喜色汗顔
夏期講習も折り返し点を過ぎ、このタームは午前八王子で毎年やってるカリスマA師のテキスト、夜立川で某W大対策講座。どちらも家から近いし、一度やって予習不要のテキストなので、比較的、楽にしゃべれています。
特に、立川の某W大講座は、人数は少ないけどマジメな子が揃っていて、質問も多いし、楽しく授業できています。ところが・・・。
某W大は、ほとんどの学部で文学史を出題します。しかも、最近、他のジャンルの作品との成立時期の前後関係を聞くことが多く、初日に、文学史年表をよく見ておくよう注意をうながしていました。んで、昨日今日と『太平記』の問題を扱っていたのですが、今日の授業終了時のこと。
一番前に座っていた女の子が、帰ろうとするワタシを呼び止め、質問しました。「先生は、昨日、『太平記』の後、室町時代に『曽我物語』と『義経記』が出来たっておっしゃってましたけど、私の持ってる年表だと、『曽我物語』の方が、『太平記』よりも先になってるんですが・・・」
なるほど、その子が学校でもらったという文学史年表には、『曽我物語』『太平記』という順番で並んでいます。正直、この辺のことは、あまり詳しいわけではないのですが、ワタシは、『太平記』『曽我』という順番で何年も教えているし、教え始めた時に何かで調べたはず。ウチの教材にもそうなってるので、自信持ってました。
「うーん、そんな説もあるのかもしれないねえ。『曽我物語』の成立は、ハッキリしないから、いろんな説があるんだろうねえ。でも、ホラ、ウチの予備校のテキストの年表だと、『太平記』の方が先に出来たってなってるでしょ」
とテキストの文学史年表を見せながら、内心、ちょっと喜んでました。この子、昨日注意を促したことを忠実に守って年表を調べたんだなあ。
そこで、詳しいことを調べてみましょうと約束して、家へ帰って岩波書店『日本古典文学大辞典』を調べてみて、ちょっとオドロキました。
先に断っておくと、受験参考書レベルでは、ウチの教材を始め、某大手さんの参考書などでも、南北朝時代に『太平記』、室町時代初期に『曽我』となってるものが多いんです。んで、ワタシも疑いなく、それで教えてたんですが、調べてみると、コレってかなーり微妙です。
『曽我物語』は漢文で書かれた「真名本」と仮名で書かれた「仮名本」が存在するのですが、「真名本」の方だと、諸説あるとは言え、南北朝期に出来たとするのが通説のようです。「仮名本」の方の成立も何段階かに分かれているらしく、先行して成立した第一次本なら、応安年間頃成立したとされることの多い『太平記』より早いことになります。
うわー、結構コレはヤバいじゃんと冷や汗タラタラ・・・。~o~;;;;;;;;
でも、結局、現存仮名本は『庭訓往来』を引用した箇所があるという記述を見てちょっとホッとしました。『庭訓往来』は南北朝後期から室町初期にかけての成立。これを引用しているということは、『曽我』を室町時代成立としても、まあウソではありません。
しっかし、受験参考書レベルの常識ってヤツはけっこう危ないモンです。『徒然草』だって、受験参考書レベルだとほとんど鎌倉時代末期成立ってなってるけど、南北朝初期成立って説はかなり有力だし、『平家』なんかだって、鎌倉時代初期成立って書いてあること多いけど、流布本の成立って観点で言えば、もっともっと後って言わなきゃなりませんからねえ。
まあ、受験参考書の常識に胡坐かいてちゃイカンなあ、と反省すると同時に、こういうことを講師に調べさせちゃうウチの子ってエライなぁとちょっと嬉しかったりして。~o~
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