誤謬と欺瞞の連鎖~『新修古典文法』京○書房
一月ほど前に、生徒さんから相談を受けました。高校で某有名講師Aの文法副教材をずっと使っていて、隅から隅まで勉強したのだが、これからどうしたら良いか、って言うんです。うーーーーーーむ、お気の毒だけど、困ったねー。
その子の通っていた高校は、神奈川の県立校でも進学校の一つに数えられるような高校です。そんな所にまで、某有名講師Aの魔の手が及んでいたかとちょっと驚きました。つか、使ってて変だって気づかないか?!某県立高の先生。~o~;;;
仕方ないので、その子の持ってる本を借りて、全部チェックして、このままではマズイ所を教えてあげることになりました。あーあ、またまたしなくても良い余計な仕事を抱えこんじまった・・・。~o~;;;
本を受け取ってみると、確かに、しっかり使い込んでる様子。書き込み、マーカー、付箋が付いて擦り切れてます。こんなに一生懸命勉強した本にケチつけるのは何だか申し訳ないのですが、でも、放置も出来ないしなぁ・・・。
実は、以前、この本を使っている高校の先生に非常に使い難い本だと相談されたことがあったので、覚悟していたのですが、最初の方、案外しっかりしてます。
誰かしっかりした執筆者が参加しているか、あるいは、この本以前に出版していた文法副教材をたたき台にしたのか、その両方なのか判りませんが、しっかりしたことも書いてありますし、生徒さんに判らせるための工夫も見られます。悪く無さそう・・・、と思って油断していると、突然ドドーンと来ます。なんじゃこりゃ?!ってな記述が。
・「む」と「べし」の意味及び訳し方
・「記号の接続」
・「紛らわしい語の識別」
などの記述は、このテの本としては、ちょっと困ったレベルだと思います。まぁ、他にも細かい点でアヤシイ記述はあるのですが、生徒さんへの被害ということを考えると、無視出来ます。でも、この4点は、ちょっと困ったレベル。
それと、全編に渡って、気になるのが「暗記しましょう」「暗記しましょう」のオンパレード。こんなに暗記しなきゃなんないのか?!つか、暗記で全て片が付くのか?!暗記の必要を否定するわけじゃないが、ちと暗記万能主義になってないかい。まあ、それがこの某有名講師Aの手法なんだけど。
んがぁ、もっともっともっと困って看過出来ないのが、「敬語」。もともと、某有名講師Aの参考書の敬語の説明はデタラメの我流なのですが、この本では、しっかりした執筆者が参加しているため、却って混乱が見られます。
敬語のページは、まず普通の説明が冒頭に来ます。おっ!マトモじゃん、と思っていると、次のページから展開されるのは、某有名講師の我流の説明。最初のページと矛盾してないかい、コレ?!
