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2010年11月12日 (金)

このわたりに若紫やさぶらふ

 恒例、真夜中の育児日記、つか、今日は早朝の育児日記ですかね、現在午前五時半です。

 良い気候になってきて、スキーシーズンが近づいているのが感じられる今日この頃です。丸沼は今日オープンですもんね。昨日は仕事が比較的遅い時間からだったので、朝食後、スキージャーナルオマケのDVDを見ました。柏木さんのロングターンを見ながら、内弟子Yが一言。「スゴイけど、この人きっと出産してませんヨネ」

 アタリマエだーーー。~o~;;

 最近、パパ抱っこに再び自信を取り戻しています。メリーとの勝負もここんとこ勝ってるし。泣き出した時に、ワタシが抱っこすると泣き止むことが多いです。ポイントは、上下動。ゆっくりと膝を使って上下動させる動きが娘(仮称ケミ)はお好きな模様。ピタリと泣き止みます。ちょうど、軽くショートターンするように膝を返しながら上下動させると良いようです。ケミは重さがもう5kgはあるので、けっこうパパのトレーニングだったりして。~o~;;

 今日はケミの誕生から50日目。昔なら「五十日の祝い」と書いて「いかの祝い」の日です。約千年前、1008年の霜月一日、一条天皇の皇子敦成親王の五十日の祝いの日のことが『紫式部日記』に記録されています。タイトルは、この日、酔っぱらった藤原公任に紫式部がかけられた言葉。この言葉がきっかけで、例の「源氏物語千年紀」ってイベントがあったんですね。

 「源氏物語千年紀」と言えば、ここんとこ毎年恒例の源氏バナシのシーズンです。各クラスでK先生の伝説など紹介しているのですが、一昨日のこと。立川でK先生バナシをしてちょっとウケを取り、気分よく授業を終えたところ、休み時間に一人の生徒さんがニコニコしながらやってきて、「先生がさっきした話と、まったく同じ話をウチの父から聞いてました!」だって!

 お父さんがウチの予備校の出身だとか。年を聞いたら、ワタシより少し先輩だった模様。こんなことがあるのも、ウチならではですかね。~o~

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コメント

 紫式部日記、該当箇所を読んでみました。あの頃は源氏物語は完成していたのでしょうか。
 K先生、判るような気がします。解釈はいらない、とにかく原文を味わってくれ。そんな場面ありますよね。K講師あるいは教師のような人は今はもういないのでしょうか。
 枕草子の研究家、田中重太郎氏も予備校で教えていたことがあるそうですが、源氏物語を終わるとほっとし、枕草子に移るとトンネルを出たときの気持ちであると書いていました。

投稿: 侘助 | 2010年11月12日 (金) 12時15分

『源氏物語』の擱筆時期については諸説あって確実なことは判らないのですが、作品後半の光源氏の六条院での生活の描写には、女房生活の経験が生かされているというのが定説です。また、同じ『紫式部日記』の五十日の祝いの少し後に、物語の御冊子を作る記事があり、その時に道長に持って行かれたのは、『源氏物語』の草稿ではないかと言われていますので、この寛弘五年の時点では、まだ完成していないと見るのが一般的だと思います。

 K先生のような方は…、まあ今はいらっしゃらないですね。~o~;;

 ちなみに、田中先生はウチの関西校にいらっしゃったようです。

 

投稿: Mumyo | 2010年11月13日 (土) 14時02分

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