S師が誄
今日、冬期講習初日でした。午前中の講習を終えて、一息付き、学校の事務方と連絡を取るため電話しようとして電話の脇の壁を見て、凍りつきました。ウチの漢文科講師S師の死亡告知が張り出されていたのでした。
数週間前に彼が入院したことは知らされていました。でも、まさか、こんなことになるとは・・・。ワタシより五歳も年下の偉丈夫でした。斗酒なお辞さずという酒豪でしたが、陽気な酒でした。自由が丘校舎の打ち上げの宴会ではしゃいでいた姿を思い出します。目の前に張り出された紙切れの現実は、あまりに薄っぺらく果敢なくて、呆然とせずにいられませんでした。
S師は、この業界には珍しいほどの善人でした。善人過ぎました。漢文科でも随一の人気講師でありながら謙虚で人の良い彼は、随分無理な仕事を押し付けられていました。しかし、どんなに疲れていても、生徒さんの質問に嫌な顔をすることはありませんでした。同業者のワタシが見ても呆れるほど、丁寧に親切に誠実に、一人一人の質問に答えていた姿が未だに目に焼きついています。
決して、自分を宣伝したりすることのない人でした。夏期冬期の講習宣伝文には、全く講習と関係ない洒脱で品の良い水墨画に川柳を添えるのが彼のやり方でした。「コレ、講習と何の関係があるの?!」という突っ込みを楽しんで、笑っていました。毎年、彼の絵だけは楽しみだったのに。
一度だけ彼が怒ったのを見たことがあります。某W大S経学部の傾向と対策本において、普段は出題者を罵倒しまくるワタシが珍しくS経学部の古文の問題を褒めた年がありました。ところがその年、漢文は大変な悪問が出題されたのでした。彼は、決して罵詈雑言にならないよう懇切丁寧にその問題が悪問であることを解説しました。あまりに丁寧過ぎて、出版方から、「ページに入りきれないので漢文だけ活字を小さくします」と言われたほどに。我々から見れば「バカ」がつくほどの懇切丁寧な解説が、彼の怒りの表現でした。あまりに人の良い彼は、悪問に対する怒りをそんな形でしか吐き出せなかったんです。
超人気講師でありながら、常に自分を高めることを忘れない人でした。休み時間に中国語を勉強していた姿を思い出します。そんなことしなくたって、仕事に支障のあるはずがないのに。あんなに仕事を背負い込んで疲労の極だったはずなのに。
本当は落語の名手でした。大学時代は某W大の落研のホープで、その道から声が掛かるほど才能のあった人でした。でも、何故かウチの業界に入ってしまったんです。もう少しぞろっぺいな人だったら、今頃、その世界で「平成の名人」と呼ばれていたかもしれません。ワタシとは、マニアックな落語ネタでよく笑いあったものでした。ワタシの超マニアックな落語ネタを唯一、判ってくれる人でした。
善人の彼は、当然、極楽往生を遂げたことでしょう。彼ほどの善人ではなく、まして、生徒さんを騙しても省みることのないような悪人にもなりきれないワタシは往生することもなく、無名講師のままこの濁世に生き続けます。何がなんでもこのまま生き続けてみせます。
だって、Sさん、あんただけは判るだろ。「死んじゃオマンマが食べられない」からな。
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コメント
とある予備校の高校教員向け夏期講習に数年通い続けていました。たぶん2008年かその前年です、このS先生の講座を受けたのは。
センター試験を中心に話をしてくれました。謙虚で、情熱的で、真面目な講師という印象を強く持っていました。実直そのもので、その後夏期講習からお名前が消えたので、大学にでも移られたのかな、それともこの先生のよさが、受講生や予備校関係者には理解できず、教員向け講習から離れてしまったのかなと思っていました。
今年の6月9日、先生の日記を拝見して、驚きました。このS師とは、まさしくS京先生のことではないかと。
年齢はもっと若いと思っていたのですが、それにしても驚きました。合掌
投稿: ニラ爺 | 2013年8月12日 (月) 09時32分
書き込みありがとうございます。
おっしゃる通り、「S京先生」です。
もう、今年で五年になります。
五年も経ってあっちでもこっちでも名前が出るとは、去ったくせになかなか疎くなりませんねえ。~o~;;
投稿: Mumyo | 2013年8月12日 (月) 15時08分