喪中欠礼に関する旗色鮮明のススメ
長年、賀状のやり取りをしている大学時代の先輩から、今日、「寒中見舞い」のハガキが届きました。実は、昨年暮れに、喪中欠礼のハガキをいただいていた人でしたが、こちらからの賀状は、例年通り出していたんです。
決まりきった寒中見舞いの文章に「賀状ありがとう。お子さんの誕生おめでとう」の言葉が書き添えられていますが、最後に、「欠礼のハガキを年内に出していますが、届いていないといけないので、念のため」とありました。うーーん、微妙だなー。
喪中欠礼というのは、「こちらが喪中なので年賀の挨拶を失礼させていただく」ということわり状です。したがって、喪中欠礼を受け取った側、この場合ワタシは、年賀の挨拶をしても何ら差し支えはないはずです。それは、喪中欠礼を某Wikipediaあたりで引いても出ています。しかし、先輩の「念のため」は・・・。もしかして、こちらの年賀をちょっと不快に思われたのかしらん。
どうも、喪中欠礼のハガキに対して、年賀を返すべきではないと考える人たちが近年いるようです。でも、喪に服すというのは、喪中にある当人が故人の死を悼んで行うことであり、また、喪というケガレの中にある人が他人との接触を避けようとする行為でもあります。
故人の死を悼むという意味では、他人に年賀を控えてくれとは言えないはずですし、ケガレ中の接触という点でも、自分からの接触は出来ませんが、他人からの接触は構わないはず。
平安貴族の世界だと、ケガレにある人は、「物忌み」と言って自宅で謹慎していますが、そこに来客があった場合、客を帰したりするのではなく、部屋の外に客を立たせて応対します。「立ちながら(立ったまま)」であれば、ケガレは移らないという抜け道があるのです。
そんなことを考えてみても、他人からの年賀ハガキを、「物忌み」を理由に断る必要はないはず。近年の喪中欠礼に年賀返さずの傾向って、どこから来てるんでしょう。謎なぞナゾ。
思うに、喪中欠礼挨拶に対して、年賀を返してほしくないという人は、喪中欠礼挨拶に、「賀状のやりとりは遠慮させてもらいます」とハッキリ書いてしまったらどうでしょうか。多分、現在、喪中欠礼に対応する日本人の「常識」は二通りあると思うのです。どちらの「常識」を信奉する人も、自分が正しいと考えているのでしょうから、喪中欠礼ハガキに自分の旗色を示しておくというのは、悪くない考えだと思うのですが。
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コメント
喪中欠礼。
「喪に服していますので、お年賀は差し控えます。(従って、貴方も私にはお年賀は必要ありません)」と解釈してきました。私の周りもそうでした。
しかし、講師が言うことが本来のしきたりですかね。
「喪中欠礼」を出した人でも、出さない人に外で会えば、お年賀の挨拶はするでしょうしね。
私の場合、喪中欠礼を出し、賀状を受け取れば、そのままにしておきます。
投稿: 侘助 | 2011年1月 7日 (金) 09時47分
ども、書き込みありがとうございます。
多分、「喪中欠礼に賀状返しかまわず」が本来なのだと思いますが、なにしろ、風習なのでどちらが「正しい」とはならないものだと思います。
侘助さんの解釈が今や多数派になっているような気もしますので、そうなると、本当にどちらが「正しい」などとは言えない気がします。
どちらが「正しい」ではなく、自分と別の「常識」が存在しているということを認めることが大事なんじゃないでしょうか。そういう意味で、旗色鮮明が望ましいかなと思います。
今までのように、「喪中につき年末年始のご挨拶を失礼させていただきます」ではどちらか判りませんから、賀状拒否のお考えの人は、「年末年始の賀状の交換を遠慮させていただきます」と書けば、賀状拒否と判りますし、逆に、賀状許容であれば、「喪中につきこちらからの年末年始のご挨拶を控えさせていただきます」と書けば、旗色が鮮明になります。
投稿: Mumyo | 2011年1月 7日 (金) 22時57分
自分が喪中でも私は年賀状は出す派です。
さすがに自分のパートナーが亡くなったら、出さないとは思いますが。
年に1度、しかも年賀状しか交換しない友人も数多くいるので、これが無くなるのは寂しい限りですから。
人によってその認識は色々だと思いますが、このような「喪中のはがきを出したけど、念の為」というのは、ちょっと大人げないのかな?と思います。
うちの旦那の会社の先輩で、すごいガキな奴がいるんですけど、家族写真付きの年賀状を出したら「子供のいない人間にとっては腹立たしい年賀状だ」と、会社で罵ってきたそうです。
それ以来、その人には絶対に写真付きは送らないし、コメントも入れません。
もしかしたら、その先輩の方もその口でしょうか?
私なんかは、子供だけの写真付きより家族で映ってる写真を載せてくれたら、友人の最近の様子も分かるから嬉しいです。
年賀状は「年の初めのご挨拶」くらいの感覚で、喪中だのなんだのはあまり考えなくても良いんじゃないかと思うんですがね。
変な所で日本人風を吹かせてるような気がします。
投稿: しおん | 2011年1月 9日 (日) 14時23分
僕も、「深く考えなくて良いんじゃない」派なんですが、ネットとか見ると、けっこう「喪中欠礼に賀状返さず」派って多いみたいですよ。
まあ、「常識」はいろいろってことで。
投稿: Mumyo | 2011年1月 9日 (日) 23時38分
ご無沙汰しています。
私は忌野清志郎の死から、続いて身内がなくなり、先日もおじがなくなってと
数年もう年賀状
を書く機会がありません。
おめでとうという気持ち湧かなかったので、
色々な行事も欠席するという事が続いています。
ですが、他人にまでそれを押し付けようという
ことはありません。欠礼の葉書で気になるのは
それで初めて友人の不幸を知ることです。
葬式はとうに終わっているのに今更香典を持っていくのも
はばかれます。
同業者の方が先日、線香を持参されご霊前に
上げてくださいと持て来られこれはスマートな
儀礼だと感心しました。
でも日本の社会というのは何かと人に気を使わせるようにできていますね。
投稿: 蘭柁柚聹 | 2011年1月15日 (土) 16時01分
書き込みありがとうございます。
確かに、故人との関係から言って、香典が気になる場合もありますよね。そういう時に香典の代わりに線香持参というのは、気が利いてますね。
投稿: Mumyo | 2011年1月16日 (日) 00時48分