深草の野辺の桜し心あらば
ここ数日、右を見ても左を見ても、暗い話題ばかりです。地震の犠牲者の方々のことを思うと、
深草の 野辺の桜し 心あらば 今年ばかりは 墨染めに咲け
(深草の野辺の桜よ、もしお前に心があるならば、今年の春だけは喪服の墨染めの色に咲いてくれ)
と口ずさんでしまうところですが、実は、個人的にもそんな事情が生じてしまいました。
今日の早朝、電話があり、ウチの田舎の例の枯れた父が、突然、身罷ったそうです。享年88才。朝起きて、習慣になっている血圧測定を自分でやってノートに記録した直後、急性心筋梗塞で苦しむ暇もなく逝ってしまったそうです。
救急病院からもどってきた父の遺体は、四十年前に自分で建てた家の広間に、まるで最初から予定されていたかのように収まりきって眠っていました。運慶が彫った仏頭のような顔が、死んでみると、意外に大きく見えました。
実は、先週の木曜、東北大地震の前日、ふと思い立って、娘(仮称ケミ)を連れて田舎の父を訪れていたのでした。ケミの順調な成長を大変喜んでくれて、生きる気力を持ってくれているように見えただけに残念でもあり、また、最後にもう一度、ケミを見せることが出来て良かったとも思っています。
本当に、今は、「今年ばかりは」という心境です。
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