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2009年1月15日 (木)

かのこまだらに雪はふるのだ

 昨日は、池袋→吉祥寺→町田という三箇所を移動しながら七時間半授業するという、超アクロバットスケジュールでした。朝九時から夜九時まで、12時間目一杯仕事です。誰が組んだんだよ、こんなメタクソなスケジュール。~_~;;;

 一月最大の山場をなんとか終えて、今日は、いくらかマシな町田→横浜移動の六時間授業。授業自体も自分で作った単語のテキストなので、楽勝です。余裕あり過ぎて、午前中の町田の後、一旦八王子にもどり、板をチューンナップに出したりして。結局、目茶目茶忙しくなったりして。~o~;;;

 夜、横浜の授業が終わって、校舎近くの居酒屋さんで夕食を取っていた時のこと。ちょっと離れたカウンター席から、「筍ありますか?」という注文がありました。「え゛っ?! この真冬に筍かよ」と思ったのですが、注文を受けた板さんは、平気な顔で筍を焼き始めました。

 どうなっているんでしょう。よく判らないけど、どっかから入荷するんでしょうねえ、筍。初物と言えば聞こえは良いけど・・・。

 それで思ったのですが、日本人って、昔からこういう季節外れをありがたがってきたんですよね。そもそも「初物食いは七十五日長生きする」って迷信だって、旬を食べるというのではなく、季節外れをありがたがる発想です。そのために江戸時代には、七月の初そばは、前年収穫の古そばを脱穀せずに取っておいたものだったんだそうです。美味いからありがたいんじゃないんですよ。

 季節外れをありがたがる発想は、すでに『万葉集』に見られます。橘は「非時(時じく)のかくのこの実」と呼ばれ、富士山は、「非時ぞ雪は降りける」と称えられます。「非時」であることがこの世ならぬ聖なる物と意識されているということでしょう。『伊勢物語』にも「時知らぬ山は富士の嶺 何時とてかかのこまだらに雪の降るらむ」と歌われていますが、富士山信仰の源には、単に天に近い高さというだけでなく、富士山頂の「非時」の雪の存在があるはずです。

 御伽草子『浦島太郎』に語られる竜宮城は「四方四季の館」です。館の四方に四季の庭が配されていて、同時に四季の自然を楽しむことが出来ます。「非時」はここでも聖なる異郷の証なのです。そもそも、浦島太郎の原型である「浦島子伝説」自体、異郷の特殊な時間がテーマなのです。

 「四方四季の館」は、平安の物語にもしばしば聖なる館として登場します。『宇津保物語』の源涼の館や『源氏物語』の六条院は、四方四季の館です。これには、陰陽五行説の影響もあるのですが、やはり、「非時」を聖なる異郷の証とする発想が根底にあるものと思われます。

 季節を超越することによって異郷の力を獲得する。「初物食い」の根底には、そんな原始日本の発想が息づいているのではないでしょうか。

 とすれば、現代の四方四季の館、ザウスが日本に生まれたのは、歴史的必然だったのかも・・・、ってそこまで考えると脱線が過ぎますかねえ。~o~;;;

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