結局、某有名講師Aの(多分)初期の誤った認識が早い時期に参考書になってしまったため、この本を書く際、その全面的修正をしてしまうと以前の参考書と完全に矛盾するので修正が利かず、マトモな説明との折り合いをつけなければならなくなって、このようなゴマかしの記述になったんでしょう。
このあたり、小西教授が『古文研究法』の中で示された良心的記述の爽やかさと比較すると・・・、いや、こんなものと比較しては、小西先生に失礼過ぎますね。
閑話休題。ともあれ、この本の欺瞞は結果的に、新たな誤謬を生むことになるでしょう。だって、この矛盾した説明を一生懸命勉強して理解しようとしちゃうマジメな子が全国にたくさんいるんですから。
また、新たな誤謬は、全国の高校の教室で新たな欺瞞を呼ぶことになるでしょう。高校の先生方、この本の記述に従って敬語を説明するんでしょうからねえ。そりゃ何かゴマかしの説明をしなきゃ授業にならなくなるもの。誤謬と欺瞞の限りない連鎖。さてはて、どこまで行くのやら。
某京都書房の皆様、あなた方の会社の売り上げの向上は、日本の国語教育をそういう所へ導いた代償なのです。それに関して・・・、まぁ、ワタシごときが何か言うことでもありません。ボーナスがアップして財布が満たされた代償にあなた方の良心が痛まなきゃ、それで結構なんですが・・・。
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コメント
他人のこと批判しすぎ…。
しかも、個人が特定できる事柄を
ご自分のブログで載せてはいけません。
講師だろうがなんだろうが存じ上げませんが、
少なくとも社会のルールを守ってもらいたいと思い、
コメントなるものを書かせて頂きました。
以後、慎んで下されば幸いです。
投稿: ぴるぐる | 2010年8月25日 (水) 01時16分
書き込みありがとうございます。
びるぐるさんのような方に対するワタシの対応は二通り考えられます。
一つはぴるぐるさんが純粋に善意の方で、他人の悪口を見るのは不快だと感じる方の場合。
その場合は申し訳ないのですが、当該の書籍をよく読んでくださいと申し上げたい。もちろん、専門的な知識のない方の場合、単なる悪口と正当な批判の区別はつきにくいと思いますが、他の方のまっとうな参考書と比較するだけで結構です。
ワタシの書いたことが「単なる悪口」かどうかお判りになるはずです。
当該書籍によって、我々まともな古典教師がどれほど日常的に不快な思いをさせられているかも付け加えておきたいと思います。また、当該書籍による被害者を少しでも減らしたいという思いもあります。
さて、もう一つの場合は、ぴるぐるさんが当該書籍の関係者だった場合です。この場合はまあ、お仕事ご苦労様としか言いようがありません。
何にしてもワタシ、このような件に関して慎むことが社会のルールだとは思っていません。申し訳ありませんが、社会のルールに対する見解の相違とあきらめていただければ幸いです。
投稿: Mumyo | 2010年8月25日 (水) 14時49分
こんにちは。私はある高校に通っている2年生です。私の通っている高校でも、この副教材を使っています。
このブログを読み、自分がこれまで間違った理解をしていたことに驚きました。
お願いです。①この副教材のどこがどのように間違っているのか ②これからどのような古典の勉強をすればよいのか を教えてください。
投稿: ろくのいち | 2013年6月22日 (土) 22時02分
>ろくのいちさん
こんにちは。書き込みありがとうございます。
こういう場ですので、当該書籍の誤りを全て詳細に説明するというわけにもいかず、簡潔に答えさせていただきます。
① おおよそ、ブログの記事に記した通りで、
・「る・らる」の訳し分け
・「む」と「べし」の意味及び訳し方
・「記号の接続」
・「紛らわしい語の識別」
の四点と敬語の説明に問題があるかと思います。
「る・らる」の識別に関しては、あまり公式的な見分け方を求めず、自分で訳して意味を決定するようにしてみてください。
「む・べし」の意味及び訳し方は、古語辞典または、当該書籍以外のマトモな参考書を見てください。
「記号の接続」に関しては、この部分の記述を見なかったことにして忘れてください。
「紛らわしい語の識別」に関しては、いくつか問題の記述があります。例えば、「母音接続で見分ける識別」という項目は、「る」「れ」「らむ」の上の語の母音だけで識別させようとしていますが、このような音だけに頼った識別法は、ちょっと危険です。「たてまつらむ」の「らむ」を現在推量の「らむ」と勘違いしてしまうようなことが、起こってきます。やはり、上の語の活用形をキチンと理解して識別するようにしないといけません。
