古めかしい枠組み
今日で春期講習は一段落です。吉祥寺、八王子ともまずまずの結果でした。特に、吉祥寺の子供たちは、受け止め方もハイレベルで、「受験のためだけではない知識が、自分のためになったと思います」なんて言ってくれたりして・・・。予備校屋冥利に尽きるこんなアンケートは、今やウチの予備校でも吉祥寺校だけでしょうね。
さて、その吉祥寺なのですが、例年、この時期に吉祥寺の授業をすると、駅前から校舎まで大変な人ごみの中をかき分けて行くことになります。井之頭公園の花見シーズンなので。
ところが、今年は全くそんなことがありません。例の花見宴会「自粛」要請の結果ですね。この「自粛」要請に関しては、ネット上でも賛否両論のようですが、ワタシに言わせれば、これは言葉の問題です。
「自粛」という言葉には、「みずから進んで控えめにする」という意味しかありません。これでは、何故、花見の宴会をみずから進んで止めなければならないのか、まるで判りません。しかも、自ら進んですることを要請するってことになると・・・。~o~;;
我々、古典屋からすれば、今回の「自粛」は、ハッキリ言って「服喪」です。東北大震災で亡くなった方たちのことを思うからこそ、派手なことを控えようという気になるのです。
名前を与えることは、その概念の枠組みを決めることになります。まあ、ただ単なる枠組みの問題なのですが、今回は、「服喪」という古めかしい枠組みを使った方が、日本人の心性に叶ったんじゃないでしょうか。
吉祥寺の花見「自粛」も、「震災で亡くなった方の喪に服すため、宴会を控えてください」と言えば、すっきりしたんじゃないですかね。少なくとも、ウチでは、内弟子Yは、その方がスッキリすると言ってますゼ。
まあ、「自粛」にしても、「服喪」にしても経済活動が停滞するという実態は変わりませんけどね。~_~;;;
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