人の運命ってものは・・・
どーも、最近、仕事や体調の面ではまあまあなのですが、ブログ的には絶不調です。書きたいことがあると時間がないし、時間のある時は書きたいことがないし、昨日のように時間も書きたいこともある時は、他のヤボ用にハマってしまうし・・・。
つーことで、しばらくぶりの更新です。二学期の授業はほぼ順調に進んでいたのですが、昨日は台風の影響で夜の授業が休講。午後はかなり時間があったので、ちょっと残っていた模試の仕事を終わらせ、ブログ更新しようかと思ったのですが・・・。まー、そーいうことでっつ。~o~;;
最近、また、赤本の間違いさがしをやっています。昨年いろいろあった某J智大学ですが、今年は、そのためなのかどうなのか、大きく入試問題の作り方を変えました。今まで、十年以上続けていた全問マークセンスをあらため、国文学科志望者にのみ記述問題を出題することにしたのですが、コレがまた大変な問題で・・・。~o~;;
国文学科志望者に課された古文の問題は、『平中物語』からの出題で、主人公平中が、受領の娘を口説いて関係を結ぶのだが、雑用があって娘の所へ通うことが出来ないでいるうちに、絶望した娘が出家してしまうという話。他の学科の受験生とほぼ同じような設問があって、最後に、国文学科志望者のみに、こんな設問が用意されています。
「この話を通じて作者は何を言いたかったのか。『色好み』の語を用いて、わかりやすく説明せよ」
ワタシも長いことこの仕事をやって、いろんな入試問題を見てきましたが、コレほどの難問で、しかもみごとに練れていない設問は、あまり見たことがないかもしれません。
まず、この問題文の中で作者ははっきりした自分の主張などを述べていません。それゆえ、問題文を読むだけでは、作者の言いたかったことなど皆目判りません。このエピソードを『平中物語』に取り上げた時に、作者には何か意図があったのでしょうが、それは『平中物語』全体の中でこのエピソードを読んで初めて判るはずのこと。この問題文から得られる情報のみを用いて説明することは、我々でも不可能です。
それゆえ、「『色好み』の語を用いて」という導入に従って、見当をつけにいくことになるのですが、この「色好み」という語は純粋の学術用語なんでねえ・・・。~_~;;;
ここでいう「色好み」は一般的な「好色」という意味ではありません。そういう意味でとってしまうと、答案は書けないでしょう。学術用語としての「色好み」は折口信夫の「色好み論」に始まります。それは、王者の美徳として幻想されるものであり、「女性のそれぞれに対して身分、家柄や容姿・才知など、そのよさを識別して愛着を持ち、それにふさわしい処遇を与える恋愛道徳の理想」(『源氏物語辞典』學燈社)などと定義されるものです。
この「色好み」は、中古の物語を勉強する人間にとってはほぼ常識で、特に、『伊勢物語』や『源氏物語』を研究するには必須のタームです。しかし、専門で研究している学者さんにとって常識でも、一般的には・・・、つか普通の高校生には・・・。
この時の某J智大学国文学科受験生の答案を、是非拝見したいものですが、さぞかし、みんな苦戦したんでしょうね。お気の毒に。こんな出題は、ハッキリ言って、出題する側の無知、怠慢のなせる業です。でも、この問題で運命決められちゃった受験生もいたんでしょうからねえ・・・。
まあ、人間の運命ってそうやって決まっていくものだと言ってしまえば、それまでなんですが・・・・。~_~;;;
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コメント
いろごのみ。男女間の情を解することは永遠の課題。国文学を学びたいなら、知識だけでなく、情の部分も深めておきなさい、と言う事ですか。
「国学者の流れを汲む現代の国文学者たちは、戒律といふ、厄介なもののない、やもとごころや色ごのみの心を失ってゐるから、女房が、女房について、女房のために書いた文学をうまく味はふことができない」(丸谷才一)という意見もあります。女房の文学とは、「源氏物語」「とはずがたり」等。
投稿: 侘助 | 2010年9月 9日 (木) 16時54分
本当にお久しぶりです。みっくんです。
・・・覚えておられますか?(笑)
今年で大学4年生になり、無事、就職も決まりました。
来年の春からは社会人です。
恥ずかしながら、Munyoさんのブログを長らく拝見しておらず、今回久しぶりに挨拶に来ました。
以前と少し文体が変わったかな?とも思いましたが、やはりぼくの知っているMunyoさんだと安心もしました。
日記の内容に触れていなくてすみません(汗)
生存報告として、コメント致します。
ではでは…
投稿: みっくん | 2010年9月10日 (金) 20時14分
>侘助さん
書き込みありがとうございます。
女房文学は、おっしゃるように儒教的な「戒律」に従うものではないのですが、だからと言って、彼らにモラルや規範意識がないわけではありません。その規範意識の一つが、ここでいう「いろごのみ」なのでしょう。
現代の国文学者たちは、丸谷さんのおっしゃっている頃の学者さんとは違って、ずいぶん、「いろごのみ」を研究しているみたいですよ。
投稿: Mumyo | 2010年9月11日 (土) 10時09分
>みっくんさん
おひさしぶりです。そうですか、とうとうご卒業ですか。おめでとうございます。若い人の時間は流れるのが速いですね。
なーんて言いながら、ワタシの生活もこの二年ほどで激変しました。結婚もしたし、もうすぐ娘が生まれますからねえ…。~o~;;;;
投稿: Mumyo | 2010年9月11日 (土) 10時13分
子どもが産まれるんですか!
おめでとうございます!
ご結婚されているのは知っていたのですが。
時間が流れるのは、早いですね~。
浪人中に初めてコメントを書いて、2年生のころにちゃっかりミクシィのマイミクになり、いつの間にか4年も月日がたって、その間にお互いいろんなことがあったんですね^^;
これからも、どうかよろしくお願いしますm(_ _)m
投稿: みっくん | 2010年9月12日 (日) 07時52分