「ひとつの方法で見分ける識別」のページの「『て』の識別」もこのままでは危険です。直後に助動詞がついていても「読みてなり」の「て」は接続助詞ですし、助動詞がなくても「読みてばや」の「て」は完了・強意の「つ」です。
敬語に関しては、当該書籍の敬語の説明の最初のページの説明だけを利用してください。「敬語の基本~位の高さと判断と主体・客体の補足」というページは見ないでください。混乱するだけです。
② 当該書籍以外のマトモな参考書(選び方は、当ブログ2006年3月27日の「間違いのない参考書選び」という記事を参考にしてください)を購入してそれに従って勉強していただくのが良いとは思いますが、その場合も、なるべく自分で古語辞典を引いて、教科書の文章を自分で訳してみることです。いかなる場合も、頼りになるのは古語辞典です。教科書と古語辞典と自分の努力だけは、あなたを裏切りません。
つまるところ、古文の勉強法は、用言の活用・助動詞の接続と活用という二つの基本的文法事項を覚えて、これを利用できるようになったら、あとは、ひたすら自分で古文を読み、古語辞典を引いて訳すことです。我々、古典の教師は、そのためのサポートをしているだけです。
古文なんて、勉強法は単純なものです。シンプルに考えてください。古文は、積み重ねが大事な教科で、迷わず努力を続ける人が勝つ科目なんです。
投稿: Mumyo | 2013年6月23日 (日) 21時42分
> 他人のこと批判しすぎ…。(途中略)
> 以後、慎んで下されば幸いです。
とおりすがりです。
上記書き込みした人は、マ**ナ講師本人じゃないですか?人の一生を左右する受験期に精魂込めて勉強する学生たちの立場を考えれば、仮に私が同業者だったら、私も本ブログ主さんと同様に致命的な間違いをインターネット上で指摘します。以上
投稿: | 2017年1月19日 (木) 11時40分
書き込みありがとうございます。
とおりすがりとのことですが、とおりすがりであっても、書き込みをなさる時は何か呼び名を名乗ってください。よろしくお願いします。
投稿: Mumyo | 2017年1月19日 (木) 23時53分
失礼しました。今後はどん吉という名前で述べることにします。
投稿: とおりすがり改めどん吉 | 2017年1月20日 (金) 14時00分
>どん吉さん
ありがとうございます。
>上記書き込みした人は、マ**ナ講師本人じゃないですか?
いやー、さすがにご本人様は、こんなマイナーブログを相手にするほど暇じゃないと思います。~o~
まあ、いろんな方がいますから。
投稿: Mumyo | 2017年1月21日 (土) 06時31分
私、還暦を過ぎて高校時代の古典を文法から始めて全面的に楽しく勉強し直しております。
故小西先生が「古文研究法」の後書で付記されたように、10代という世間知らずのガキなんかが古文や漢文という先人の知恵に満ちた作品集を感傷するなんて不可能ですが、生意気にも当時ガキだった私は、なぜか方丈記冒頭の「流れ」の記述箇所だけは、(恥ずかしくも)なんだか人生を悟ったような気分になったものです。
そして現在、己の歩んできた人生を振り返りながら、論語の一句一語を音読するたびに「もし30年前にこの素晴らしい人生訓に出会っていたなら自分の人生が大きく変わっていたかもしれないなあ」なんて一人で妄想する毎日です。
40年以上前にちゃんと「出会っていた」のに当時16歳17歳の子供に論語なんて高尚すぎて理解できるはずもありません。今、こうして先人の知恵が詰まった古文・漢文を味わることができる幸せに毎日感謝しております。
追記:当時大嫌いだった古文の文法が勉強するたびに大好きになっていきます。
投稿: どん吉 | 2017年1月21日 (土) 12時28分
>私、還暦を過ぎて高校時代の古典を文法から始めて全面的に楽しく勉強し直しております
いいですねー。それこそ豊かな人生というものだと思います。
実はワタシも高校時代は古文、特に古典文法が嫌いで、大人になってから好きになりました。まあ、こりゃ生徒さんには内緒なのですが…。~o~;;
投稿: Mumyo | 2017年1月22日 (日) 07時08分
うぁ~先生も嫌いだったんですか、文法が!
思わずニコッとしてしまいました。私の残された命がいつまで続くのか誰にも分かりませんので、私は今日も楽しく古典を勉強してます。では失礼します。
投稿: どん吉 | 2017年1月22日 (日) 14時11分