ゴリさん追悼~かぐら昔話
みつまたのゴリさんが亡くなったそうです。ゴリさんと言えば、みつまたのレイクサイドロッジの名物オーナーです。あのあたりでは有名、というか、みつまたかぐらで滑るスキーヤー、レーサーの間では知る人ぞ知るオヤジです。独特のだみ声、一目見たら忘れないワイルドな風貌、押しの強さからゴリ押しのゴリさんなどとも言われたようですが、スキーとスキーヤーをこよなく愛する人でした。
ワタシは、それほど良く知っていたわけではないのですが、レイクサイドロッジを拠点とするレーシングキャンプに日帰り参加した時に、何回かお世話になりました。石打のレースでも何度かお見かけしました。
2003年頃まで、かぐらは五月の第二日曜がクローズドの日でした。その頃は、かぐらがクローズドした後、アルペンクラブというレーシングスクールがゴリさんの所を宿舎として、ゴリさんの運転でかぐらの残雪までマイクロバスで通い、そこにポールを張ってレーシングキャンプをやっていたんです。ワタシは、このレーシングキャンプに2000年頃から2003年までの間、何度か日帰り参加しました。
スキー場がクローズドした後、そんな所でポール練習するような人達ですから、本物のスキー馬○ばっかりでした。早朝、レーシングスーツとヘルメットに身を固め、レイクサイドロッジを出て、新緑の山道をマイクロバスで登って行ったものでした。昼食は、かぐらのゴンドラ降り場のバーベキュー台でロッジから持ってきたカレー。帰り道はヘトヘトに疲れて、ゴリさん運転のマイクロバスの座席で眠ったものです。
ある時、帰り道のウトウトしかけたところで、ゴリさんが叫びました。「みんな気をつけろ。ブレーキが壊れやがった!」
その後は急で細い山道をエンジンブレーキでユックリと下ってきたのですが、この時は、さすがに眠れなかったなぁ。よくぞ無事で帰ってきたものです。~o~;;;
ワタシは、レイクサイドロッジに宿泊したことはないのですが、ロッジで行われたビデオミーティングには参加したし、帰り間際にお風呂もいただきました。時々、ゴリさんの話を聞く機会もあったのですが、豪放磊落で面白い人でした。熊の心臓を食った話など忘れられません。
中越大震災の時は、ロッジで飲んだくれていたゴリさん、地震に気づかずに飲み続け、近所の人が心配して覗きに行ったところ、「おう、呑んでけやい」と酒を勧めたとか。関東大震災の時の古今亭志ん生師匠のようなエピソードも残っています。
この季節ですから、天国で好きなビールでも浴びていることでしょう。今はただ、ご冥福を祈るのみ。
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