ゆとりとの戦い
一昨日は朝から横浜で授業でした。横浜の生徒さんはマジメな子が多く、質問にもよく来るし、テキストを自分で品詞分解して見せに来たりもします。まー、その手のことはやってきたら、見てあげると言ってあるので。
もちろん、そんなものをやって来るのは、ごく一部のマジメな子なのですが、横浜では結構、たくさんいます。喜ばしいことである反面、それだけマジメな子であっても、こんなに出来ないのかと驚かされることもしばしばあります。例えば、一昨日来た子は、「おのづから」を「おのづ」と「から」に分けて、「おのづ」を動詞だと思っていました。うーん、「自ずから」って現代語知らないかなぁ。
どうも、生徒さんのマジメさと基礎学力が今までほど比例していないように感じます。マジメで素直だから、「○○をやってきなさい」と言うとやってくるのですが、古文を勉強した経験や基本的な語彙や国語力が無いため、見当違いなことをしてしまうという子が、この数年なんだか目に付きます。一昨年の「似る」を読めなかった子達みたいに。あるいは今年、浪人のクラスで、「先生、『一人称』って何ですか?」なんて聞いてきた子みたいに・・・。~o~;;
全て「ゆとり」のせいにするわけにはいかないのでしょうが、だからってこの子達のせいにも出来ません。マジメだし、知的レベルもそれほど低いわけではなさそうなので。モチベーションを持っている子は、それなりに苦しんで戦っているみたいなので。
我々としては、結局、この子達に合わせて、我慢強く一緒に、「ゆとり」がもたらした結果と戦ってあげる必要があるんでしょう。「ゆとりの闇」が本当に明けるまでは。
それにしても、「ゆとり」を考えたヤツラがつくづくうらめしい・・・。
| 固定リンク
コメント
前に一度書き込みさせていただいた者です。
また書き込ませていただきます。
たしかに高校でも「ゆとりの闇」を実感しています。
数年前の生徒には通じた説明が通じないという現象がたびたび。
大袈裟に言えば「以心伝心」とでも言うのでしょうか、
「そんなこと言葉にしてわざわざ説明しなくてもいいでしょう」という部分が通じなくなっています。
「以心伝心」という言葉はもはや死語と化しているのかな、などとも思ってしまいます。
もちろん、
説明が通じないのは、「以心伝心」の部分に頼って授業をしていた私自身の不徳の部分も大きいのですが…。
投稿: ふばこ | 2009年5月21日 (木) 19時54分
ども、書き込みありがとうございます。
>「そんなこと言葉にしてわざわざ説明しなくてもいいでしょう」という部分が通じなくなっています。
全く同じこと日々を感じています。
国語の教師がやり難いご時世です。
でも、予備校だと、まだましなんでしょうね。一応、生徒さんのモチベーションはある程度保証されていますから。それにまだまだ、ハッとするほどピュアな感性の子もいたりして。
投稿: Mumyo | 2009年5月22日 (金) 18時17分