髪を剃る始まりと予備校屋としての幸せ
今日は、夜、自由が丘で授業でした。授業後、いつもの居酒屋「すず屋」さんで、先週飲んだ岐阜県中島醸造さんの「小左衛門 純吟 仕込み二十号」をいただきました。軽く酸の刺激があってサラリとキレます。やはり良い切れ味。昨夜、町田の居酒屋「伊吹」で飲んだ富山県若鶴酒造さんの「苗加屋 純米吟醸 無濾過生原酒」に、ちょっと似た味わいながら、「苗加屋」の酸の力強さに対して、優しく軽い酸になっているかと思います。
授業後、池袋のホテルへ移動。明日の朝は池袋で授業です。明日の授業に備えて、ちょっとテキストを見ていたのですが、少し気になっていることがあります。
室町時代の『榻鴫暁筆』という随筆の一節で、ある男が最愛の奥さんに死なれて泣き暮らしていたところ、死んだはずの奥さんがその男の寝室を訪ねてきて、髪を結んでいた元結を落として行ったという『発心集』に載る説話を紹介しています。『榻鴫暁筆』筆者は、この説話を紹介した後、元結が残されていたということは、死後、髪を剃らなかったんだろうかと首をひねってるんですが、コレ、火曜日に吉祥寺の高三クラスで授業してちょっと困ってしまいました。
死人を葬る儀式として髪を剃ることは、落語などには良く見られます。例えば、「らくだ」などには、そのシーンが面白く使われているし、「三年目」などは主要モチーフになっていますから、江戸時代には常識なんだろうと思われます。
ところが、一方で、平安の古典作品、例えば『源氏物語 御法巻』などでは、最愛の妻紫の上に死なれて狼狽した光源氏が、死後の妻を落飾させようとして息子夕霧に止められています。何の効果もないし悲しくなるだけだから止めなさいというわけです。この御法巻の一節からは、死人の髪を剃るという発想の始まりが見られるとともに、その行為はまだ一般的風習になっていないことがうかがわれます。
では、死人の髪って何時剃るようになったんでしょう。『発心集』では、鴨長明は死人の髪について何も疑問を持っていないようですから、平安末の貴族社会では、まだ死後の落飾は行われていないんでしょう。だから、鎌倉~室町のどこかで始まり、一般化するんでしょうねえ。
火曜日の吉祥寺の授業では、この問題の説明をちょっと端折ってバックレちゃったんです。ところが、授業後、間髪を置かず質問に来られちゃいました。あははは。なかなか予備校屋に楽をさせてくれません。~o~;;
吉祥寺では上記のようなことを説明して許してもらったんですが、「面白い」と喜んでくれました。こういう質問をしに来るお子さん、多分、ウチの予備校ならではでしょうねえ。キツいけど、予備校屋冥利に尽きる質問です。こういう疑問を持ってくれる子がいるから、この仕事面白いんですよね。
| 固定リンク
コメント