に対する見直しが始まっているということなのかなぁ、と勝手に思っちゃったりしたんですが、どんなモンでしょうかねえ。~o~

<謝罪と釈明>

 この記事に関して、やまとさんから、「『無駄な技術』の積み重ねから、『ほんとうに人々の役に立つアイデア』が生まれてきたりするものだ」というご意見をいただきました。現在ワタシも全くその通りだと考えます。

 常々、学問研究の世界では、一見無駄な研究の中に人間が生きていく上で大事な要素が含まれていたりするものだと考えていました。ワタシがかつて携わろうとしていた「国文学」などはその典型です。そのワタシが、「役に立たない技術は技術者の自己満足に過ぎない」などと書いてしまうのは、全くの自己矛盾です。

 また同時に、今現在、学問研究に携わっている方達に対して大変失礼な表現でもありました。ここにお詫び申し上げたいと思います。

 釈明をさせていただけば、常々、「最新の技術は何でも優れていて役に立つ」という幻想を利用して新商品を売り込もうとする日本の企業やSAJと、その幻想を鵜呑みにして商品を受け入れてしまう消費者およびスキーヤーに不満を感じており、それが「立体駐車場エンジン始動事件」をきっかけに爆発したのがこの記事でした。「技術者の自己満足」発言は、「爆発」の勢いが余ってキーボードが滑ってしまった末の失言でした。

 しかし、本当に責められるべきは幻想を利用する者達と幻想を鵜呑みにして盲信する者達であり、技術を開発する方達ではないはずなのです。その点について全く考えが足りませんでした。

 スキーについて言えば、バンク滑りという新しい技術を編み出し試み、それを楽しむ人に罪はなく、むしろ讃えられるべきなのですが、その新しい滑りの有効性をろくに検証せずに絶対視して商品化したり、バーン状況を考えずに盲信したりすることに問題があると今は考えています。

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コメント

無名講師さん こんばんは
いつも鋭い評論には感服します。

確かに技術の為の技術が世に出てきますね。
でも結局ほっておいても有意義な物だけが
残るのが常ですね。

バンクコブと言えば、私はまだコブ初心者で
練習中の身分ですが、先日ちょっとした出来事が有りました。
スクールのイントラさん達が作った綺麗なコブを
コブの裏側をズラシながら滑ってたら、早速イントラさんから
コブを壊さないで外回しのバンクを滑るよう
注意を受けました。
スクールではバンク滑りを教えてる様子でした。

最近のコブ滑りの主流はバンク滑りなのかなと
思ってましたが、そうでもないんですね。

投稿: まさ | 2008年3月21日 (金) 00時18分

ども、書き込みありがとうございます。

 実際にその場にいなければ判らないのですが、「イントラさん達が作った綺麗なコブ」という文面から拝察するに、そのコブは、斜度の無い所に何人かでシュプールをなぞって作ったラインコブだったのではないでしょうか。だとすれば、バンクを滑れというイントラさんの言い分は理解できます。

 まささんの練習なさっていた裏側をズラしながら滑るのは、コブ滑りの基本だと思いますが、浅いラインコブの場合、裏側にズラすスペースがあまり無い場合もあります。その場合、シュプールをなぞるあるいは外のバンクを利用する方が楽です。

 ただし、天然コブの場合、バンク滑りは応用範囲の狭い技術なのではないかと思います。コブの形に応じてバンクを利用するのは良いと思うのですが、何でもかんでもバンク滑りというわけにはいかないかと思います。

 バンク滑りがコブ滑りの主流のように扱われるのは、この何年か、ゲレンデ整備をキチンとするスキー場が多くて、天然コブが少なくなってきた影響もあるのかもしれませんね。  

投稿: Mumyo | 2008年3月21日 (金) 18時24分

はじめまして。偶然お邪魔したのですが興味深い内容があれこれと書かれていたので、過去ログも、全てではありませんが、読ませていただきました。私も少々スキーをやりますし、日本酒も好きなので、mumyoさんのそれらに対する造詣の深さには感服いたしました。

しかしながら、今回のテーマで、日本のさまざまなテクノロジーの進化に対して、「役に立たない無駄な技術」と言い切ってしまわれたのを読み、技術者の端くれである私としては、少々悲しい気分になってしまいました。

mumyoさん個人のブログですので、個人的な見解に異を唱えても仕方ありませんけれども、あえて言うならば、そうした、「無駄な技術」の積み重ねから、「ほんとうに人々の役に立つアイデア」が生まれてきたりするものだと、私は考えております。

