短き蘆の十人十色
ここんとこ涼しくなってきましたが、一昨日昨日とテンテコ舞の忙しさです。授業は順調なのですが、赤本の間違え探しに加えて、模試の仕事とテキストの仕事と授業で使うプリントの作成が重なり、デスクワークで・・・、とかなんとか言いながら、ちゃんと飲む物は飲んでるし、寝る時間は確保してるんですけどね。~o~;;
そんな中で、痛感させられたことがあります。授業用に和歌修辞の練習問題のプリントを作っているのですが・・・和歌修辞は難しひ。
自分の中では、ある程度の理論的理解はしているし、生徒さんへの説明を明快にする自信もあるのですが、なんせ、練習問題に取り上げる和歌の修辞に諸説あり過ぎて、どーにもなりません。
たとえば、『百人一首』にも採られ、『新古今和歌集』にも入集している伊勢の代表歌、
難波潟短き蘆のふしの間も逢はでこのよを過ぐしてよとや
など、専門家の書いた注釈書を見ると、無茶苦茶です。
この歌をワタシは、
①「難波潟短き蘆の」が序詞
②「よ」は、「世」と「節」の掛詞
③「蘆」「節」「よ(節)」が縁語
と取りたいのですが、手元の諸注釈を見ると、
・①②③すべて採用 角川ソフィア文庫「百人一首」島津忠夫、ちくま文庫「百人一首」鈴木日出男。
・①のみ認定 新潮文庫「百人一首」安東次男
・②③のみ一部認定 角川ソフィア文庫「新古今和歌集」久保田淳
・③の一部のみ認定 新潮古典集成「新古今和歌集」久保田淳
・全て認めず 小学館新編日本古典文学全集「新古今和歌集」峯村文人
ほとんど十人十色の惨状です。和歌学会の重鎮、久保田淳先生なんて、一人二役やってます。~o~;;
もちろん、久保田先生は、ソフィア文庫を書く段階でお考えを改めたということだと思います。「君子は豹変し、小人は面を革む」とは言いますが、久保田先生は本当に誠実な方なので。
しかし、碩学久保田淳をしてこの状態ですからねえ。うっかり、練習問題なんて作れないんですよねー。~o~;;;
修辞法の認定がこれだけバラバラになるというのは、修辞法の定義が学問的にも曖昧な部分を残しているからです。そんな学問的に曖昧なことは、入試で出題しなきゃ良いんですけどねえ。出ちゃうんですよね・・・。出題者の皆さん、教育現場の末端のことなんて考えてないんですかねえ。~_~;;;
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コメント
確かに修辞の解釈はいろいろですね。
古語辞典の別冊「百人一首の手引き」を参照すると、①、③を説明していますが、②は説明していません。
数学のように答えが一つでないところに文学の面白さがあるのですが、受験問題となるとそうはいきません。しかし、定説がない問題も国語には出ます。それを答えるのは頭の柔軟に役立つと思うのですが。
上記問題もどれか答えが書いてあれば「良し」だと思いますが教える立場としてはそうはいきませんか。
私のような独学者にとってこのように講師が提供してくれる話題は参考になります。過日の「いろごのみ」、今日の「小人革面」も。
投稿: 侘助 | 2010年9月16日 (木) 14時08分
書き込みありがとうございます。
おっしゃる通りで、学問的には、諸説あるのが自然なことでもあり、それぞれの説の存在を認めざるをえないのですが、教えるということになると、ちょっと困ります。多分、全国の高校の先生方、予備校講師が困ってます。
定義をハッキリ統一することが出来ないのなら、「和歌修辞に関しては、よほど明らかなもの以外は出題しない」というコンセンサスでも出来ていると良いのですが。
投稿: Mumyo | 2010年9月17日 (金) 08時40分
和歌修辞の問題、そんな事情があったのですか(・・;)
ぼくは、現代文は得意だったのですが、古文は苦手でした・・・英語はもっと苦手でしたが(苦笑)
でも、Mumyoさんのこういった古文の説明や裏話とかは見ていて面白いです。
投稿: みっくん | 2010年9月18日 (土) 15時57分
ども、書き込みありがとうございます。
そーなんですよ。学者さんの世界なんて、案外いいかげんなモンなんです。そのいいかげんな要素で、若い人の一生が決まってしまったりする事態は、なるべく避けてほしいんですけどね。
投稿: Mumyo | 2010年9月18日 (土) 19時13分