古文を教えておられるmumyoさんには、あまり深刻な問題ではないかもしれない、「理系離れ」を、図らずも、mumyoさんの今回のテーマで、改めて痛感させられました。「教育の現場にいらっしゃる方でも“技術”というものに対して、このような捉え方をされているのだな」と、私も勉強になりました。

でも、決して、忘れていただきたくないことがあります。「科学的好奇心」や、「探究心」といったものは、「エコ」だとか、「○○のため」などというお題目を掲げてしまうと、往々にしてスポイルされ、自由な発想というものができなくなってしまうものだということです。それが人間ではないでしょうか。アイデアというのは、とんでもないところに落ちているのです。確かに、役に立たないものを商品化するメーカーに問題が無いとはいえませんけれども、「技術者の自己満足」などとおっしゃらず、もう少し、広い視野で論じていただきたかったです。

日常、文章を書くことがあまりなく、こうしたブログも読むばかりでしたので、書いているうちにまとまりが無くなってしまいました。何か失礼がありましたら、申し訳ありません。

投稿: やまと | 2008年3月24日 (月) 11時03分

 書き込みありがとうございます。

 いや、これは完全にワタシの失言でした。
つい、キーボードが滑ってしまいました。申し訳ない。おわびいたします。やまとさんのおっしゃるように研究の世界では、一見「役に立たない」ことが長い目で見れば大事な意味を持ってくるというのは、当然のことでした。

 ワタシ自身、学問研究の世界に入りかけたこともあるので、大学運営が「役に立たない」研究を排除してしまおうとする商業主義営利主義的な発想で行われることもある昨今の傾向に対して反発を感じていて、いつかそれを記事にしようと思っていたのに…。自分で、「役に立たない技術は技術者の自己満足」なんてことを書いちゃいけませんね。

 だいたいそもそも、ワタシの志していた「国文学」なんて「役に立たない」学問の代表ですからね。~_~;;;;

 何故こんな記事を書いてしまったのか、自分の心理、思考過程を考えてみるに、最新の技術であれば無条件で優れていて役に立つという一種の幻想を利用して商品化してしまうメーカー(あるいはSAJ)、またその幻想を無条件に鵜呑みにして商品を受け入れてしまう消費者(あるいはスキーヤー)に対して、常々フラストレーションを感じていたということが背景にあります。それが、「立体駐車場エンジン始動事件」で爆発してしまったと…、まあこれは単なる言い訳ですね。~_~;;;;

 現場の研究者技術者の方達には大変失礼な表現をしてしまいました。ブログの記事の方にも上記の趣旨を書き足してお詫びを申し上げたいと思います。

投稿: Mumyo | 2008年3月24日 (月) 21時01分

時季外れのコメントでごめんなさい。
コブ滑りの記事を読んでいて、こちらの日記に参りました。
エンジンの遠隔スタート装置ですが、北海道では多くの方がオートバックスなどで付けてもらってました。
冬場、外に駐車している人は、夜間の寒さでガラスが凍りついてスリガラス状態になっていますので、ブラシで雪を払っても、車内を暖めてガラスが透明にならないと発進出来ません。その間10分位なんですが、朝の10分は貴重だし、そのためにわざわざ外のクルマまで出向くのも寒いし面倒ですから、遠隔スタート装置を付けて、予め車内を暖めておいて、さっと発進出来るようにしてあるのだそうです。
スキー場でも、駐車している間に雪が積もって、いざ動かそうとすると、ワイパーで払っても見えなかったりしますよね。まあ、たかが10分程のことですが、毎朝のこととなると、あれば重宝かなと。
装置の値段は一万か、二万か、大した値段ではなかったと思いました。

投稿: | 2013年7月23日 (火) 01時54分

ナルホド。寒冷地なら大いに使えますね。
八王子の地下駐車場で初めて見たもんですから、使い道を思いつきませんでした。

 つか、この時は、初めてだったこともあって、ホントにビックリしちゃったんですよ。~o~;;

投稿: Mumyo | 2013年7月23日 (火) 16時49分

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